龍と人
息を巻いて出ていったアリアが満足そうな顔をして戻ってきた。どれだけ力説してきたのかは、あとから入ってきたライルの苦笑と、直後にお茶を持ってきてくれた保安員のなんともいえない疲れた様子を見ればわかる。
ソリッドもまだ話さねばならないことがあるからと、お茶を飲み終わった時点で一度宿に戻ることになった。
心配そうにソリッドを見上げるアリアをまた夜に話しに来ようと宥めると、夕食を一緒に食べるなら、としぶしぶながら呑んでくれた。
アリアとライルの素性はリーが知っているので話を聞くのは自分たちが戻ってからでいいと、あの場に残りラジャート村へと向かったモートンが指示しておいてくれた。子どもたちがひとりずつ事情を聞かれている間、残る子どもたちと一緒にリーたちもモートンとセルジュの到着を待つ。
ふたりが赤の五番へとやってきたのは夕方前のこと。
アリアとライルはセルジュに、そしてリーはモートンに話をすることになった。
リーがひと通り話し終えてから、モートンは組織にもひとまず連絡をしたと前置いて、詳細はのちに請負人組織本部に報告すると言った。おそらく自分にもそのうち指示が来るだろうなと思いながら、リーはモートンに礼を言う。
途中で誰か見なかったかと問われ、リーは首を振ってから何かと問い返した。
「主犯格がふたり、姿を消したらしく」
そういえば姿が見えないと言っていたなと思い当たり、あぁ、と思う。
「切られた、と」
渋面で頷いたあと、手は尽くすがとつけ足されるが、可能性の低さがその声音に滲み出ていた。
一方、リーたちの部屋にも客が訪れていた。
「まぁお前も聞いていただろうけどな」
「元はと言えばカナートが…」
ぼやくフェイに、そうだけどなとトマルが苦笑う。
「こちらとしても手っ取り早いが。だからって多用するんじゃねぇぞ?」
わかってると頷くフェイだが、トマルは苦笑を引っ込めずに息を吐く。
「で。どうだ?」
「どう、とは…」
「リーと一緒に行くようになって暫く経つが。これからどうするかってこった」
意図がわからず尋ね返したフェイに、トマルは真面目な顔で見返した。
「リー自身が百番案件で本部と関わることが増えたせいもあって、お前をただの同行者とするのも苦しくなってきそうでな。加えて今回のこともある。この先まだリーとともに行くなら、それなりに考えてもらわねぇと」
「それなりに…」
頷き、いくつか選択肢を示すトマル。なら、と即答で決めたフェイに、やっぱりなと笑う。
「リーが六の月に戻って来た時から、でいいな」
「ああ。それで頼む」
「わかった。伝えておく」
そう返したトマルの表情が、見守るもののそれになった。
「エルトジェフ」
フェイがカナートとふたりで旅をしていた頃を知るトマル。細められた瞳に浮かぶのは、成長への喜びと。
「少しは見えたか?」
同じ龍としての、在り方への問い。
幼い頃から龍とともに人の世で生きてきたフェイは、人には過ぎて、龍には足りない。
フェイ自身がそのことに気付いたからこそ望んだリーとの旅路。まだ数月ではあるが、それでも。
「…まだ足りないのはわかってる」
龍を知り、人を知るために。
無為に生きてきた百年を繰り返さないために。
そのためのものでもあるのだが、何よりも。
「だが今は、楽しくはある」
リーを追いかけて来た頃よりは落ち着いた眼差しを向け、屈託なく笑うフェイに。
「それならよかった」
満足そうに呟き、トマルも穏やかな笑みを見せた。
リーが子どもたちのいる部屋に戻ると、借りている部屋に客が来ているとの伝言があった。アリアとライルはまだ戻ってきていなかったので、子どもたちに伝言を頼んで部屋へと向かう。
この早さなら来たのはおそらくとの予想通り、部屋ではフェイとトマルが話していた。
「おう。ひとまずおつかれさん」
「トマルさんも」
こき使われるの言葉通り、相変わらず連絡係をさせられているようだ。リルダヴよりは手間はないかと思いながら、リーはフェイの隣に座る。
「ウェルトナックには伝えてきた。夜のうちにこっちへ来ると言ってたから、明日の朝に迎えが来ることになる」
リーが座るなり話し始めるトマル。ウェルトナックたちもひとまずは安心できたかと思い、リー自身もどこかほっとする。
「帰るのは夜になってからになるだろうから、リーはそれを待ってから馬で、フェイは飛んで本部に戻れ。メルシナへはそのあとだ」
「わかりました」
そのあとメルシナ村へどういう手段で行くことになるのか、考えるまでもないそれをすぐに思考の隅へと追いやって、リーはトマルに礼を言った。
それから暫くで戻ってきたアリアとライルに、初対面のトマルは初めましてと一礼する。
「チェドラームトだ。よろしく頼む」
「アリアはアディーリアです!」
「ユーディラルです。ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「ごめんなさい!」
繰り広げられた会話に固まるリーに、鱗もやろうか、とトマルがにやりと笑う。
「改めて名乗るのも今更だなと思ってたんでな。ちょうどよかった」
「トマルさん…」
人の世で暮らすうち龍にとっての名の意味も変わってきているのではないのかと、そんなことを思いつつ。
それでも示された己への信頼をありがたく受け取り、リーは本部へと帰るトマルを見送った。
宣言通りソリッドと五人で夕食を取り、部屋に戻ってきた一行。部屋はテーブルとソファーを挟んでベッドが左右二台ずつ並ぶだけのものだが、大人の自分たちがいるからか、あてがわれた部屋は子どもたちの部屋よりはテーブルがある分少し広い。
ベッドに座ったリーの隣にぴっとり寄り添って、ここぞとばかりに甘え始めるアリア。
「そういや、なんで抜け出したりしたんだ?」
わからぬままだった家出の理由を聞くと、アリアは拘束したままのリーの腕をぎゅうっと抱きしめた。
「…リーに会いたかったの」
「じゃあなんで俺に気付いてたのに来なかったんだ?」
「遠くで会えれば帰る間ずっと一緒にいられるから」
沈む声と裏腹にしがみつく力は増し、縋るように身が寄せられる。
「…たくさん迷惑かけてごめんなさい」
今回こんな騒動になってしまったことはアリア自身深く反省しているようで、しゅんと視線を落としてごまかすことなく謝ってくる。
「こんなことになるなんて、思ってなかったの」
「そうだな、確かにアディーリアが謝んなきゃなんない相手はたくさんいるな」
小さな頷きとともに、下を向いたままのアリアが腕を解放した。自由になった手でアリアの頭を撫で、でも、と続ける。
「感謝してくれてる人もいる」
うつむくアリアから零れる雫。顔を隠すようにリーに抱きついた。
「…心配かけたのは、まぁ、あれだし。皆無事だったから言えることなんだけど」
ソファーに座るライルに視線をやると、少しうつむきがちにテーブルを見ている。子どもたちの前では落ち着いた様子であったが、やはりまだ思うところはあるのだろう。
―――しかし、それでも。
「よかったよな」
助けられた人がいたこと。それは誇っていいのだと。
ますますしがみつくアリアの頭を撫で。微動だにしないライルを見つめて。願うように、呟いた。
リーが自分を見ているのはわかっていたが、ライルは顔を上げなかった。
ずっと心配をしてくれていることも、何を伝えようとしてくれているのかも、ちゃんと頭ではわかってはいる。
リーとレックス、それにソリッドにヤト。自分を取り巻く人はどこまでも優しい。それなのに。
抜けない棘のように心に刺さったままの感情。
皆がそうではないとわかっているのに、どうしても拭いきれない思い。
リーには話せぬそれを抱え、ライルはうなだれる。
―――生み出したその者も周りも喰らい、膨れ上がる悪意。
あの時自分は。
それを生み、平然とその中に身を置く『人』に、恐怖を覚えたのだ―――。




