見送る背に
聞こえた声に振り返ると、近付く灯りが映った。もしかして、と、ソリッドはリーを見る。
「保安員だな。あぁ、お前に少し頼みたいことがあって」
「俺に?」
予想通りの答えを返すリーからの、突然の要請。
自分にとっては命の恩人。保安員が来れば捕まる自分だが、それでもできることがあるのなら。
そう即答したソリッドに、リーは心配すんなと笑う。
「話せる事情はあとで話すけど、今は時間ないから。とりあえずここのことはお前から聞いたってことでよろしく」
さらりと告げられた内容は、事実とは大きく違っていた。
「通報も、最終的にはお前がしたことになるかもな。まぁ悪いようにはしねぇから、ハイハイ頷いといてくれ」
「はぁ??」
思わず立ち上がりかけたものの、身体の痛みに顔を顰める。無茶すんな、と言ったリーが、ふっと真顔に戻った。
「頼むソリッド。アリアとライルのことは表に出せない。今は嘘も混ざるけど、事実はちゃんと伝わってるし、了承も得てる」
真摯なその眼差しは決して何かを企んでのものではなく、必要であるからなのだと伝わるもので。
保安に虚偽を報告するなど普通は罪に問われるのだが、拒む理由はソリッドにはなかった。
「わかった」
何がなんだかはわからないが、そうすることが必要だということはわかった。
ためらいのないその返答に、リーは辞色を和らげ、ありがとうと呟いた。
ほどなく保安員の制服姿の男たちが五人、木々の奥から姿を現した。一番前の若い男がリーの下へと駆け寄ってくる。
「リーさぁん!! やっと見つけましたぁ」
ランタンの灯りでは少し暗く見える、飴色の髪と灰色の瞳の保安員。リーと変わらぬ身長に男にしてはかわいらしい顔付きも相まって、よくて成人したばかりのようにしか見えない。
リーの前まで来た男は、リーと隣のフェイを見たあと、座り込んだまま見上げるソリッドを凝視する。
ソリッドが口を開きかけた、その時。
「セルジュ。状況もわからないうちから大声を出すな」
うしろから来た中年の男がそう窘めてから、リーに軽く頭を下げた。
「この隊の責任者のモートンです。協力感謝します」
「請負人のリーです。隣は連れのフェイ。こちらこそ、迅速な対応感謝します」
白髪交じりの朽葉色の髪に深い紫の瞳の男へとそう告げ、リーは簡単に状況を説明する。うしろの三人に捕まえた男たちの確保を指示したモートンは、次いでソリッドへと眼差しを向けた。
「怪我をしていますね。まずは手当てを。セルジュは向こうでリーさんに聞き取りを」
「わかりましたぁ」
セルジュのいい返事をそのまま受け流し、モートンはソリッドの手当てを始めた。
「じゃあリーさん、あっちで話聞かせてくださいねぇ」
微笑むセルジュの灰色の瞳がきらりと輝きを増す。
「僕も聞きたいことがあるんですよねぇ」
瞬間ぞわりと奔る悪寒に、リーはセルジュから目を逸らせないまま無言で頷くことしかできなかった。
「聞いてねぇぞ」
モートン、というよりはソリッドに聞こえないよう距離を取ってから、いきなり取り繕うのをやめたセルジュがぼやく。かわいらしい顔から吐かれる荒い言葉にリーは苦笑するしかなかった。
「俺だって半信半疑でしたから。って、ローザルに向かうのはジャイルさんにも話してましたよね?」
「うるさい。今はセルジュだ」
「まるっきりジャイルさんじゃないですか…」
「セルジュだっつってんだろ」
溜息混じりに呟くリーを睨みつけたセルジュは、そのままフェイへと視線を上げる。
「大体お前もお前だ、エルトジェフ。バカ正直にこいつの言うまま垂れ流すんじゃねぇよ」
フェイを龍の名で呼んだセルジュは、何も言わず見下ろすフェイにわかってんのかと吐き捨てる。
「こんな便利な奴、ほかの奴らにバレたらいいように使われるに決まってんだろ」
「便利って…」
あまりの言われように、もう苦笑も浮かばない。
新米保安員のセルジュの姿をしていても、態度は銀髪銀目の保安協同団幹部のジャイル。団内唯一の龍は、面倒臭そうにふたりを一瞥ずつする。
「で、なんでこっちだって知ってた?」
「だから、マルクさんから言われただけで…」
そうとしか答えようがないのだが、言うなりチッと舌打ちされた。
「フィエルカームの野郎…黙ってやがったな」
聞こえてしまった名は聞こえなかったことにする。
「まぁいい。あいつは保護対象だな?」
モートンと話すソリッドをちらりと見やるセルジュ。
「あともうひとりがエフィルにいるそうなんで、詳しく聞いてください。俺はアディーリアたちを追います」
「わかった。こちらもすぐに追う」
子どもがほかに八人いることは、もちろんセルジュも聞いている。急ぐ必要性を感じているのはお互い様だった。
セルジュと一緒にモートンたちの下へと戻ると、手当てを受けている間に何やら話をされたらしく、ソリッドは少し戸惑いを浮かべながらリーを見上げていた。
「…ふたりをお願いします」
迷った挙げ句の一言に、わかってるとリーも頷く。
「ヤト、だったよな。そいつのことも保護してもらえるから。詳しく話しとけよ」
ぐっと言葉を詰まらせて、ソリッドはうつむき頷いた。
「モートンさん、あとはお願いします」
「任せてください。お気をつけて」
すぐに返されたその言葉に礼を言い、リーはフェイを促し歩き出す。
離れる足音に、ソリッドが顔を上げた。
「リーさんっ! フェイさん!!」
それ以上言葉にならず、ただふたりを見つめるソリッドに。振り返ったリーは笑みを見せて手を上げた。
「連れてくるから。待ってろよ?」
再び背を向けて歩き出すリーたちの背中を見送りながら、ソリッドは拳を握りしめる。
自分がここの一員であったこと、そしてアリアとライルを拐って監禁していたことも知られていた。
それでもなお、ここの情報を売ったという体で酌量を約束された。あとは事情を調べてから罪の重さは決まるらしい。
それでいいのかと問う自分に、モートンは表情を変えないまま、いいと返した。
自分たちは何も罪人を作りたいわけではない。許せる罪は許し、更生できるならそれを助ける。そうでない者が多いからこうなってはいるが、本来はそうあるべきなのだと。
なぜ罪を犯した自分が会ったばかりの保安員にそんな風に受け止められているのかわからず戸惑っていると、モートンは仕方なさそうに息をついて。
お前たちは誰よりも見る眼のあるモノに認められているだろう、と教えてくれた。
告げられた言葉の意味は、正直わからないけれど。
誰が認めてくれたからなのかは、なんとなくわかった。
遠ざかる背が闇に紛れ、そのうちランタンの灯りも見えなくなった。
自分よりも頭半分小さなその男は、惑う自分とは比べ物にならないくらいにまっすぐ前を見据えて立っていた。
(…あれがアリアの一番大事な人、か)
自分にああはなれない。
しかしそれでも。自分を認めてくれたふたりの思いに恥じないようにいられたら。
大丈夫だと信じてる。信頼してる。そう言ってくれたふたりに応えられたら。
まだ犯した罪すら償えていない自分に、一体何ができるのか。まだ、わからないけれど。
今はただそう思い、闇に戻った行く先を見つめていた。




