兄と妹
早朝というにもまだ早い時間。暗がりの街道を行く小さな姿がふたつあった。街道の端ぎりぎり、等間隔に植えられた木の下を手を繋いで歩いている。まだ夜明け前、闇の中だというのにその手にも荷にも灯りはなかった。
金髪に金の瞳の少年と少女はどちらも十歳にも満たぬように見える。落ち着いた様子の少年も、ふわりとした金髪を背に垂らした少女も、ともに旅装束というには簡素な服で荷もほとんど持たず、見ようによっては着の身着のまま出てきたかのようだった。
どう見ても異様なふたりだが、それを気にする人目も今はなく。
見咎められることもなく早足で歩く少年に、もはや小走りの少女が続いていた。
「早すぎる?」
振り返り問う少年に、少女はふるふると首を振る。
「大丈夫! 宿場町ってところまで、早く行った方がいいんだもんね」
「その方が向こうも動きにくいだろうから」
わかった、と頷く少女。直後走る足が少しもつれ、つまずくように前のめりになった。
「アリアっ!」
ふわりとまるで重さなどないように両足が地面から離れた少女を、少年が慌てて引き寄せる。
「ごめん」
「ううん。ありがとう、ライルお兄ちゃん」
手を引かれて着地した少女は金の瞳を細めて笑った。
格子状に東から白黄橙赤紫青黒、そして北から一番、二番と続き七番まで、七本ずつの街道が通る。その街道が交差する位置には宿場町があり、請負人支部を始め、様々な施設や店が並んでいた。
黄の街道と六番街道との交差部にある宿場町、黄の六番の宿場町に辿り着いた幼子ふたり。
「いくらなんでも、ちょっと早く着きすぎたかな」
時刻はまだ夜が明けたところ。町に入る前で足を止め、ライルが困ったように呟く。
「急いでもらったのにごめんね」
「ううん。楽しかったよ」
にこにこと、嬉しそうに応えるアリア。
まだ店も開いてないだろうからと、町に入るのはもう少し待ってからにした。ふたりは並んで街道脇の木の下へと座る。
「そろそろ気付かれてるかな」
木々の隙間から白んでいく空を見上げての、ライルの呟き。
「すぐには出てこれないと思うんだけど」
不安気に身を寄せてくるアリアに、ライルは大丈夫だと笑みを見せる。
「リーに会うまで。頑張るんでしょ?」
兄が口にした名に、アリアはぎゅっと手を握りしめて頷いた。
「うん。絶対リーに会いに行くんだから」
決意の表情の妹に、ライルも頷き返した。
「あと、さすがにこれじゃ旅してるように見えないから、ちょっとここで買い物して。アリアも周りの人の服、ちゃんと見ててね」
「リーとお揃いにしたかったのに」
「請負人の服じゃ本格的すぎるよ」
請負人であるリーの服は旅をすることを前提とした、請負人ならではのもの。一般では手に入らない。
「はぁい」
「買い物しにくいから僕は一旦大きくなるけど。アリアは喋らなくっていいからね」
そう言ったライルが、辺りに人の気配がないことを確かめた上で木々の影へと身を隠す。瞳を閉じたその身体が瞬く間に大人の肩ほどの大きさの龍の姿へと変わった。水龍である証の水色の鱗を全身に纏った龍は、深い青の眼を開く。間を置かず、その体が今度は人の大人のそれになった。歳の頃は十七、八。水色の髪と青い瞳が元通りの金色へと色を変える。
「おかしくない?」
自分の姿を見回すライルに、アリアはうんうんと頷いた。
「うん。リーみたい」
微笑み合うライルとアリア―――その本来の姿は、水龍の兄妹、ユーディラルとアディーリア。
人に姿を変えたふたりは、棲んでいるメルシナ村から一番近いこの宿場町にいた。
「もう少ししたら入ろうか」
「うん! 楽しみ!」
満面の笑みのアリア。嬉しそうな妹に、ライルはその頭を撫でてまた隣に座った。
町の中で人の気配が動き始めてから、ふたりは町へと入った。
まっすぐ伸びる道の両側は様々な店が並び、街道の交差部である中央の広場を経て反対側まで続いている。広場で交わるもう一方の道沿いも同様に、端から端まで店が並ぶ。広場周りには請負人組織の支部や宿屋、食堂など、人の集まるものが多い。
初めて見る人の町に、アリアは嬉しそうに瞳を輝かせて忙しなく左右を見回し歩く。その手を引きながら、ライル自身も興味深そうに辺りを眺めていた。
「楽しいね! ライルお兄ちゃん!」
笑みが零れて仕方ない様子のアリア。軽すぎる足取りに、ライルは立ち止まりアリアの両肩を押さえる。
「わかるけど。落ち着いて?」
諭すように言われ、はっとした表情でライルを見返して。再び差し出された手を握り、アリアは今度こそゆっくりと歩きだした。
龍であるふたりには、食料はもちろん野営道具も防寒具も必要ない。しかしそれでも人を装うためには用意したほうが無難だと思い、目についた旅用具を置く店へと入った。
「兄ちゃんひとりじゃねぇんだ?」
野営用の食器をふたつずつ買おうとすると、店主にそう尋ねられた。
「はい。妹とふたりで」
頷くライルに、店主はアリアを一瞥する。
「そんなちっこい子連れてか?」
「預けられる人もいないので」
ぎゅうっとライルにしがみついて見上げるアリアに、大変だな、と店主は笑った。
「その子を連れてくなら、オルストレイト辺りは避けて行った方がいいぞ」
「オルストレイトですか?」
オルストレイト地区は赤の五番と六番、紫五番と六番に囲まれた地区。ここからだと街道二本、二区分西になる。
「最近子どもの行方不明が増えてるって、保安から注意が来てたんだ。ま、目を離さんようにな」
保安―――保安協同団は、農業や商業などの組合、請負人組織、そして鍛冶など職人を抱える技師連盟、それぞれから一部人員と資金を出して運営する非営利的な治安維持の集団である。請負人とともに動くこともあるが、基本保安は対人案件を受け持っていた。
釣りを渡しながらの店主の言葉に礼を言い、ライルたちは店を出る。東側から入った町を北へ、黄の街道へと向かっていた。
「こっちに行くの?」
「一応赤の六番と五番は避けようかなって」
歩きながらライルが答える。
「ただでさえ子どもふたりで歩くと目立つからね」
「ごめんね、アリアが重くなれないから」
しょんぼりするアリアに、気にしなくていいよとライルが頭を撫でる。
いくら姿形を偽っても、あくまで外側だけ。自分より大きくなるには重く、自分より小さくなるには軽くとその重さを変えるには、姿を変えることとはまた別の魔力を使う。
姿を変えることはできるようになったアリアだが、まだ重さを変えることはできず。元が大人の腕ほどの体躯しかない子龍であるアリアでは、子どもの体型でも軽すぎて不自然な動きをすることがある。ライルが大人の身長で手を引けば、少し強く引くだけで足が浮いてしまうのだ。なので体重偽装のできるライルもまたアリアと同程度の身長に留め、上へと引かぬよう高さと歩幅を合わせることした。
結果として幼子ふたりの道中となり、多少なりとも奇異の目で見られることになりそうではあるが。
それでも外に出てみたかった子龍たち。
手を取り、北門を抜け。
旅装束の幼い兄妹の姿で、北西―――請負人組織本部を目指して歩き出した。