誤算
閉じた扉を見つめ、ソリッドは愕然と立ち尽くす。
今起きたことが信じられなかった。
三日後のはずだったのに。
今日これから帰すつもりだったのに。
穏やかに微笑んだまま、連れていかれたふたり。
自分は一体何をどこで、間違ってしまったのだろうか。
最初の目的通りだなんて喜ぶ気持ちは微塵もない。
これで自分たちは助かるなんて思えるはずもない。
やっと、これでいいと思える道が見つかったのに。
やっと、この命に意味を見出だせたのに―――。
互いに我に返るまで、しばらく時間が必要だった。
「……ソリッド…」
ヤトの声に、ソリッドも大きく息を吐く。
「…どう、する…?」
落ち着かない頭で必死に考える。
今から橙五番の保安の詰所に駆け込んだところですぐに話を信じて動いてくれるわけもなく、逆にこちらが色々と聞かれ拘束されかねない。それなら自分で動いた方がまだ先手は取れる。
ふたりが連れていかれた先はアジトだろう。奥に監禁用の部屋があるので、そこに閉じ込められる可能性が高い。
自分たちも戻れと言われたということは、アジトの中までは問題なく入ることができる。
もちろん奥に見張りはいるだろう。だがそれさえどうにかすれば。
―――連れていかせるつもりはなかった。
帰してやるはずだった。
怖い思いはさせたかもしれない。それでもまだ、間に合うのなら。
もう一度息を吐ききり、まっすぐにヤトを見る。
「…俺が行く。ヤトはその間に姉さんを」
「ソリッド!」
「ここを逃すともう無理だろ。今なら監視も緩んでるかもしれねぇ」
「でも…!」
「同時じゃねぇと無理だっつってんだろ!」
アリアとライル、そしてヤトの姉。どちらかを押さえられた時点で手詰まりなのだ。
「そっちはお前に任すしかねぇんだから。こっちは任せろ」
どちらも助けたければそうするしかないことは、ヤトだってわかっているのだろう。
そして同時に、その選択が自分に何を迫るのかも。
泣き出しそうなその顔に、バカだな、と独りごちる。
「危険なのはお前だって同じなんだからな」
「…何、言って………」
それでもヤトが頷くしかないことはわかっていた。
だからせめて。
「…いつかまた、宿場町で、だろ?」
「……っのバカが…」
うつむいてしまったヤトから洩れた呟きに、バカはねぇだろと笑って返す。
「練り直すぞ」
これからどうするかを決めてから席を立つ。
テーブルの上に置かれたままの携帯用のカップを手に取り、ヤトが少し笑った。
「…アリア、いっつも水ばっか飲んでたな」
お茶を淹れると言っても水がいいと返すアリア。最初は熱いものが苦手だからかと思っていたが、冷めたお茶よりも水の方が好きらしい。
ライルもライルで、結局はアリアと一緒に水を飲んでいることが多かった。
「…そう、だな」
ひとつの椅子にふたりがきゅうっとくっついて座るのを、いつも向かいから見ていた。
懐かしさに目を細めそうになってから、それどころではないと首を振る。
「そういや、荷物って…」
何気ないヤトの呟きに、ソリッドはもちろん言った本人のヤトまで驚いて互いを見た。
慌てて左の部屋に駆け込んで、置きっぱなしの荷を改める。もしかすると身元がわかるようなものが入っているかもしれないと思ったのだが―――。
「…これ……?」
アリアがよく持ってきていた携帯用の水入れのほかは、ロープにランタンと火打石、野営用の皿や鍋など旅に必要なものではあるのだが、一切使われた形跡はない。食料はほんの僅か、そして必ずあるはずのものがない。
「…なんで服、一枚もないんだ…?」
雨風避けの外套だけは入っていたが、替えの服は一枚もない。
「でもふたりとも服変わってたよな?」
「いつも結構水持ってくから、湯浴みのときに洗ってるとばっかり…」
部屋の中を探してみるが、やはりなく。
改めてお互い顔を見合わせる。
初めから不思議な子どもたちではあった。
時折見せる子どもらしからぬ顔。閉じ込められても怖がりもせず、何度部屋の鍵を閉めてもいつの間にか開いていた。
それに今となって考えてみると、まるで連れていかれることがわかっていたかのような、ふたりの直前の言葉。
もしかしたら、人ではない『何か』であるのかもしれない。何もかも見透かすような眼差しに、そんなことまで考えてしまいそうになるけれど。
「…でも、あいつらはあいつらだ」
ぼそりとソリッドが呟く。
物珍しそうに色々聞いてきて。なんでもないことにはしゃいで。出された食事を美味しそうに食べて。時々、焦がれるように空を見上げる。
「自分たちの意思だの、大丈夫だの言われたって。心配なもんは心配なんだよっ」
面と向かって言えなかった、ここにいないふたりに向けての訴えに。
「…だな」
ヤトも表情を和らげ、ふたりの荷物に視線を落とす。
「子どもは大人しく心配されてろって、言っといてくれ」
再び荷を詰めながら。
それぞれに、この先の決意を固めた。
男たちに引っ張られながら、アリアとライルは歩いていく。アリアを引く男が少し怪訝そうな顔で見はしたが、普段子どもに接する機会がないのだろう、軽すぎる体重にも特に何も言われなかった。
森を抜けたところで二頭引きの馬車が一台と馬が三頭待っていた。馬車の客車部分は木造りの箱型で、後部の入口部分に外開きの覗き窓が作られている。主に家畜や小型の魔物の運搬に使われるそれに、アリアとライルは押し込まれた。
扉が閉まると隙間からの僅かな光しかなく、中はすぐに暗闇に覆われた。片隅からいくつも泣き声がする。
龍であるふたりは夜目も利く。中に六人の子どもたちが座り込んでいるのを確認し、ひとりずつ声をかけ、手を取って、皆を一処に集めた。
「今は大人しくしておこう。僕が前に立つから、皆は静かに待ってて」
「大丈夫! 絶対助かるからね」
ふたりの言葉は突然拐かされ連れてこられた子どもたちにはまだ届きはしなかったが、それでも少し泣き声が収まる。
「アリアはね、アリアっていうよ」
「僕はライル。よろしくね」
落ち着かせるように優しく言葉をかけ、ふたりは皆の手を集めて包み込む。
「皆無事に帰ろうね」
優しく、しかしはっきりとアリアが言い切った。
皆を背に庇うような位置に座って、ライルは考える。
アリアとふたりなら、ソリッドたちが逃げた頃を見計らって自分たちも逃げればいいだけだった。人のいないところまで逃れれば、あとは自分だけ龍に戻ってアリアを背に乗せて飛べばいい。
しかし、今ともにいる子どもたち。怯え悲しむ幼子を置いていくことはできなかった。
一番幼い子が五歳ほど、あとはさほど変わらず、七、八歳というところだろう。彼らを連れて逃げるなら龍に戻らず済む方がいいが、この人数の子どもを連れてこの姿のまま逃げ切ることは難しいとわかっていた。
もちろん一旦アリアとふたりで逃げてから、リーのような事情を知る者を連れて来ることもできはする。しかし自分たちが逃げたあと残った子どもが何をされるかわからず、そもそもアリアも承知しないだろう。
この馬車がどこかわからぬ目的地に着く前に。
今までにない焦りを感じながら、ライルは己にできることを模索し続けた。




