人の世とその中での龍
明日も朝からの出発だからと、さほど長引くこともなく夕食も終了となった。
前回はウェルトナックから渡された割札代わりの書面も、今回は既に本部に預けてあるそうだ。
支部で受ける普通の依頼とは違い、リーが受けることが決まっている依頼。しかも依頼主が龍ともなれば、口約束だけでも支障はないのかもしれない。
子龍たちを池に戻してから自身も龍の姿へ戻ったウェルトナック。水面から頭を出し、傍へ来いとリーを呼ぶ。
「何?」
「…ユーディラルのことだ」
アディーリアとともに池を出た四男の名を告げ、ウェルトナックは息をつく。
「少々心配でな」
「心配って…」
リーの印象では、ユーディラルはとても落ち着いていて冷静に周りをよく見ている子龍だった。こう言ってしまうと申し訳ないが、正直カルフシャークよりもしっかりしている。
先程の話からすると、順番からしてユーディラルも戦うための魔力の使い方は学んでいないのだろうが、ウェルトナックが心配しているのはそのことではなさそうだった。
「あいつは色々とそつなくやるんじゃないのか?」
リーのうしろからのフェイの声に、ウェルトナックは苦笑を見せる。
「だからこそ、だ」
懸念を滲ませ、ウェルトナックは深く息をついた。
「ユーディラルは…儂が言うのもなんだが、よくできた子でな。知識もあり、判断力にも優れてはいる」
その評価はリーの持つユーディラルの見立てと同じく。おおよそ心配するようなものではない。
「だったら…」
「だが、あやつは知識でしか人を知らぬ」
きっぱりと、ウェルトナックが言い切った。
「リーに聞かせるのはどうかとも思うが、人は悪意なく悪事を働く。抱く気持ちが、その性質が、そのまま行動に繋がらんのだ」
少し曇るその表情に、気にしてないと首を振って。
「…わかるよ」
嬉々として手を染める者ももちろんいる。何も考えずに行動した結果という時もある。
そして、罪悪感に苛まされながらもそうするしかない者も。
自分は魔物を相手とする請負人であって人を相手とする保安員ではないが、それでも依頼をするのは人である。依頼の裏に人の思惑が絡むことも、もちろんあるのだ。
「いくら目の前に人がいても、その印象と知識からは測りきれぬことがある」
重ねられる言葉に、リーもようやくウェルトナックの懸念を察した。
「おそらくユーディラルは今まで大きく読みを外したことも行き詰まったこともない。己の判断に疑いなど持たぬだろう」
そんなユーディラルが予想外の状況に陥った時、果たして変わらず考え動くことができるのか。
追い詰められた状況で最良の選択をすることができるのか。
「外にいるのは龍ではない。自分の行動が与える影響がどれだけ大きいかを、あやつはまだわかっておらぬ」
静かに続けるウェルトナック。
人の世で過ごした龍であるからこそ知るのだろう、その力の大きさと、人の世の窮屈さ。
それを、龍に囲まれ暮らしてきたユーディラルが知るはずもなく。
「限られた中で動くことは、思っているより容易くはない。最善がわかっていても選択できないこともある」
「…ユーディラルなら、ちゃんと考えるだろ」
選ぶことのできる選択肢を組み合わせて切り抜ける方法を探すことができるだけの能力は、疑うまでもなくユーディラルには備わっている。
頷くものの、ウェルトナックは渋面のまま。
「かもしれんが。あやつは今ひとりではない」
少し遠くを見るような、そんな眼差しで嘆息する。
「……あやつはアディーリアには甘い。できるだけ望むとおりにしようとするだろうが」
「それはカナートも同じだろう」
間髪入れずのフェイには抗議の視線だけを向け、だから、と零す。
「直感で動いてしまうアディーリアの選択は、ユーディラルにはないものだろうからな…」
傍目にはしっかりしているように見えるユーディラルに対してもこうして心配が尽きぬ辺り、ウェルトナックも子を持つ親であるのだなと思いながら。
「…組織からなんて指示が出るかわかんないけどさ、アディーリアが困ってるようならすぐ向かうよ」
リーには自分にできることを示すことしかできなかったが、それでもウェルトナックは少し安堵を見せ、ありがとうと返してくれた。
翌朝、立ち去るリーとフェイを総出で見送るウェルトナックたち。
「よろしく頼む」
自ら探しに行けぬからこそのもどかしさも、何よりふたりへの心配も、もう十二分に伝わっている。
「ああ。任せとけ」
だからこそ言い切り、リーは並ぶ皆を見る。託してくれる眼差しの中、まだ少しだけ残る後悔の色に気付いた。
「オートヴィリス」
前にしゃがみ込むと、オートヴィリスは眼を伏せる。
「…ふたりをお願い」
あの時追いつけなかったことを未だ気にするオートヴィリスに、リーは大丈夫だと笑いかける。
「ふたりを連れて依頼完了の報告に来るよ」
手を伸ばし、頭を撫でて。あとは頼むとウェルトナックに視線をやると、わかっていると頷きを返された。
再び立ち上がり、改めて皆を見てから。
「行ってくるよ」
せめて少しでも安心して任せてもらえるように。迷いは見せずに強い声で。
ふたりの家族の願いを受け取り、リーは池をあとにした。
並ぶ木々の向こうへと立ち去るリーとフェイを見送って。
ウェルトナックは逃げるように池底に潜ろうとするオートヴィリスを呼び止める。
ふたりを探しに行ってくれたことを再度労い、自分たちが行けなかったことを詫びた。まだ吹っ切れた顔ではなかったが、それでもオートヴィリスはわかっているのだと応えてくれた。
水底で兄弟たちに構われる様子を見てから、ウェルトナックはメルティリアとふたり、水面から遠く思いを馳せる。
例えば近場でもふたりの外出を認めてやりさえすれば、こんな騒動にならなかったのかと思う一方で。
こうして助け支えてくれる存在があることを嬉しく思う。
「ウェルトナック…」
心配そうなメルティリアに寄り添い、大丈夫だと告げて。
「リーたちを信じよう」
あとはただ我が子と友の無事を、ウェルトナックは願った。
メルシナ村の村長に帰ることを告げてから村を出たリーとフェイ。
組織からの迎えがどこに来ているのかはわからないが、とりあえず街道、それまでに会わなければ黄の六番を目指すことにする。
村と森の間に広がる畑は半分以上何も植えられていなかった。今は五の月。ここの畑の大半を占める小麦を植えるまでにはまだ一月近くある。
五十日ごと七つの月、そして七日間の合の月からなる一年。一年で最も寒いといわれる寒の日から始まる暦ももう後半だった。
少し寂しい景色の中を歩きながら、リーはアリアの様子を窺う。
場所はずっと変わらない。何かに興味を引かれているような、かつ楽しそうな様子も変わらない。
(…心配かけやがって)
ウェルトナックもメルティリアも兄たちも、皆それぞれに心配している。
片割れである自分にはアリアの居場所が正確にわかるのだから、本当ならまっすぐふたりのいる場所に乗り込んで首根っこをひっ捕まえて戻ってくるのが一番手っ取り早い。しかし組織から待ったがかかっている以上勝手はできず。
待たせることを申し訳なく思いながら、リーは焦る気持ちを歩調に変えた。
畑を抜けて森に入ったところで、少し奥に見覚えある姿を見つける。
明るめの橙色の髪に黄がかった緑の瞳のエルフは既にリーたちに気付いていたようで、招くように手を挙げた。
「ヴィズさん」
名を呼び、リーが駆け寄る。
前回の騒動でマルクに呼び出されたときに、ミゼットとともに同席していたエルフのひとりであるヴィズ。もうひとりの同席者だったクフトの外見は三十代だが、こちらはミゼット同様どこからどう見ても二十代にしか見えなかった。
「久し振り。僕が来た理由はわかってるね?」
挨拶もそこそこににっこり微笑んでそう言われ、リーはぎこちない動きで隣のフェイを見る。フェイはフェイで、リーには見えていない何かを見ていた。
視線の先はヴィズのうしろ。そこに何がいるのかなど、最早考えるまでもない。
今から己の辿る運命を察したリーは、肩を落として深々と溜息をつくしかなかった。
 




