小萩のなみだ
いよいよ、最終日が近くなったので、ドンドンと投稿します。
宜しくお願いします。
その日の夜更けのことである。
小萩は自室に籠り、無心で経を写していた。
すると、誰かが入ってくる気配がする。
「御父上ですか……? 心配なさらずとも、若い者達で御経を用意しておりますから、先にお休み下さいませ! 」
と、部屋に入って来た満仲様を見るなり声を掛けた。
「いや、我も眠れんので、ここに来たのじゃ」
普段から、満仲様は用が有っても無くても小萩の処にフラリと現われ、ちょっかいを出しては怒られて帰っていく。そこで別に驚きもしなかったが、その夜の満仲様はいつもと雰囲気が違っていた。
「ほう、源賢もそなたには文を忠実に送っておるのう」
文机で粛々と写経に勤しむ小萩を尻目に、満仲様は机の上の書き損じの紙や、もう要らなくなった手紙の紙束に目を走らせている。
「ちょっと、父上! どさくさに紛れて何をなさいますか? 」
しっかりチェックしている満仲様に気付いて、さすがに小萩も抗議した。
「何じゃ、わざわざ比叡山から御坊様達がいらしたかと思えば、源賢の策によるものか」
「父上、策などとおっしゃるのは心外です。あれでも源賢は僧なのですから、父上の後のことをいろいろ考えて出家の手筈を調えてくれたのです」
そう言うと、満仲様は困ったように苦笑している。
子供達の気遣いが、決して嫌なわけではないのだが、いつまでも親としてのプライドが邪魔で素直に喜べない満仲様なのだ。
「……えっ、ちょっと! まだ見ていたのですか、いい加減、良い年をして悪さをするのは止めて下さいませ」
ちょっと大人しくなったと思ったら、また、満仲様は他の手紙を盗み見ていた。
紙が貴重なので、古い手紙の裏でも使えまいかと出しておいたのが間違いの元である。
まんまと親父にプライバシーを侵害されるとは!
小萩は急いで手紙の束を取り返したが、一通だけ取り返し損ねた。
それは他の物よりも明らかに上質な紙が使われている物だ。
「何じゃ、随分と洒落た歌が書かれておるではないか、小萩もやるのう! 」
手紙を開くと、満仲様はニヤリと笑う。
「それは、権佐中弁様からいただいたものです」
小萩は少し悲しそうに目を伏せた。
「何と? 式太殿の歌なのか! そなた、まだそのようなものを持っておるのか」
"式太"とは、藤原惟成の字である。
そしてそれは、小萩の別れた夫だった。
惟成は、つい先頃まで在位していた花山天皇の乳母の息子で、幼い時から帝の側に仕えていた人物だ。
そこで即位と同時に帝をサポートするべく、どんどん出世することになった。
そして満仲様は、そんな惟成の有望さに賭ける目的で小萩を嫁がせたのである。
花山天皇というと、平安時代後期に成立したといわれる歴史物語 『大鏡』 の影響から、女性好きで、情動的なイメージが強い。
また、後ろ盾になってくれる外戚たちも流行病等でほぼ亡くなっていたので、孤立無援の状態だった。
当然、周りに親身になって支えてくれる身内がいない状況下では、乳兄弟である惟成の存在は大きかったのだろう。
もともと官吏としても優秀だった惟成は、五位蔵人から、やがて検非違使の左衛門権佐や権左中弁を兼帯するまで出世したのである。
だが、それは花山帝に味方がいない、アウェイな政権だったことの裏返しなのだ。
案の定、花山天皇の時代は二年程の短期間で終わってしまった。
『大鏡』 には、天皇が愛した女御・藤原忯子が妊娠中に死亡したので、供養する為に出家したがっていたところ、対抗勢力である藤原兼家の息子・道兼にそそのかされ、こっそりと御所を抜け出すと、元慶寺(花山寺)で出家してしまう話が書かれている。
冷静に考えても、まだ十九歳程の若い天皇が僧になる道を選ぶなんて悲しすぎる話だと思うが、実際の社会ではそれだけでは済まない。
もともと望まれない政権のサポーターであった惟成も、帝に従って出家することになったのである。
そして、そんな理由から、十八歳になったばかりの小萩も、僧の道を選んだ夫に離縁されてしまったのだ。
だが間抜けなことに、その原因を生み出す一端を担ったのは他でもない満仲様達・源氏の武士だった。
花山天皇が出家の為に寺へ向かう途中、天皇の安全を守る為の護衛を? いや、邪魔が入らないように"護送"の役目を果たしたようである。
確かに、小萩は出戻ったが、……それでも五分五分の成果は得られただろう!
と、満仲様は考えていた。
花山帝の御代が終わっても、それに敵対している藤原兼家や、その孫にあたる懐仁親王(後の一条天皇)に恩が売れるからだ。
満仲様にとって重要なのは、その行動に正当性があるかとか、大義がどちらにあるかではない。
あくまでも、どちらに付けば一族が繁栄するのか、それが最も大事なことなのである。
そこで、そのために少々汚れた仕事をすることになっても仕方ないと思っていた。
だが、満仲様とて人である。小萩に対して心が痛まないわけではなかった。
「小萩よ、此度はすまんかったのう。まさか、あのように容易く婿殿が出家するとは思わなんだ。……その気があれば、喜んで我が地に迎えたものを! 」
離婚して、一人になった小萩が多田の地に帰ってきた日のことだ。
満仲様は、いつもの偉そうな態度とは違って、随分と申し訳なさそうに小萩を迎えた。
「……いいえ、良いのです。むしろ、あの方らしい潔い御決断だったと思っております」
そう言いながら、小萩は笑ったのである。
「そうか、あまり沈んでおらんようで何よりじゃ、……ならば、また嫁に行かんか? そなたはまだ若い。右大臣の側腹の子などはどうじゃ? 」
「もう、何をおっしゃるかと思えば、……あまり端ないことは言わないで下さい! 」
今度は真剣に怒り出した。
すると、怒られながらも満仲様は目を細めて笑っている。
「……私は、やっとここに帰って来たばかりなのですよ! 」
だが、小萩の声は怒りながらも、だんだん震え出した。どうやら泣いているようだ。
さすがに、これには百戦錬磨の強者である満仲様も心が痛むのだった。
小萩には、幼少の頃から辛い思いをさせてきたからである。
天延元年(973年)の四月二十三日、満仲様が越前守の任期を終えた頃のことだ。
都にあった邸宅が、再び強盗に襲われた。
記録を見る限りにおいても、この時の賊の手口は、十二年前とは比較にならないほど、はるかに手荒なものだったようである。
彼らは集団で邸を取り囲むと、一斉に火を放ったからだ。
やがて、その炎は満仲邸だけに止まらず、周辺の建物にまで燃え広がり、結果として三百余りの家々を類焼させることになった。
よく考えてみると、邸を包囲して放火するなど、素人技ではない。それはまるで戦い慣れた東国の武士団の仕業のように思えたからだ。
……確かに、今までやり過ぎてきた感じはあるが、これほど恨まれているとは思わなかった。
この時は、さすがの満仲様も凹んだのである。
そして、それだけではなく、近所に住んでいた満仲様の友人も、賊との応戦中に弓で射殺されていた。
そして、その"忘れ形見"が小萩なのである。
……小萩の人生は、我のせいで、ずっと波乱万丈のままだ。
そう思うと、鬼のように恐れられている満仲様でも切なくなるのだった。
まだ、続きます。
次は投稿に少し時間が掛かるかもしれませんが、
宜しくお願いします。