引っ越し蕎麦の文化って、実在するんですか
シンと静寂が、空間を支配する。
フィオナは、高まりすぎた内圧を下げるように細くけれど強く息を一度吐いた。
「…………ごめん、声あらげちゃって」
「いや」
正義なんかよりよっぽど正義感のつよい少女に、気にするな、と手をヒラヒラ振る。
龍華院フィオナという少女には、理想がある。龍華院には定められる将来がある。
正義はそれを知っていて、そこが彼女を好ましく思う理由のひとつだということにも、気づいていた。
「とにかく、俺をさっき襲撃してきた連中は、その外道共ってことなんだな」
「そうね」
「だけど、お前らが捕まえられているのは、そいつらの下っ端だけで、肝心の扇動してる側まではたどり着けてない、つーことだな」
フィオナは頷きつつ、なんともいえない目つきで正義を見つめる。
「そこまでのことは、わたし言ってないんですけど」
「お前な。 俺がどんだけ、そういう感じの奴らに絡まれて来たと思ってるんだよ」
「嫌な慣れ」
間違いない。
「あと、ずっとお前のこと、見てきたし。それで、お前が動いている理由はその、外道なトップ、かは分からないがその組織の幹部とかは、相当に力を持っているという理解で大丈夫か?」
「しれっと、すごいこと言われた気がするんだけど、気のせい? というより、そいつらが雇っている連中ね」
机の上に、ファイルが一冊置かれる。開いてみると、写真が数枚挟まっていた。流し見して、背筋にぞくりとしたものを感じる。
その写真に写る連中には、本来ならば目があるはずの部分がなかった。
顔の上半分が、のっぺりとして凹凸が失われている。
「″正体不明″ それが、こいつらの通り名。 さっき言った子供たちを拐ったのも、恐らくは」
「本来の顔は?」
「分からない。 写真なんかの記録すらもねじ曲げられる、強力なエスリプトがいる、ってことだけは有名ね」
それ故に、″正体不明″なのだろう。
「まあ、君のことだから、どうせまた変な連中に襲われることになると思うし、その時に『なんか顔見づらいなー』と思ったら、すぐに倒さずにお近くの風紀委員詰所へどうぞ」
「無茶な」
そんな余裕は、無いはずだ。
「無茶でもなんでも、手がかりが無さすぎて……。 チンピラにもすがりたい気分なのよ」
「すがり先、わらの方がましだろ」
「でも、君の二つ名をわらに変える訳にはいかないし。 気に入ってるみたいだから」
「自由意思で、チンピラって呼ばれるようになったんじゃねえよ!」
売られた喧嘩を全部買って、ついでに倍返しをしていたら、勝手に付けられてしまったのだ。
「君みたいに、わたしも手がかりが向こうからやってきてくれたりしないかしら。 …………あれ?」
フィオナは少しの間虚空を見つめる。何事かを考えているようだ。
「君さあ。 一人暮らしだよね」
「ああ。 …………まて、何を考えた」
「え、手がかりほいほいの側にいれば、そのうち手がかりがこっちに来てくれるんじゃないかなって」
「やめろ!」
具体的にどう考えているかは分からなかったが、正義は思いっきり嫌な予感がした。
「どうも、隣人の龍華院フィオナです」
「やりやがった!」
「お近づきの印に、作りすぎたカレーです」
厄介な隣人ができてしまった。
実質的なプロローグはようやく終わりです。
次回からドキドキ学園生活編スタート