第漆話
懐かしい記憶を思い出したのも彼女ーー鐘紙と会うからだろう。
時は過ぎて、僕はもうあと1年で25歳になる。
もちろん彼女と僕は同い年だ。
待ち合わせ場所はとある居酒屋。
ひっそりとした場所なのでよく二人で待ち合わせをするのは定期的になっている。
いつも、着くのは僕の方が早い。
彼女は公務員だから仕方がないだろう。
定職についてない僕とは大違いだ。
周りがビールを飲んでいる中、僕はお猪口でチビチビと酒を飲むのも今では恒例行事の一つ。
いや、行事ではないかもしれないけど。
待ち合わせ時間はあと5分で過ぎる。
「おっ、相変わらず来るの早いね」
「暇だからな」
「ん〜、そういう意味で言ったんじゃないんだけどな」
「それは知ってる」
「それにしてもお酒だけ?」
「烏賊の塩漬けがある」
「その量はあるとは言わないんじゃないかな?」
「つまみに量を求めるわけないだろ?」
「晩御飯食べたの?」
「まだだが?」
「それじゃあ何か注文しなさいよ」
「人は一食抜いたくらいじゃ死なない」
「私は御飯を一食抜いている人の前で御飯を食べるほど肝は座ってないんですけど」
「なに、こちらがいいと言っているんだ。
今食べないと明日辛い思いをするんじゃないか?」
「それは日によりけりよ」
「それじゃあ明日がその日になるんですね」
「縁起でもないことを言わないでくださいよ」
「そうか?」
「そうですよ」
会話が途切れる。
沈黙に耐えきれなくなった僕は鐘紙に言う。
「注文しないのか?」
「しますけど、本当に食べないんですか?」
「奢ってくれるなら考えないでもない」
「はいはい、今回も私の奢りですよ。
こん畜生」
「女性が畜生なんて言っちゃダメでしょう」
「店員さん〜。
注文です」
そう言って店員に注文を始める鐘紙。
「それで誉瑠はなに食うの?」
「これで」
メニューを指で叩く。
店員はそれで了解したのか確認に入る。
「それでは注文は〜〜」
注文が終わったので店員の確認を聞き流しながらお猪口に口をつける。
あと少しになってきた。
料理が来たらこれも改めて注文することにしよう。
「それにしても」
「なんですか」
「あの頃とは随分変わったよな」
「何時の話ですか」
「いっつも聞き手に回ってた時とはぜんぜん違う。
物怖じ消すにズイズイものを言ってくるようになったなと」
「喧嘩を売ってるんですか?」
「おいおい、公務員ともあろうお方がこんなことに腹を立てて問題を起こすんですか?」
「煽ってるだろ」
「それはもちろん」
「酔ってるのかい?」
「そういう事にして貰えばと」
「なら、私も酔ってるんだね」
「なにがですか?」
「これから言う事は酔ってたんだ。
覚えてても記憶から抹消するように」
「ははー、御代官様の言う通りに」
鐘紙はこちらを半眼で見てくる。
なんか怖い。
「私もね、あの時は助かったのよ」
無視された。
「ちょっと、聞いてる?」
「もちろん」
「なにを言ったか一言一句漏らさず言いなさい」
「それは無理」
「それならもう言わないわ」
「……謝るから言ってくれない?」
「今度はちゃんと聞きなさいよ」
「……あぁ」
「私ね、あの時心が疲れてたのよ。
なにをやっても上手くいかないように感じて。
けど、あなたに話をした時、重苦が下りた気がしたのよ。
心の中でずっと蟠ってたものが重苦が
だからさ、君も話したい事があったら話してくれよ。
私は君に救われたんだから」
「……勇気が出たらな」
注文をしていた料理が来た。
マスクを取る。
割り箸を割り、一言。
「戴きます」
鐘紙もお茶を飲んだあと割り箸を割って、一言。
「戴きます」
そのあと食べ終わるまで僕たちは無言だった。
けど、その沈黙は決して嫌になる沈黙ではなかった。




