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終わる世界でⅢ(改訂版)

「お初に御目にかかります。わたくし、『神聖アナスタシア皇国』より使者として参りました。サーシャ・セプテム・メイガスと申します」

静々と響き渡った少女の『名』に、誰もが息を呑む。

誰もが周囲の者と顔を見合わせる。

「まさか、あれは」

「本物なのか」

「だが、『名』を騙ることは大罪だ……であれば」

思い思いの呟き。

薄らと微笑んだ彼女が懐から取り出したのは、黄金に輝く徽章メダリオン。同色の鎖で繋がれたそれに刻まれているのは数字の『七』。それを見たグスターの顔から、血の気の悉くが消えていく。

陶器性の人形のように青白い色を湛えた顔で、一歩、二歩と後ろへふらついた。

震える唇と引き攣った頬、揺れる眼差しは隠しきれない動揺の証に他ならなかった。

「『星章』……ならば―――――神聖アナスタシア皇国の誇る最高戦力、『第七守護者セプテム』か!」

深く頭を下げる己よりも遥かに年若い娘の姿にグスターの唇は慄くように震えるばかり。

その名を知らぬ者はこの場にはいない。

人類は地上で栄えることの出来る種ではなくなった。

大地を駆け、自然の恵みを得て、生命を繋ぐ存在ではなく、空に浮かぶ街という限られた箱庭の中で、必死に身を寄せ合って生きるという道を選ぶしかない、弱き種になり下がった。

ただ一国。神聖アナスタシア皇国という、地上を捨てることなく在り続けた国を除いて。

末世たる下界に在り続ける、幾多の魔獣の侵攻を退けてきた難攻不落の超大国。

パンドラ文明の叡智と技術を継承した唯一無二の古代国家。九つの『浮遊都市』を造りだした立役者として、人類の意思決定機関という役割を託され、伝説は今もかの地に有り続けている。

その在り方故に、絶大な敬意と畏怖が向けられる。かの使者を前に、未だ隠せぬ動揺と震えを抑えられないまま、呂律の怪しい言葉をグスター口にした。

「何故、ここに――――――」

「それをお伝えするために、私がここへ遣わされたということです」

端的に、彼女は言った。


「遥か北の大地にて、氾濫のきざしあり」


短い言葉。

その一言が、この場の全員から平常心の悉くを奪い去った。

「『神聖アナスタシア皇国』を統べる『真人』陛下より下された《託宣》。その御言葉を以って、私たちの派遣が決定したのです。この地に訪れるであろう『魔獣』の『大侵攻スタンピード』に対抗するために」

「『大侵攻スタンピード』だとっ!?」

ガタン、と椅子を跳ね除けながらグスターが立ち上がる。

「ふむ……『大侵攻スタンピード』とは。これでは、下界探索任務どころではない。この地は『魔獣』に呑み込まれることになる。サーシャ様、それはいつ頃」

「正確な時間までは。ただ、二日以内ということだけ」

「ニ日」

憂いを込めて呟いたウルスは、嘆息した。

「あまりに不運。これでは『領主』にも顔向けが―――――」

「顔向けどころではない、これは一刻を争うぞ!この『拠点』には『領主』より授かった貴重な遺物や物資を大量に保管されている。それに、百年かけて築いたこの『拠点』を失うわけには!」

ドン、とテーブルに拳を叩きつけ、グスターが頭を掻き毟る。

今後の方向性を決めかねていることは想像に難くない。

『領主』より賜った任務は絶対。だが『魔獣』の軍勢が押し寄せてくることが分かっていながら、現在の任を続行するのは不可能だ。

立体映像でこの会議に参加している分隊長たちは、各々が『下界』にて天幕を張り、そこから参加しているにすぎないが、グスターやウルスら統括官らが居るこの中央天幕は、『拠点』と呼ばれる、兵士が下界探索任務に向かう際、『浮遊都市』から真っ先に降り立つ場所として機能していた。

周囲を天然の岩壁に覆われたこの場所は、護り易く攻め難い。おまけに、岩壁の反対側には、数百年前にこの地に栄えていた名も知れぬ国の名残故か、古代の城塞がそのまま聳え立っており、その鋼の城壁は、高さにして三十メルタ。数百年という時の流れと『下界』の大気に晒されて尚、古代の技術によって鍛えられた分厚い超合金の壁は、傷こそあれど、亀裂ひとつないまま現在まであり続けている。

まさしく、難攻不落。人類が『下界』を攻略するうえで、なくてはならない地でもある。百年という長い時間をかけ、先代から引き継がれてきた生命線にも等しいこの場所を、捨て去ることは躊躇われた。

「――――――サーシャ様、ひとつお伺いしたい」

ウルスの視線が少女へ向けられた。

「先ほどの件、我々に託宣を伝えるためにここに来たという内容。成程、ある程度は事実なのでしょう。ですが、それがすべてではないのでしょう」

静かに目を閉じた少女は、続きをと言わんばかりに無言のままで。

「『守護者』は一人一人が絶大な力を持つ。ですが、その力はかの国の守護と防衛にのみ用いられると聞きます。いかに大侵攻とはいえ、あなた方とは直接的な関係などない事象。それを伝えるために、わざわざ『守護者』である貴女が向かわされたのには些か疑問が残る」

「聡明さは時として無用の長物となることもあります。それ以上はお互いの為にならないですよ、ウルス統括官」

穏やかな口調で、しかし明確に拒絶の意味を込めた言葉にウルスは目を伏せた。

「失礼を」

が、次に顔を上げた時、ウルスの眼差しは真っ直ぐに少女へと向いた。

正確には、少女の。彼女の額には白金に輝く『額飾り』にこそ、ウルスは視線を向けていた。

「ならば、我らに関わりのある事柄についてお尋ねしたい。此度の大侵攻、如何に対処するべきか。『第七守護者』、即ち“天通眼”。未来すら見通すという貴女の力をお借りすることは――――――」

白ローブの付き人が動いた。

禁忌に触れたと誰もが感じた刹那、ローブが跳ねあがる。

目にも留まらぬ速度。この場に集った歴戦の兵士たちである彼らですら目を見張る動きでもって銀光が走り、それがウルスの首元に突きつけられた。

銀の長剣。微動だにしない剣先は僅かでも動けば喉元を引き裂くだろうことは明白だ。

『守護者』と謳われる彼らの力は不可侵。周知の事実だ。

誰もが思っていても、実際に口を出すことなど畏れ多くて出来なかった台詞を、彼は口にした。

剣を突きつけられているウルスに恐れはなかった。こうなることは分かっていた、とでも言わんばかりだが、漂う殺気に空気が軋む。流石に見かねたグスターが声を挙げようとして、すっと片手を挙げた少女が抑え込んだ。

「よいのです。『大侵攻スタンピード』ともなれば、事態の予測と判断は当然のこと。とはいえ、それは私が必要な情報を出し渋っているわけでも、『神機』の力を秘匿しようとしているわけでもないことは、理解してください」

少女の瞳がゆっくりと細まる。

ウルスの薄皮一枚傷つけることなく、剣が下げられた。

「私の『力』を考えれば、問いただすのは至極当然。予測できていたことです。それでも私が口にしなかったのは、別の理由があったからです」

躊躇いなく言い放たれた言葉には偽りなどはないように思える。

「陛下が《託宣》を下された時、私も自ら観測・・を行いました。ですが、私が視たものは、大地を埋め尽くす『魔獣』の大軍勢などではありませんでした」

先の言葉を真っ向から否定するような彼女の言葉に誰しもが眉を顰めた。

「陛下の御言葉が下された以上、それは最早“既にあったこと”となる。ですが私は、私自身が垣間見たものを理解することが出来ませんでした」

憂いを帯びた眼差しで彼女は語る。

文献に記される『大侵攻スタンピード』であれば、地平を埋め尽くす程の魔獣の大軍勢が見えるはずだった。

「流星のように降り注ぐ光が大地を穿つさま。それが私の視たものの全てです」

響き渡る言葉の最中、僅かながら肩を震わせたマードックに気づいた者はいなかった。

「視たものが不鮮明なまま、口を開くわけにはいきませんでした」

戦場を混乱させるだけの情報など、無い方が良い。

その言葉を聞いたウルスは深く頭を下げた。

「私の無理に応じて頂き、ありがとうございます」

言葉の節々に宿っているのは、紛れもない感謝の念。

暖かな声音は、誰も逆らえない超大国の使者であるか否かに関係なく、常識外の力を持ってしまったが故に、この場の誰よりも年若い娘でありながら、過酷な使命を背負わされた彼女に対する感謝の念に他ならない。

対する少女も彼の意を知ってか知らずか、微笑みを浮かべながら首肯を返した。

「構いません、ウルス統括官。この身が如何なるものであるか、当の昔に答えを出していますから」

ウルスは何も言うことなく、深々と頭を下げたまま、沈黙でもって返答とした。

「――――――何であれ、答えを出す必要があろう」

重苦しい口調でそう切りだしたのはグスター。

痛い程の静寂の中、誰もが会話を拒む空気の中で躊躇わず口を開いたのは統括官としての自覚故か。

「此度の任務続行は不可能と判断する。至急、第二浮遊都市ヴァナヘイムの通信官に連絡を取れ。『拠点』の上空に浮遊都市を移動させ、即座に『ゲート』による人員、物資の緊急転送を行う」

「統括官、それは」

誰かが言いかけた言葉をグスターが鋭い眼光で抑え込む。

「分かっておる。だが、『大侵攻スタンピード』に、魔獣の軍勢に抗うことは出来ん。今考えるべきは、如何にすれば被害を最小限に食い止め、事態を回避できるかという一点に尽きる。補佐官全員に伝令せよ、急ぎ立案、精査、実行に移れとな」

彼の背後に控えていた数人の兵士が慌ただしく飛び出していく。

「『守護者』殿。申し訳ありませぬが、領主への報告には貴女様の名を使わせてもらうことになります」

「構いませんよ。この状況で今の台詞を堂々と口にした貴方の決意に甘んじましょう」

くす、と微笑んだ少女はグスターがどのような意味を込めて先の台詞を口にしたのかを正しく理解していた。

故に許し、微笑んだ。

「さて、方向性は決まった。諸君らが何をするべきか、既に理解はしていよう。この拠点は一時放棄する。浮遊都市の配置が済み次第、拠点内部の物資、人員の避難を開始するわけだが、それには順序がある」

古代の設備なごりを再整備することで形作られた拠点は人類が下界の開拓を行う最重要地点。

本来であれば放棄など在り得ない。だが、魔獣の大軍勢が現れることが分かった時点で、その前提は破却された。

拠点そのものを移動させることは出来ないし、土地の全てを守ることなど不可能だ。

故に、実行可能な範疇において彼らは選択を迫られる。

拠点内部に存在する貴重な物資、あるいは人員。それらすべてを浮遊都市へと格納するという、逃げの一手を。

「諸君ら黒兵には、可能な限り拠点防衛の任に就いてもらう」

誰もがその言葉の意味を正しく理解した。

拠点にいるのは黒兵たち戦闘員だけではない。大勢の学者や名高い貴人もまた在留している。最優先で逃がされる彼らを守るために、その命を使え。グスターはそう言ったのだ。

捉え方によっては、ここで死ねともとれる発言に、案の定というべきか天幕内の空気がざわつく。

他にも言い様はあるだろう。いくらでもオブラートに包むことは出来たはず。しかし、彼は一切の誤魔化しを捨て去った言葉で彼らに現実を叩きつけた。

超大国の使者である少女も目を丸くする。

しかし。

「承知した」

誰よりもその言葉を発したのはマードックだった。

普段からグスターと反発する彼が何の反論もなく命令を受諾する姿に他の部隊長たちも唖然。

恐らくは何名か不満を持っていた者はいただろう。だが、彼らは口を開く機会を奪われた。

「―――――――うむ」

静謐な眼差し同士が絡み合う。

常ならば相容れぬ二人の応答に沈黙が満ちる。

「では総員、即座に拠点への帰還準備をはじめよ。ただし、これから私が言う部隊は残れ」

彼がいくつかの部隊を名を挙げたのち、号令が成された。

であれば反対も拒絶も許されない。軍議を経て成った任務は、何をしても達成しなければならなくなった。

その事実を理解してか、数名の部隊長たちが恨めしそうな眼差しでマードックを睨み付けながら消えていく。

最終的に残ったのは、グスターが口にした部隊の長のみだ。

「――――――さて、『守護者』どの」

改まった彼の言葉に頷く少女。

「貴女は未だ、我々に言うべきことが残っているのではないですかな。そのために、彼ら・・を引き連れてきているのでしょう」

「ふふ。本当に優秀な人材が揃っているのですね、第二浮遊都市ヴァナヘイムは。領主であるエリザヴェータ様もさぞ鼻が高いでしょう」

少女は片手をスッと挙げた。

その仕草に反応して顔をあげたのは、天幕内の僅か数名程度に過ぎなかった。その内の一人、マードックは僅かたりとも視線を動かすことなく状況に変化が生じたことを察した。

(―――――囲まれている)

じかに現場に馳せ参じていなくとも感じる。

限りなく無に等しい微かな気配。それほどに乱れなく、揺るぎなく。自然と調和し、空気に溶け込むかのような洗練された希薄な存在感。中央天幕の周囲をぐるりと囲むように、ざっと三十人といったところか。

恐らく彼女の護衛として共にいたのだろう。

この天幕内に少女が入ってきた時から、微かに奇妙な気配がするとは思っていたが。

――――――『神罰隊』。

神聖アナスタシア皇国が誇る、最強の戦闘集団。

一人一人が一騎当千の英雄にして、古代の遺物である『神機』に適合を果たした『機士』だけで構成された超人たち。

戦場に在ったならば心強い、などというものではない。彼らこそ地上を徘徊する『魔獣』より、かの超大国とその王たる『真人』を護り続けてきた最高峰の防人たち。彼らを率いることが許されるのは、総勢百名から成る『神罰隊』の中における『席次』、その上位七名――――即ち『守護者』の位を与えられた者のみ。

この場において、天幕を囲う彼らを従えることを許された史上最年少の第七席次、『第七守護者』。

サーシャ・セプテム・メイガス。

よわい十五にして既に、この場の誰も到達できない高みに立つ、紛うことなき英雄に他ならない。

「私があなた方に求めることはたったひとつ。この地に顕れるであろう『大侵攻』を食い止めるため、私たちと共に戦って欲しいのです」


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