始まり
11月に入り、寒くなって冬服を出さないとなと思う今日この頃。
高校2年生の僕は、退屈な家庭科の授業をそっちのけで、窓からぼーっと景色を見ていた。
実際には景色を見ているわけではなくて、妄想にふけっていた。
町がゾンビに襲われるという妄想だ。
別にゾンビじゃなくてもイイんだけど、現実に起きる可能性がある非日常はバイオハザードなんじゃないだろうか。
妄想に現実性を求めるのは矛盾した考えだと思う。
現実逃避の手段として、妄想をしている一方で、自分がヒーローになって、みんなから尊敬されるような妄想は、浅はかで軽蔑に値する行為だと、そんなポリシーをもっている。
僕はあくまでもプレーヤーでいたいのだ。主人公になりたいわけじゃない。
主人公ってのは退屈だ。確実な勝利が約束されているし、その思想には制約がある。
おおむね、極めて善意のある者か、あるいは復讐を誓うものか、そのどちらかでしかない。
そして、そのどちらだろうが、人情に厚く、最終的に弱者を助けるのだ。
さらに言えば、そのヒロイズムには必ずヒロインが群がる。僕からすれば女なんてのは、物語にとって邪魔でしかない。僕が登場人物なら真っ先に切り捨てるだろう。
僕は中庸に愛されている。そして、自由を愛する。
怠惰な日常を壊し、平凡な僕に生きるスリルを与えて欲しい。
確固たる哲学のもと、節操のある妄想にふけっていた。
あーあ、家庭科教師の山口がいきなりゾンビになったりしねーかなー。
馬鹿な希望を持ちつつ、実際にそんなこと起こらない、これからも日常は続いていくのだ。
変にリアリストな僕は諦めをもって、目の前の現実に戻った。
授業が終わりかけた時、それは起きた。
窓の外が一瞬にして、真っ暗になった。
ちょうどテレビの電源を切ったような、あまりに不意の出来事だったので、僕は状況を呑み込むことができなかった。窓の外には一筋の光もなく、暗闇が広がっている。
急に暗くなった教室に驚いてクラスメイトが騒ぎだす。それを見て、これが僕だけの幻覚でないことを理解する。
本来ならもっとパニックになっていいと思うんだけど、みんな意外と冷静だ。何人かの生徒が外に様子を見に行ったが、大体の生徒は僕と同じく、状況を飲み込めておらず、それが安全かどうかはかりかねているからだろう。周りで話をするに止まっていた。
「全員、無駄話は後にしてちょうだい。まだ授業は終わってないわよ」
教師の山口がそう言う。
こいつは授業を続けるつもりらしい。この異常を無視しようとしている。クラスが自分の手中から離れるのを恐れているのだろう。どうして教師という人種はこう臆病なのだろうか。
その発言は誰にも相手にされなかった。
「おい志島、なんかやばない?これ」
後ろの席の菅が、話しかけてきた。菅は仲のいい友達だ。この前も一緒にサッカーをしに行った。剣道部の僕と、フェンシング部の菅は、お互いに属する部のスポーツが嫌いで、サッカー好きだという共通点をもって仲良くなったのだ。
他にももう一人、狩野というやつがいるが、バカな狩野は机に突っ伏して寝ている。この異常事態に気づいてないようだ。
「やばいな。なんか興奮してきたわ」
「外どうなっとるんやろ。急に夜になったけど、今日って皆既日食あったけ?」
「いや、そんな話ニュースでしてなかったけどなぁ。まあでも、何かしらの理由で、太陽光が遮られたんだろうな」
そう冷静な見解を述べつつ、僕はこの現象が、自然のものでないことを願っていた。
「俺の代わりにみてこいや」
「いやだよ。あぶねーじゃん」
そう、危ないのだ。僕は何度もこういう状況をシュミレーションしているからわかる。
こういう時真っ先に外を見に行く奴は、大抵碌な目に遭わないのだ。
ぼくたちが不安と高揚感を静かに味わっているなか、真っ先に外にでた森山たちが教室に戻ってきた。
森山は筋骨隆々の柔道部で、この中だと誰よりも戦闘力がありそうな奴だけど、それに加えて勉強ができて、さらには化学オタクであるという奇妙な存在だ。故にクラスではリーダー的な人間だが、俺は好きになれない。
こいつは思慮深さにかける。子供っぽいのだ。だから真っ先に外に飛び出して行けたのだ。
俺がひねくれた見方をしているだけなのかもしれないが。きっとそうだ。
森山の発言に皆が注目した。
「注目、みんなーきいてー。俺ら見てきたんだけど、なんかおかしいんだよね、外。何も見えないんだ。多分やばいことが起きてるんだと思う」
見た目に反して、落ち着きのある彼の声に、クラスがどよめきだす。
「森山くん、よくわからないんだけど。もうちょっと説明してくれる?」
山口が冷たく言う。クラスをおさめようと必死だ。
「いや、先生、そのまんまの意味です。何も見えないんです。まるで、学校の上からカーテンが被せられたみたいに。学校の向こう側が見えない。家も、ドンキも、ドームも、真っ暗なんです。真っ暗って言うか、真っ黒」
どうやら非日常がぼくにやってきてくれたらしい。
何か不思議なことが起きている。
僕は期待を膨らませた。どうか事態がつまらないものではありませんように!
後ろの菅に言う。
「おい、俺たちも見てこようぜ。何が起こってんのか気になるだろ」
話が脱線するが、僕は人称を使い分けている。
心の中で思案するときと目上の人に話かけるときは僕になり、対等の人と話す時は、俺になる。
ややこしいけど、僕は二面性を持った、奥ゆかしい人間なんだ。
菅と一緒に外に出た。
暗くてあたりがよく見えないけど、他の教室からも、何人か外に出ているみたいだ。3階建ての向かいの校舎に人が集まっているのが見える。
僕は目線をグラウンドの方に移した。たしかに何も見えない。バックネットのライトの強い光が周りを照らしてはいる。ただ、バックネットの向こう側にあるはずの住宅地が見えない。ライトの光が何が黒い膜に吸収されている。不気味な違和感を感じた。
「森山は階を上がって外を見たんだろ。俺たちも行こうや」
菅の言葉に従って、階段を登った直後ー
今まで体験したことのない閃光と爆音が僕らを襲った。
「まぶしぇーーー」
僕の最後の言葉だった。
「伝わっているか」
眩い光のなかで混乱する僕の意識に、何者かの声が響いた。正確にはそれは声ではなかった。言葉を介さず意味だけが直接脳に送り込まれているようだ。
とにかく形容しがたい伝達方法で、何か、おそらくこの状況を作り出したであろう何かが、僕にコンタクトをはかっている。
僕は振り回され続けている事実に苛立ちを覚えた。
「何か質問はあるか」
何を言っているんだ。人との会話の始めに質疑応答をする奴がいるか。
「いる。互いを知り合うのに、質問は最も効率的手段である」
何だお前は。
「その質問の答えを君は理解し得ない。君が因果律で思考する限り、私の存在について考えることは不可能である。強いていうならば私はこの状況を作り出した者だ」
お前は神なのか。
「そう考えるのなら、君の理解が早まるだろう。私は君たちの想像するそれとは全くかけ離れているが」
普段ならアホらしいと一蹴するところだが、何故だかそれには説得力があった。
そうでしたか、それは大変失礼なことをいたしました。差し支えなければ、僕の置かれている状況について説明していただけませんか?
僕は長いものには巻かれるタイプだ。
「異世界転生だ」
激しい高揚感で、胸が張り裂けそうになった。
い、い、いしぇかいてんしぇい!?
本当なのですか主神!
「真である」
異世界!
そのあまりに都合の良すぎる世界観が故に、妄想しているこっちが恥ずかしくなる。
妄想から帰って来た時、あまりにやりすぎなストーリーに赤面してしまう、あの異世界転生!
事態が僕の思い通りに進んでいる気がする。
僕が転生する世界について教えていただけますか!
「中世程度の文明が築かれている。魔法が存在する。それに伴い生態系、物理体系、根付く文化は地球のものとは異なる」
私たちは生きていけるのですか?
「可能だろう。この世界は数ある並行世界の中でも君たちの元いた世界とかなり親しい関係にある。ここの文明を気づいているのは主に人とその亜種である。君たちの体はこの世界に適応している。ここの住民のように、強靭な肉体を得ることも、魔法も使うことも、できるようになるだろう。もちろん、君たち次第だが」
どうやって能力を高めるのでしょうか?
「肉体を鍛える。もしくは生物を殺傷してその経験を得る」
ほかに、何か有益な質問はないか。考えなければ。まさか質問形式で進行するとは、妄想では考えもしなかった。
「ステータスという概念はありますか!」
誰かに見られたら悶絶する恥ずかしい質問だが、背に腹はかえられぬ。
「存在しない。だか、力を測定する機構が文明によって開発されている。君たち全員に、自分の力に限り、測定することのできるものを特別に与えている。ポケットの中を調べるといい」
ぼくに秘められた力はありますか!
顔が真っ赤になった。しかし、これは重要な情報なのだ。
「ない」
はぅあ...
「ただ、この世界で圧倒的弱者である君たちを救済するために、君たちが生前鍛えあげた肉体に応じて、特別に能力をさずけている。また、学校の特定の場所に君たち個人にあったアイテムを用意してある。」
まあ、なんと慈悲深い神なのだろう。
異世界転移に僕を選んでくれただけでなく、生き抜く力まで授けてくれるなんて。
「それは誤りである」
はて、どういうことだ?
「転移ではなく、転生である。ゆえに、元の世界に戻ることはない」
転移でなく、転生。
一度死んだと言うことか。
まさか、僕は殺されたのか。
「ああ。君たちの元の肉体を作り替えて、転移させるより、ゼロから作り直した方が合理的なのだ」
聞くんじゃなかった。
つまり、僕と以前の僕は、記憶はそのままに、別の人間なんだ。今の僕には続いている記憶があるけど、以前の僕にしてみれば、ただ閃光と爆音のなかで、死んだだけなのだ。
最後に、お前の目的はなんだ
「それは君ーーーーー」
意識が遠のき、暗闇に飲み込まれていく。
菅からの呼びかけで、僕は目をさました。
「大丈夫?立てるか、志島」
「すまん」
その場に倒れ込んだ僕の腕を菅が引っ張りあげた。
予想外に体はすごぶる良好で、先週あった剣道の試合でつけられたアザでさえ、無くなっていることに気がついた。
「本当に死んだんだな俺」
「どゆこと?俺たち死んでんの?」
そうか、質問形式だったから、個人の情報量に差があるんだ。
「いや、なんでもない。それよりお前もあの声聞いたの?」
「あーあの気持ち悪いやつな。うるせえって一喝してやったら収まったわ」
どうやら菅は情報をなにも得てないらしい。
哀れな奴だ。彼はアニメと漫画はみるが、妄想には疎いのだろう。
「とりあえず、教室戻ろうか」
「そうやな」
僕たちはとりあえず教室に戻ることにした。
グラウンドの向こう側の黒い膜がきえ、熱帯雨林が広がっていた。そのあり得ない光景に気づいていたけど、今は受け止める余裕が残ってない。
「面白くなってきたな俺の人生」
ずっと羨望していた非日常に、僕は圧倒されつつ、歓喜している。
こうして、僕の人生が始まった。
お前の名前作中に使ってやらんこともないで
_(┐「ε:)_