初恋…………? (side アイリス)
あたくしには、何故こうも縋る女が寄ってくるのでしょうか。
たまにはあたくしも縋ってみたいものですけど、それはそれであたくしの矜持が許しませんし、ままなりませんね。
「姫様! どうか自分に今一度の機会を!」
「ないですわよ」
「そんな……!?」
愕然としてるユヒアですけど、この子は本当に頭が固いと言いますか、頑固と言いますか。
今回、ユウトさんの身辺警護に丁度いいからと練習がてら使いましたが、これでは使い物になりませんね。
「デュラコ、再教育出来ますか?」
「や、まぁ、やれと言われれば是非もなく善処しますが、それよりも別方面に目を向けた方が宜しいかと愚考しますわ」
「別方面ですか?」
「そうですね、この通りユヒアは臨機応変に対応するのは少々使い物なりませんが、どこかの監視任務などの忍耐を必要とする仕事には向いているのではないかと。得手不得手はどなたにもありますから。や、これは差し出がましいことを」
「いえ、構いません。あたくしも少し意地が悪かったと反省するところですから」
デュラコは物言いに毒を含ませるのが生きがいみたいなものですから、差し出口など問題にはしませんが、冷静に考えてみれば、あの練習風景で問題なく収まるはずもありません。
となれば、あたくしの八つ当たりみたいなものでしょう。
不得手を押し付けても結果には繋がらないと。
分かりきったことですね。
それともこれはあたくしの甘えでしょうか。
少々問題があってもユウトさんなら、大事にはなさらないでしょうと。
そうだとすると、その方が問題ではないかしら。
迷惑をかけて相手の反応に期待するだなんて。
あたくしどれだけ面倒くさい女なのですか。
「とりあえず、ユウトさんに謝罪をしなければなりませんから、話は終わりです。ユウトさんにチケットは渡していて?」
「それはえぇ、騎士殿に渡しましたわ」
「ペリオンなら無駄にはしたくはないでしょうし、ユウトさんならそれに乗ってくださるはずですから大丈夫ですわね」
「その方向に話が向いてるはずですわ。劇場方面に足を向けたと聞いていますから」
「それは重畳。あたくしも準備をします。ユヒアは、まぁ謹慎しておきなさい。とりあえずお披露目までは」
「や、これは寛大なご処置痛み入りますわ」
「…………ご厚情に感謝します」
まぁ、リスの様にほほを膨らませてこの子は。
と思う間もなくデュラコに頭を叩かれた。
「お前、不満を言える身か? えぇ? 普通ならコレや」
そう言いつつ首をトンと叩く。
それにユヒアがまさかとあたくしを振り仰ぐが、残念ながら使えない影など普通は要りませんね。
ファルトゥナ家は比較的甘いですが。
「無駄飯食らいに施しする程に甘くは無いですわよ」
「成果は結果。お前、崖っぷちだからな。この先下手なことしてみろ? 姫様がなんと言おうと首を切るからな」
「え? いやいや、姫様がダメと言われたらダメ……ですよね?」
「デュラコに任せます」
「了解ですわ」
「そんな!?」
裏切られた! と顔に書いてありますが、そもそも仕事ですから。
全う出来ないなら他の仕事をしなさいな。
なるべくならそうならない方が好ましいですが、あたくしも家を背負っておりますからね。
剪定は最低限にしてもしない訳にもいかないのは当然でしょう。
なんだかんだ言ってもデュラコも甘いですからそれはもう厳しく再教育してくれるでしょうし、万が一それでも駄目なら、それは仕方ないですわね。
デュラコに引き摺られて出ていったユヒアを見送って、控えていた侍女に手伝いを頼む。
「今日は落ち着いたものでお願いね」
「本日は艶やかにはされないのですか?」
「観劇ですもの。さすがに前のようなドレスでは駄目よ」
「それは残念です」
「ペリオンにも少し大人なドレスを贈ったのよ? あちらは深みのある森の色にして貰ったでしょう? そこにユウトさんには爽やかな空色ですから、あたくしは海のような青のドレスでお願いね」
「まぁ! 勇者様は両手に花ですね」
まぁ、両手に花、と言えなくもないのかしら。
鏡を見れば、血統に約束された美貌はある。
あるけれど、世の中にはそれに靡かない人もいるのだし、たとえ美しくあってもそれで恋や愛になるかと言えばそうでもないのだから難しいところ。
そもそもユウトさんとあたくしの年の差は10をさらっと超えてきているわけで、もはや親子ですから。
あたくしがユウトさんに恋するわけもなく、それは逆も然りでしょう。
全く度し難いことですわね。
「はぁ……」
「どうかなされましたか? 溜息をつくと神がそっぽを向きますよ」
「花にはなれても花嫁にはなれなそうだと思ったらついね」
「まぁまぁなんて事を。お嬢様なら引く手あまたでしょうに」
「その手が脂ぎってなければあたくしも困らなかったのですけどね」
「勇者様は妖精姫だとお褒め下さったのではないのですか?」
「そんなの娘が将来はお父様と結婚する! と言ってるのと大差ないですわよ」
「あら、お嬢様もオレイシュタ様にそのような事を?」
「……ないですわね。昔からお父様はお母様一筋でしたから」
そう。
思い返してみれば、あたくしはお父様にそういった子供らしい情動を抱いたことがない。
物心着いた頃からすでに悟っていたのかもしれない。
お父様は生涯お母様のものなのだと。
あたくしにはお母様の記憶はほとんどない。
だけど、二人の間に割り込みたいと思ったことがない。
それは幼いながらも愛情を持って接して貰えてたからと、そして惚気にあてられていたからではないだろうか。
二人の一番がお互いであたくしは二番目。
でも、あたくしは絶対の二番目なのだから、それはそれで鼻も高かろうというもので、あたくしはそれに満足していた。
「なんでしたっけね……確かそう、お父様とお母様はお互いが一番好きだから、あたくしがいるのだと、一番好きじゃなかったらあたくしは生まれてなかったんだそうよ」
「それはまたお熱うございますね」
「でしょう? ふふ、だからあたくしその時に何かとても納得したのよね。お母様はそれからあまり時を置かずに亡くなられたけど、今でもお父様の愛情は少しも変わりないわ」
「それでですか、オレイシュタ様のお傍づきは歳若い女性がいらっしゃらないのは」
「えぇ、お父様が揺らぐかではなく、女性からの愛慕が欲しくなかったのよ」
異性から好かれすぎるから、というのも人によっては羨ましいことなのかもしれないけれど、あたくし達ファルトゥナ家の者にとっては好ましい質ではないのが困ったものですわね。
あたくしだって、その点は注意している。
先程のディラコなどは、こと何かあれば屋敷に入る事も認められているけれど、基本的には男子禁制なのだ。
屋敷に仕入れをする窓口も女性のみ。
女の園と言えばまぁ印象は良いのでしょうけど。
実態はあたくしは見世物小屋の珍獣と大差ないですわね。
「で、一つ聞きたいのだけど」
「はい? なんでしょうか?」
「少し、胸元が開きすぎではなくて?」
「まぁまぁ、お嬢様ったら、いつまで身持ちを堅くされるおつもりですか」
「待ちなさい。それではまるであたくしがユウトさんに懸想しているみたいではありませんか」
「いいじゃありませんか。あと五年待てば」
「あのね、五年もしたらあたくしはもう30越えてしまうのよ?」
「そうでしょうけど、どうせお嬢様の事ですから、オレイシュタ様と同様、年齢を感じさせない素敵な女性のままですよね」
「何言ってるの。最近は肌の調子も少し悪くなってきたなと思っているわよ?」
「お嬢様の睡眠時間が足りていないからですよ。これだけ勇者様にお心をくだかれていて懸想していないとか……あ、お嬢様、もしかして初恋とかされた事ないのでは?」
「いくら何でも初恋くらい……」
初恋くらいは済ませています、と言葉を続けようとして、はたと詰まった。
そういえば、あたくし誰かに恋焦がれた事があったかしらと。
元々、幼少の頃に下卑た者に誘拐されそうになること三度、男など下衆の極みだと悟ったのが、七つくらいでしたわよね。
その前はお父様しか居ませんし、それも無かった。
勉学に励んで、気付けば王太子妃の筆頭候補になって、いつまでも落ち着きのないアグレシオ殿下に婚約だのなんだのは延ばし延ばしになり、当の殿下から外すように言われ、宙に浮いたあたくしの伴侶のお相手はあたくしに委ねられた。
よりどりみどりのお相手探しは、公爵家に取り入りたい下心と、あたくしを装飾品にしたい虚栄心と、絵画か美術品かにしたい変態と、まぁ下衆の見本市の様相を呈して中断。
そして今に至り───
「まぁ、ユウトさんは幼くも素敵な方ですけど、それですぐに色恋にはなりませんわよ」
「…………お嬢様、まさか、気づいておられないのですか?」
「何がです?」
鏡越しに愕然とした様子の侍女に、あたくしが問いただせば、あれこれとまぁよく見ていることですけど、それで恋などとどうして言えるのでしょうか。
毎日、ユウトさんが何をされていたかを聞くのなんて報告の一環でしょう。
まぁ、異常なしと報告した者はユウトさんの影から外しましたが。
───本日はスープを零されて、染みてしまわない様に慌てて拭く様が大変可愛らしかったです。
などという報告はもっとしてくれて良いと思いますけど。
カノンの作る料理はユウトさんの好みに寄せられているので、その再現も進めておりますが、それも今後あたくしがユウトさんを招く時に好き嫌いを把握していないと困るからですし。
ユウトさんに接触する者を調査しているのだって不心得者の炙り出しでしょう。
あたくしであれば男性は要警戒なのですから、ユウトさんには女性が厳重警戒なのは当然です。
ユウトさんが就寝なさる時にメイドの誰を横に置いているかは、偏りが出た場合に厳重警戒すべき女性の傾向を掴むためです。
今のところほぼ横並びですが。
ユウトさんから頂いた髪紐を使っているのは、あたくしのコシの強い髪のせいで今まで髪紐をあまり使ってこなかったので手持ちがないからですね。
それに今はユウトさんからの頂き物がありますし、それで困りませんからいいではないですか。
あたくしの服選びに変化があったのだって、最近のあたくしのお仕事がユウトさんの教師役だからですよ。
相手に合わせて服装を選ぶのですから違って然るべきではないですか。
と言いますか、相手に不快感を与えないのは当然の配慮ですよ?
見えないからと下着に手を抜くなんて事も有り得ません。
そもそもユウトさんを特別扱いしているのだって、無理に招いた勇者様なのですから、可能な限り厚遇するのは責務ですよ。
こちらのゴタゴタにこれ以上煩わせたくありません。
まぁそうね、最初は辞退しました。
けれど、難しいお立場にも気遣いをなさるユウトさんに報いたいとあたくしが感じたからです。
えぇ、お会いして一目見た時から勇者という方の持つ存在感に心打たれたのはありますね。
「それは一目惚れではないのですか?」
「はい?」
「例えば、そうですね、勇者様の事を考えると胸が高まるなどといったことは無いのですか?」
「そうね、いつもしているわね」
「それは恋だからでは」
「何を言うの。ユウトさんには人を惹きつける才覚がおありなのよ。カリスマ性のなせる技ね」
「……えぇと、では、他の女性と親しくされていると不快に感じたりは?」
「しないわけありませんよ。ですけど、それは大なり小なりあるものでしょう? それにあたくしは残念ながら気を許せる友人が少ないですから、それがより顕著なのだと思うわ」
と、そんな雑談をしつつも支度は整ったから話は一旦終わりよ。
ユウトさんも着替えをしたりと今少し時間がかかりますし、一足先に待ち構えていましょうか。
馬車を流して劇場に着けば、あたくしが誰かに気づいた者が素早く上役を連れてきました。
「これはファルトゥナ嬢、本日は御来場下さりましてありがとうございます」
「ごきげんよう。場所は分かっていますから案内は不要ですわ」
「かしこまりました。どうぞお楽しみ下さい」
「あぁ、それとあたくしのお友達が二人、後から来ますから、チケットを確認したら通してくださるかしら」
「お二方ですね」
「そうそう。あたくしが来ていることはナイショにして下さる?」
「承りました。他には何か留意することはございますか?」
「いいえ。手間をかけてごめんなさいね」
「とんでもございません。紳士淑女の皆様のお時間が良きものに、それが我らの武勲なれば」
「ふふ、ありがとう。武勲を立てたなら褒美を差し上げないとね」
「は、有難く」
あたくしの前に頭を垂れる老紳士に手を差し出せば、それを戴き礼をする。
遊び心のある方だこと。
手の内に忍ばせた手間賃を落とせば、お茶目なウインク一つ、サッと胸ポケットに忍ばせて軽くはらう。
全ては我が胸のうちに。
相変わらず、ここは教育が行き届いていて気分も上々。
「では行きましょうか」
「はい、お嬢様」
という仕込みがあった上での次回をお楽しみ下さい。
ところでアイリスさんは初恋なのかどうか。