黒髪フェチの恋人
数日ぶりに顔を合わせた俺の恋人が、俺の顔を見るなり泣き出した。
大きな碧眼の瞳から涙がだばーっと流れ落ちていく。
正直いって慌てた。
何故急に泣き出す、何かやらかしただろうかとここ数日を思い返してみるが心当たりは一切ない。
一昨日辺りに変な女に絡まれたが、こんな西洋人形みたいに可愛い女を放って別の女に靡く意味は一切ないので素っ気なく追い払ったし。
会ったのも数日ぶりだ、大した期間ではない。
結論、意味がわからない。
「お、おい……どうした……」
動揺しつつ恋人の肩を抱く。
恋人はだばだば涙を流しながら俺の顔を見上げてこう言った。
「かみのけ……」
「…………はぁ?」
ぐずっ、と恋人は鼻をすする。
「かみのけ……そめないよね……?」
「……はぁ?」
何故そんな話になっているのか、何故そんなことを泣きながら言うのか。
意味がわからない。
とりあえず、しばらく染めるつもりはないと言おうとしたら、恋人の瞳から流れる涙の量が増える。
「……い、いいよ……べつにいいよ……すきずきだもん…………あたしがくちだすような……ことじゃ……ない……し……」
「おい、おちつけ……いいから落ち着け。染める気は一切ない。染める理由もない」
震える声にそう返すと、涙で濡れた瞳が俺の顔を見る。
「ほんとに?」
「本当だ。つーかどうしたんだよ急に」
目線を合わせて問いただすと、恋人はぐずっと鼻をすすって、両目を手でごしごしとぬぐってから口を開いた。
「こーはい、が……」
「後輩? あぁ……例のすごく頭が良くて、冷酷で残酷で冷淡でお前が将来を心配してる奴?」
恋人がよく話をする後輩の特徴を言うと、恋人はコクリと頷いた。
「そいつがどうかしたのか?」
「……あたしのまねして……かみそめてきた……」
そう言った途端、髪を染めたその後輩の姿を思い出してしまったのか、恋人の瞳から涙がだばっと溢れる。
俺は思わずハーフである恋人の綺麗な金髪を掬い上げて、確かに真似したくなるかもしれないと思った。
だが、この女は自分の髪色があまり好きではないらしい、こんなに綺麗なのにもかかわらず。
「こーはいの、くろかみが……つやっつやでまっすぐでさらさらな、くろかみがぁ……」
本気の嘆きがこもった声に思わず引きかけた。
そうだった、この女は重度の黒髪フェチなのだ。
自分が金髪なせいなのか単純に好みなのかは知らないが、とにかく黒い髪が大好きなのだ。
「いいんだよ……だってあのこがじはつてきなこーどーするなんて、めったにないもん……」
でもくろかみがぁ……と恋人は嘆きの声を上げる。
なるほどそういうことか、お気に入りの可愛い後輩が急に髪を染めたから、俺まで髪を染めたらどうしようと絶望して泣き出したのか。
「そうかそうか。辛かったな。大丈夫だ、安心しろ、俺は染めない」
「……うん」
抱きしめて頭を撫でる。
少しすると落ち着いてきたのか、嗚咽が小さくなっていった。
身体を離すと彼女は申し訳なさそうに顔を伏せた。
「……うぅ……ごめんなさい……急に泣き出して……」
「別にいい。つーかよぉ……お前が重度の黒髪フェチなのを再認識させられたんだが……お前、俺が白髪になったらどうするんだよ」
ふと不安になってそんな問いかけをしていた。
「うん? …………。……白髪になるまでいっしょにいてくれるの?」
「は?」
そのつもりだからそういう質問をしたわけなんだが、と考えていると彼女の顔色が急に明るくなった。
目が輝いている、さっきまで泣いていたせいなのか、普段よりもきらきらだ。
「……あたしがしわくちゃのおばあちゃんになっても、一緒にいてくれるの?」
「そのつもりだけど?」
だからそういうお前はどうなんだ、という質問は、その満面の笑みから察するにもうする必要はなさそうだ。
……幸せにしよう、絶対に。
と、すでに何度かしている覚悟を固めつつ、俺はもう一度恋人を抱きしめた。