学問の意味
寒くなり始める秋の終わり、いつもと同じように俺は授業を受けていた。
俺こと野山春人は中学3年生。絶賛青春中である。
今日もつまらない授業を聞いている。只今3時間目の数学の授業だ。
数学は割と得意で、授業をあんまり聞かなくても大体分かるから授業の間に今の状況について少しづつ説明をしていこうと思う。
私立榊ヶ丘学園。俺の今通っている中高一貫の学校だ。偏差値75を誇り全国の秀才英才が集う天才学校っと言っても過言では無い。この学校ではAからHクラスまであり、中高合わせると2000人を超えるマンモス校だ。まあ、1クラス36とか37人編成ってところか。まあいいや。
それより整理。整理。俺は中学入試は本当は地方の公立の高校に行く予定だった。だが、この高校の謳い文句にまんまと乗せられた。
教師殺し訓練(物理的なものではない。)
いや、物理だったらダメだろう。
パンフレットにこの文字が羅列されいるのを見て興味が湧いた。今まで勉強と運動と文芸にしか興味が無かった人間、でもだ。詳しい情報は記載されていなく、口コミにもNGワードに指定されているのか分からないが、これと言った情報はなかった。でも何故こんなに偏差値も高く授業内容もありえないほど高度なのにこんな訳の分からない授業が入っているのだろう。高すぎる偏差値は校則も緩い。みたいな感覚だろうか。
だが今までそんな授業を受けたことも聞いたこともない。中学では学ばないのだろうか。もしかしたら高校で学ぶのかもしれない。そうすれば高度すぎる授業が行われている理由も薄っすらとだが見えてくる。
「野山くん、テーヴァナーガリー数字はどの言語で使われていましたか?」
「ヒンディー語、マラーティー語、ネパール語です。」
「主旨を変え、質問をします。△ABCにおいて、a=b cosC+c cosBが成り立つ事を証明してください。」
「はい、余弦定理よりb cosC+・・・・」
急に指名があったから驚いた。難なく答える。
簡単な数1の問題。もう授業4往復目だから余裕で覚えている。解けたことに驚く生徒は誰もいない。
他の生徒は無表情に板書をし、雄弁に、確実に、この授業が低レベルな事を証明していた。
この学校では中3までに最高峰の大学で学ぶべき内容を5回履修する。さっきも言った通り、今は4回目だ。
勉強ってなんだろう。覚えて何になるんだろう。もう数学、いや、他の科目も学ぶべき事が無くなったからこれ以上学ぶべき事の意味を模索する。今からはそっちの妄想に行こうか。
教師、それは聖職者そのものであり、知的好奇心の高い子供に教育の何たるかを教える職業だ。大袈裟に言うと子供の将来を担う役割をしているからかなり重要度が高い職業だ。そんな人間を物理ではないにしろどうやって殺すのだろうか。よくわからないな。だがこの洗練された頭脳には種々様々な理屈が浮かんでくる。中には自分でも説明できない理屈が浮かび上がってきた。
キーンコーンカーンコーン……。
恐らく他の学校と変わらないチャイムがなり、授業の終わりを告げた。
さて、トイレでも行くか。
トイレに入ろうとすると、大柄な男達が俺を押しのけて入ってきた。
「俺たちが先だろうが。お前なんか地面に這いつくばって草でも食べてろ。」
どこにでもいる奴。俺たちが先って誰が決めたのだろうか。先、と言うよりもここはマンモス校だからトイレの大きさ、便器の量もかなり多い。俺が入っても問題はないはずだ。
草でも食べてろ、か。どう見たって普通言わないだろう。何でトイレに入って行こうとする人間に向かって草でも食べてろなんて言えるのだろうか。不条理なんてものじゃない。
人の一言の発言にもよく考えたら膨大な情報が含まれていることに気づいているだろうか。
聞き慣れた言葉でも深い意味が含まれている。
そう自答し、俺はトイレに入って行った(五分待った)
2話は皆さんもお馴染みの不条理も春人観点で見て行くことになると思います。
場面の発展は5話からくらいだと思います。