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オパラス  作者: 柘榴真
I部
8/9

氾濫

 

 「―――え?」

 「こ・う・こ・う・せ・いです!」

 もう眉がひっつきそうなほど寄せられていた。

 「あ、あぁ、そうなんだ……」

 彼女の激情に気圧され、ついジリジリと身体が座りながらも後退する。両手を胸のあたりまで上げ、抑えるように手振りをするが、彼女は全く歯牙にもかけず詰め寄ってくる。

 「『そうなんだ……』じゃありませんよ!大変忌々しき問題です!」

 「どうどう」

 「ちょっと!!」

 「でも、それでいいと思うんだ。可愛らしくて」

 「馬鹿にしてますよね?」

 「してません」

 彼女の口元は笑ってはいるが、目が一切笑っていない。今まで鳴いていたセミたちの声は、いつしかひぐらしの鳴き声へと変わっていた。そしてその鳴き声は僕に終わりを告げているようだった。

 


 「すいませんでした……」

 言い訳などあらゆる手段でどうにか宥めようと試みていたが、最終的にこの一言に帰着した。

 「……しょうがないからもう許してあげます」

 彼女は不満げに口を尖らせながらそう言う。まだむくれてはいるが、いつもの表情と言ってもいいだろう。

 「まあ、私が幼い顔立ちなのはある程度は自覚しているので」

 「あ、分かって――」

 「え?」

 「いや、なんでも」

 このまま続けるとまたひぐらしに弔歌を歌われそうなので、すかさず中止した。

 

 「ということで近日中にお花、見に行きますよ!絶対です」

 「うん。それくらいなら」

 彼女の言うその花にも興味があったし、行くことで許されるなら安いものだと考え、僕は了承する。

 「本当に大丈夫ですか?」

 『絶対です』といいながら確認してくるところが彼女らしかった。大丈夫か、というのは病院に住む人間として、という意味だろう。彼女は僕の病気について深くは聞いてこないが、こうした気遣いは忘れずに行ってくる。

 「うん。大丈夫だよ」

 「やった!じゃあ次いける時行きましょう!明日とかどうですか?」

 声色が変わる。もはや見ずとも表情が分かる。それにしても、即座に明日だという彼女を見て僕は心配になる。友達がいないのではないか、などと考えてしまう。しかし、出会った最初に友達と呼ぶ子にお見舞いにも来ていたし、そもそも明るく人当たりもいい、そして僕なんかとこのように話せているという時点で、友達ができないはずがなかったので、要らぬ心配だったと考え直した。

 「一応色々確認とか取らなきゃいけないから、三日後でどう?」

 僕はこれでも重病患者であり、外に出るには許可をもらうなど、一度担当医と話を通さなければならないだろう。僕が自由に居られるのはこの病院の敷地の中に限るのだ。ここが今の僕の世界であり、この敷地の外は僕にとっては外国、或いは異界のようなものだった。

 「あ、そうですよね。大丈夫です」

 「じゃあ時間は―――」

 「また来るので時間はその時に決めましょ」

 言う前に遮られる。

 「また?」

 「はい。三日後までにまた来るので」「約束ですよ?」

 そう言い彼女はやさしく微笑む。珍しく子供らしさを感じさせない笑みに、僕は少したじろぐ。涼しい風が通り過ぎる。花々とともに彼女の髪がさらさらと靡く。シャンプーの匂いか、花の匂いか、落ち着くようないい香りが僕の鼻先を一瞬かすめる。

 

 「あの、約束ですよ!」

 黙っている僕に再度強く語りかける。こうして、何か考えていると黙ってしまうのは悪い癖だな。と、彼女との会話中だけで何度も仕出かしているので、できるだけ改めようと思った。

 「うん」

 しかし、花の女子高生が夏休み中に毎日のようにこんな場所に通う、しかもその相手が死にかけのろくでもない男というのは、一体どうなのだろうか。間違いなく間違っているとは思うが、あんなに楽しそうにされていると、そう言うのも気が引ける。まあ、僕も暇と言えば暇なので、彼女が来ることはありがたいけど。


 ひぐらしの鳴き声が満ちてきたことに気づき、僕は「そろそろ時間じゃない?」と彼女に促す。彼女はそれを聞くと「そうですね。では、また来ますね。」と答え、背中に掛けていた麦わら帽子を被る。夏であるのに、彼女がその麦わら帽子を被るのを見たのは今日が初めてだったので、なんだか可笑しかった。彼女は立ち上がるとこちらを向き、「行きましょう。」と言い、僕の前を歩きだす。僕もそれに着いていくように立ち上がり、彼女の後を追おうとする。


 ガスッ。

 突然聴こえたその音が何の音であるか、僕は咄嗟に分からなかった。その音の在りかは、聴覚より先に視覚が告げてくれる。僕の目の前にはキメの細かいアスファルトの表面があり、先ほどまで目の中央に捉えていた咲希の姿が視界の端でぼやけている。膝にじんわりと痛みを感じる。視界内の身体を見渡すと僕は両膝をついていて、両腕で上体を支えている体勢だと分かった。

 僕は倒れたその時の感覚を思い出す。立ち上がろうとすると、急に意識が飛んだかのように身体の感覚がストンと落ちる。身体がなだれ落ちるような、崩れ落ちるような感覚。状況を整理していると、胸を中心として身体全体にひどく苦しさを感じた。

 異変に気付いたのか咲希がこちらに慌てて駆け寄ってくる。

 『お兄さん!大丈夫ですか!?』

 耳が聞こえていなく、目もぼやけてあまり見えていないが、彼女がそう言っているのがなんとなくで分かった。彼女の所作やうっすらと聴こえてくる声で、その必死さが伝わってくる。

 ―――大丈夫。

 声が出ない。喉元のその奥で誰かがせき止めているかのように、言葉は詰まっている。

 「―――さ――――お――――――」

 彼女が何か僕に呼び掛けているのが分かる。返事をしなければ。声を出せ。出すんだ。

 「……だ、大丈夫だから……」

 なんとか、声が出たようで、僕は安堵する。そして深呼吸をする。落ち着いて神経を集中させる。聴覚がじわじわと戻ってくる。

 「――――なはず――じ―ないですか!倒れたんですよ!」

 怒ってるのかな……、分からない。

 視界がぼやけているせいで彼女の顔が窺えなかった。もう一度深く深呼吸をして、彼女の顔を見上げる。目を潤ませて泣きそうになっている咲希がそこにいた。

 

 「ふう、びっくりした」

 どうにかいつも通り声を出すことができた。ここで失敗するとうまく取り繕うことができなるかもしれなかったので、自分の声を聞きホッと胸を撫で下ろす。

 「早くお医者さんに――」

 「大丈夫」

 彼女が病院の入口へと走り出そうとするのを制する。

 「で、でも……」

 「立ち眩みしただけだから。ほら、ずっと座ってたから」

 「そんな、立ち眩みであんな……」

 彼女は僕の言い訳に疑心を抱いているようだった。さすがの彼女でもその言い訳に「はいそうですか」と納得することはできないらしい。

 「大人になってくるとこういう立ち眩みなんて結構あるもんだよ。やっぱり若いうちはいいね」

 彼女が高校生ということなので年の差はそれほどないのだが、この言葉の効力に信じるしかなかった。

 「ほ、本当ですか……?」

 「ホントホント。ほら、元気でしょ」

 明るくそう言って、ピョンピョンと何度かその場で跳ねてみた。跳ねる度に胸が締め付けられていくのが分かる。我慢だ、我慢。笑顔を崩さないように必死に痛みに耐える。

 

 そうして笑顔のままそのやり取りを続けていると、彼女は一息つき、安心したようだった。

 「はあ、本当にびっくりしましたよ」

 どうにか隠しきることができたようだ。うーん、やっぱりチョロい。

 「いやあ、まぎらしくてごめんね」

 「謝ることはないですけど……。それに、立ち眩みだって良くないんですからね!戻ったらちゃんとお医者さんに言った方がいいですよ」

 「うん、ありがとう……」

 本当に僕のことを心配してくれているようだった。家族以外の人にこれほど心配や配慮をされたことはないので、彼女が本当にいい娘であるのだと改めて感じた。そんな彼女をだまし続ける人間はなんという悪人なんだろう。と、そう思った。


 「お大事にしてくださいね!」と言い彼女は帰路に着く。彼女は何度もちらちらと心配そうに、見送っている僕を振り返っては、また歩き出す。僕はその度に笑顔を作り、手を振る。結局、お互い見えなくなるまでそうしていた。


 

 あたりが完全に静まり虫の音だけが木霊する頃、僕はベッドに寝転がり今日のことを思い返す。

彼女と、何処かへ行く約束をした。

 ―――何故僕は約束をしてしまったのだろう。

 『またね』と言い合える相手など作ってはいけない。そんなこと最初から分かっていたはずだった。だからここにいて、ここに残った。本来は今ある関係なんて切り捨てなければならない。それが正解なのだから。彼女を切り捨てることだってできたはず、できるはずだ。「もう来るな」そう一言いえばいいだけの話。

 そう言って彼女に悲しい思いをさせたくないから?良心の呵責に苛まれるから?

 どんな理由があろうと、このまま迎える最悪の終末よりはずっといいはずだった。

 分かっているんだ……。そんなこと――。


 今更どうしようというのか。どうしたいのか。どうにもならないのは僕が一番知っていた。どうにもならないのは今に始まったことではなかった。そうなった時、その時に、僕はすべてを捨てて諦めたはずだった。それが今になって、本当に意味もない今になって何故、こんな気持ちになるのだろう。僕は何を思っているのだろう。

 『――――』

 僕の中の何かが、囁いている。何を言っているのかは分からない。ただ、何か、誰かに願いを聞かされているような、そんな気がする。これは、誰の、誰への願いなのだろうか――。


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