めくるめく
「じゃじゃーーん!」
僕たちは中庭の都合よく日陰にある木造の椅子に、二人隣り合わせに座ってくつろいでいた。暑さは感じるものの、涼しい風も良く通るので気持ちが良かった。咲希の両手の上には青い弁当箱。二段式になっていて、ご飯とおかずで分かれているようだ。その中身は卵焼き、ウインナー、ポテトサラダなど、素朴でありながらもどれも美味しそうだった。もう一つの箱には、日本の伝統、真中に梅干しが添えられている白米が一面にぎっしりと詰まっている。それに、意外にも全く中身が崩れていなく、どうやら僕の心配は杞憂に終わったようだった。
「美味しそうだね、作ってもらったの?」
「ふふふ、私が作ったんですよー」
彼女は嬉しそうに目を細くして笑う。
「へえ、料理できるんだ。すごいなあ。ありがとうね」
「いえいえ、お兄さんはしないんですか?」
少し照れながら、それを隠すように問いかけてくる。
「しないね。どうせうまく作れないだろうし」
「最初は誰だって無理ですよ。……私だって最初からできたわけじゃないと思いますよ?」
思ったより前から料理をしていたのか、思い出すような仕草で言う。
あんなに若いのに、一体いつから料理していたんだろう……。女の子って凄いねえ。
「うーん、そうかもしれないけど……。まあ、それよりもう食べていいかな?」
僕はその会話から逃れるように、そそくさと本題のお弁当へと話題をそらす。
「あ、そうですね。じゃあ食べましょうか」
そう言って彼女は僕にその弁当を手渡すと、左手に置いてあるトートバックの中から小ぶりなピンク色の弁当箱を取り出す。ふたを開けると、ボリュームは減っているが僕のものと同じメニューが詰め込まれている。準備ができたのか、こちらを向く。
「じゃあ、いただきます」
「はい!いただきまーす」
そう言った後も彼女はこちらを見たままでいる。
……そんなに見られると食べ辛いんだけどな。まあ、しょうがない。と、じっとこちらを見る彼女を気にしないようにおかずを一つ取り、口へ運ぶ。
「……うまい。すごいうまい」
僕は本当に忌憚のない感想で言う。
「ほ、本当ですか!?へへへ……」
言葉一つで本当に嬉しそうにする彼女。彼女の表情を見るのは楽しいなと、いつも思う。
僕の感想を聞き安心したのか満足したのか、彼女も箸を伸ばし始める。おいしそうに卵焼きを食べている。その表情は本当に幸せそうで、見ているこっちも幸せになってしまいそうなほどだった。
「お花、きれいですね」
「うん、そうだね」
僕たちは弁当を食べ終わった後、そのまま椅子にくつろぎながら談笑していた。目の前には窓から見えていた花壇。様々な種類の花を見渡す。どれも綺麗に咲き誇っていて、しっかり手入れされていることが分かる。
「このオレンジと黄色のやつとか!」
「あぁ、マリーゴールドね」
「へー、これがマリーゴールドなんですか。良く知ってますね!」
「ん、まあね」
「ふふ、もしかしてお兄さんって案外乙女さんなんじゃないですか?」
最近、彼女は僕のことをからかうことに味を占めてきたようだ。僕としては、幾分か年の離れた少女にからかわれるというのは、些か矜持を傷つけられるものである気がする。しかし、僕がからかいすぎた竹箆返しなので、仕方がない。
「違う違う。たまたま知ってただけだよ」
こんなに男気満ち溢れる僕が乙女であるはずがないと、僕は否定する。
「んー、じゃあこの青いのは」
「アメリカンブルー」
「むむ、じゃあそのピンクのやつは」
「撫子」
「あの紫の――」
「桔梗」
「じゃ、じゃあ、あそこのいろんな色の!」
「アネモネかな」
「……やっぱり乙女じゃないですかー!」
「これくらい普通でしょ?女の子なら特に」
「う゛っ……」
「え?もちろん知ってるよね?」
こうしてからかわれたら、からかう。だから争いは終わらないのだと気づいてはいるが、そう簡単に止められるものではない。
「し、知ってますよ。ほら、あっちに咲いてるの、向日葵ですよ」
「……」
可哀そうで目も向けられなかった。かの向日葵でさえそっぽを向いている。『あなただけを見つめる』そんな花言葉を持つ向日葵に後頭部を曝されている彼女が、なんだか痛ましく思えた。
「う、うぅ……。この乙女オトコ……」
満身創痍の彼女の精一杯の罵倒だった。余計空しくなったのか、頭を落とし意気消沈している。髪が重力に則り、カーテンのように顔を隠している。そのカーテンを好奇心からか開いてみたくなったが、僕の理性がそれを押さえつける。
「冗談冗談、普通は知らないと思うよ。僕は本当に偶然知っていただけ」
そう言うと彼女は顔を上げる。表情を見るに、もう元気になったようだ。それとももともと落ち込んでなかったのか。演技だったのかどうなのか定かではないが、どちらにせよ、やはり女の子は恐い。
「もう、ひどいですよ」
「ごめんごめん」
「まあ、いろんなお花の名前聞けたからいいです。マリーゴールド、かあ……」
目の前に咲いている花を見ながら、何か含みのあるように言う。
「気に入った?」
「んー、そうですね。好きです。なにより私の好きなお花に色が似てて」
「へえ、なんて名前?」
「う……」
どうやら知らない様子だった。情けない表情で肩を落としている。不意に、何かを思いついたのか右手の握りこぶしを左手に掌に打ち当てる。彼女の頭の上に電球が灯ったように見えた。上半身をばっとこちらに回転させ、髪がふわりと跳ねる。背中に掛けてある帽子も同じように、動きを共にする。
「今度お兄さんに見せたらいいんですよ!」
「ああ、そうだね。見たら分かるかも」
「じゃあ今度私の秘密の、とっておきの場所に案内しちゃいます!そこにいっぱい咲いてるんですよ!」
そんなにあるのなら摘んでくる方が早いと思ったが、好きな花だと言うしそれは言わないでおくことにした。こういったことで、デリカシーが無いだの無神経だの、そう父が母にこっ酷く詰め寄られていたのを思い出す。
「秘密の場所?果たして第一号に勝るものを見せられるかな?」
「だいいちごう?」
「いや、なんでもない」
僕はもう奴のことは忘れることにした。
「じゃあ、今度行きましょうね!そう遠くないので!」
「今度って言っても、いつに?」
「私はいつでもいいですよ?」
「……」
「どうしました?」
突然黙った僕を心配そうに少し屈んで見つめる。
「……前々から思ってはいたけど、そんなにこんなところ来てて大丈夫?中学生の娘には退屈だろうし、なにより他の予定とかあるでしょ?」
僕は常日頃思っていたことを話した。僕には分からないが、真っ当な中学生の夏休みとはもっと充実したもののはずに違いないだろう。
「……」
今度は彼女が黙る。少し屈んでいるため、ここからでは顔を窺うことができない。しかし、なんだかまずい予感がする。彼女が黙る時というのは、大抵良い状況ではないからだ。
「―――は」
「え?」
「私は高校生です!!!」
「―――え?」
あまりにも予想外の言葉に、僕は呆気にとられた。その彼女の心からの叫びに呼応するように、蝉が一斉にあちらこちらで鳴き出す。




