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眠れぬ夜  作者: 智嶺瑠
9/9

オペラ

 アステラ都の全ての道は中央に導くようになっている。その中央にはバラで作られた巨大な日時計がある。時計から見て12時の方向に国立美術館、3時に国立図書館、6時に国立大学、そして9時に国立オペラ・ハウスがある。

 アステラを文化の国家にすることはキーアンの改革の一部である。アステラ市民の誰でも出入りができる文化の場を作ることから始まった改革の象徴でもあるオペラハウスは今夜も賑わっていた。広い入り口の隣にある窓口に平民たちが本日の演目の切符を買うために並んでいる。若い令嬢たちは馬車で到着する貴族を興味深く観察しながら、噂話に花を咲かせ、男性たちは国の未来について熱く語っていた。

 特に都の市民なら間違いようがない紋章が描いている馬車はオペラハウスの前に止まった。白い軍服のグレン・ガヤが降りると、周りが静まった。

 キーアン殿下は昨日の朝に到着していることは知り渡っていた。そしてガヤ総大将が一緒ではなかったからこそ、物知りの政治家たちは勝利はそれほど確実なものではないと読んでいた。

 絶句しているその物知りたちに誘惑的な笑みを見せてから、グレンがエリーゼに手を差し伸べた。

 令嬢たちが安堵のため息を吐こうとした瞬間、計らったかのようにグレンが先程と同じ笑みを見せながら、馬車の中へと手を差し伸べる。しかし中々出てこない人物とグレンが何か話しているようだ。珍しく楽しそうに話していることに、国一権力を持っている家の次男に近づきたいと願う娘たちは見逃すはずもなかった。

 琥珀色の髪を後頭部で一つにまとめ、垂らしている部分を数本の細い三つ編みにした、男の服装だとされている膝までの黒いブーツ、黒いズボンに白いシャツ、ベストとジャケットを着こなしている女性が降りた。首には白いクラバットを紋章の形をしたブロッチで留めている。

 エレンが不満そうに周りの様子を見る。

『常にあなたの掌の上に踊らせている気分だ』

 グレンは微笑んで、右腕を差し出す。エリーゼは既にグレンの左腕に腕を通している。息子に徹底的にエスコートをしてもらうつもりのようだ。エレンは負けを認め、グレンの腕に自分のを通した。


 1階の入り口ホールには外より人が多い。

 ガヤの次男にエスコートされている謎の男性服を着るの女性は誰なのかと気づくと、平民は跪き、貴族は深々とお辞儀をし、軍人は敬礼をする。

「両手に花ですな、総大将殿」と60歳の紳士がグレンたちに声をかけた。

「羨ましいだろう、アトラス公」とグレンはその紳士に笑顔で対応する。

 アトラス公爵はへフェスの妻、クララの叔父である。

「エリーゼ殿、今夜もお美しい」とエリーゼの左手の甲にキスをする。

「ふふふ、相変わらずですわね」

「こちらのお嬢様は?」とアトラスがエレンと目線を合わせるために少し前のめりになった。

 エレンが反射的に半歩を下げ、グレンの腕を掴んでいる手に力を入れた。が、グレンは気づいていないかのように振る舞う。

「ゼウス家のエレン嬢です」

「今回の助っ人ですかね」とアトラスが手を差し伸べた。

「否、アステラ軍の最強で、最終兵器というべきかな」

 ほぉとアトラスが興味深そうにエレンを見る。

「軍人ではないので、敬礼に慣れていないのですが、是非ご挨拶をさせてください」とアトラスがエレンの警戒を解くように微笑んだ。

「失礼に至ることをしてしまい、申し訳ありません」とエレンが差し伸ばされた手の上に手を置くと、アトラスが彼女の手を口に近づくが、キスを簡略した。「お気遣い、ありがとうございます」とエレンがすぐ手を引っ込めた。

 エリーゼは知り合いに挨拶に行っている間、アトラスとグレンが話していた。エレンが周りを観察しながら、警戒をしている様子だった。最初は嫌がったのに、グレンの腕をしっかり、というより痛いほどに、掴めている。

「エレン殿は都にしばらく滞在の予定ですか」とアトラスは気にかけて、話を振る。

「こちらに…」とエレンが話しだした瞬間に、突然誰かが足に縋りついた。

「お助けください」と一人の女性だった。

 エレンが驚きのあまりに固まった。

 グレンが内心で2回も舌打ちをした。女性にふいをつかれたことに対する舌打ちと女性の名前がすぐ思い出せないことへの苛立ちに対する舌打ちだった。

 母上はなぜいないんだ。

 エリーゼはアステラの貴族全員の名前と顔を覚えている。そして瞬時に思い出すことができる。

「メディア殿」とグレンが記憶の中から女性の名前を引っ張りだす。

 女性の登場からグレンが名前を思い出すまでは時計の分の針はまだ前に進んでさえいなかった。が、エレンをこんなところに連れてきた責任は重い。

 下級貴族の一人娘、メディアはオペラハウスにして随分質素な服装だった。季節と流行ハズレの安い甘色の布地のドレスは所々破っている。苦労の皺が実年齢より随分年をとっているように見せ、手入れされていない髪はボサボサだった。しかしアトラスは国一の美女をエスコートしているかのようにメディアに手を差し出した。その手を頼りに立ったメディアの頬が少し赤くなった。

「令嬢が公の場ですることではありませんよ」とグレンがあくまでも穏やかな話し方に心掛ける。「どうかなさいましたか」

 メディアがエレンへと左手を伸ばしたが、グレンがその手を掴む。遠くから見ると、メディア嬢はアトラスとグレンに支えているように見える。

「どうなさいましたか」とグレンが再度聞く。ただ今回は穏やかにほど遠い低い声だった。

 メディアが反射的に左手を引っ込もうとしたが、グレンはそうさせなかった。

「母が体調悪く、魔女に力を貸していただけないかと」とメディアが消え入りそうな声でいう。

「明日、私の使えの者を屋敷に行かせましょう」とグレンは近くにいたオペラハウスの守衛に目で指示をする。「オペラ前に少しは休まれたほうがいいでしょう」

 メディアは不安そうに守衛を見る。

「私もお供しよう」とアトラスがグレンに目配せてから、メディアと守衛と一緒に1階の奥へと消えていた。

「ね、グレン、そろそろ2階に行きましょう。美味しいワインを仕入れてもらったわ」とエリーゼがエレンの右側に立った。

 三人が騒がしい1階をあとにして、上級貴族と王族しか出入りができない2階に移動した。爵位以外でオペラハウスへの寄付、又は、オペラハウスの創立者であるキーアン王子の招待が2階への切符である。


 キーアンはもう到着していた。ルーカと一緒に一人の男性と話し込んでいる。グレンの姿を認めると、キーアンが手で総大将を呼ぶ。

 エレンはエリーゼにガヤと繋がりのある家の方々に紹介されていた。

 王子たちと話していた男性が去ると、赤いドレスの女性が、キーアンとグレンと同時に腕を組み、2人の頬にキスを落とした。

「やっぱり、着いていたのね」と女性がグレンに声をかける。

「殿下より遅く着くわけには行きませんよ」とグレンは涼しい顔でいう。


 キーアンより1日半遅れて出発することになったグレンはエレンの兵士数人とレナードの隊を率いて、キーアンたちより5日早く都の近くにある王子の屋敷に着いた。到着を待っている間、グレンはエレンと具体的な話をまとめ、必要な指示を出した。


 グレンの姿を視野に入れながら、エリーゼが次から次へ紹介している貴族と話していたエレンは親しく、すぎる、グレンと話す女性に気づく。一言断りながら、2階のロビーの中心になりつつある四人の基に行った。

 赤いドレスの女性と対面する形で、エレンがルーカとグレンの間に立った。

「あら、この可愛い方は噂の?」

「紹介しよう」とキーアンが紹介者の役割を買う。ルーカはアステラ貴族ではない。そしてグレンは紹介をすれば、耳を立てている周りにいる貴族に変に関係性が探られる。「こちらはアーレス夫人、私の財務大臣だ」とキーアンが赤いドレスの女性を指す。「こちらはエレン・ゼウス。アステラ国軍の次期大将だ」

「初めまして」とアーレス夫人が挨拶をする。

 キーアンが女性を財務大臣に選んだことは国内外でかなり噂された。愛人である女性に確かな地位を与えたいだけだと物知りの政治家たちが言いふらし、キーアンと関係を持てば貴族以上に安泰な地位が手に入れると令嬢たちが騒いだ。しかし今となっては、誰もそのようなことを口にしない。アーレスの手腕は確かだったからだ。

「噂以上に可愛いわね」とアーレスがエレンに近づこうとしたら、キーアンとグレンが同時に彼女の腰に手を回して、引き止めた。

 ルーカは失礼と言いながら、エレンを自分の後ろに引っ張った。

 エレンがこの見事な連携に驚いていた。

「彼女はだめだ」と3人の男性が一斉に言う。

「だめなの?」

「だめだ」

「遊ぼうと思ったのに…残念」とアーレスが妖しい笑みをエレンに向けたが、エレンは無表情のままだった。「政は是非一緒に遊んでね」その後、グレンの耳元で何かつぶやいてから、挨拶をして、男性たちの視線を浴びながら去った。

「油断は禁物だな」とキーアンはため息をついた。

「王宮一番手が早い男ですからね」とグレンは苦笑を浮かぶ。

「男?」とエレンが不思議そうにキーアンとグレンを見る。

「好みは我々とあまり変わらないという意味の男です」となぜかルーカが説明する。

「…そんなことより、殿下」とエレンが少し距離を置きながら、キーアンの斜め後ろにいるアンナを見ている。

 アンナは手を繋いでいたキーアンの妹、第一王女、エイミーと話し込んでいるようだったが、実際エレンの視線に気づいて、警戒体制に入っている。

 エレンは内心であきらめのため息をつく。なぜ人間は地味な現実を知るより妄想上の怪物を選ぶのかやはり理解できない。

「ご心配なくかすり傷一つもつけてないよ」とキーアンが得意顔で言った。

「かすり傷の方がマシだったと思わせるのは何故でしょうか」

「私より君の方が恐怖に感じているけどね」

「私の場合は不可抗力です」

 キーアンの唇が歪んだ笑みを描いていた。「エイミー、アンナ」とキーアンが呼ぶと、アンナの体に緊張が走ったのが王子の回りにいる三人にはっきりと見えた。二人がアーレス夫人と同じ場所に立つ。

 自分の隣で陣をとったエイミーに目線を合わせるようにグレンが跪いた。「お久しぶりでございます、エイミー王女」と少女の手をとり、甲にキスをすると、エイミーが顔を真っ赤にしながら、挨拶を返した。

 周りが全く目に入らず、自分にとっての王子様と話すエイミーを見守りながら、キーアンがアンナの腰に腕を回す。

「妹を先に紹介すべきだが、見ての通りなので、先にこちらを紹介しよう。エレン、こちらは私の秘書の右腕のアンナだ。アンナ、あちらはエレン・ゼウス、我が軍の次期大将だ。これから城でよく会うことになるから顔を覚えるように」

 アンナはエレンと目を合わせずに会釈をすると、エレンがルーカに見せた慈悲に満ちた笑顔でアンナに外国で声をかけた。

 キーアン、ルーカと3人の中で一番数多くの言語を取得しているグレンですら、エレンが何を話しているのかわからなかった。

 エレンが何か言い終わると、アンナがクスクスと控えめに笑った。答えていいかどうかと迷いながら、キーアンに目線で伺っていると、エレンがキーアンの名前を口にしながらまた何か言った。その言葉に勇気を付けられたアンナが、エレンとまっすぐ見ながら謎の言語で答えた。そして胸に手をおきながら、深々と頭を下げた。

「殿下」とエレンが「女性同士の話の中身について探るのは失礼ですよ」と釘をさす。

「何も聞かないと約束しよう」と身動きが取れなくなったキーアンが内心で舌打ちをしていた。エレンとの約束を破るのは国を危険に晒すに等しい。

 エイミーと話しながら、アンナとエレンのやり取りに耳を傾けていたグレンは一瞬エレンの方に目線を動かした。エイミーは会話の最中に一度も他者に目線を向けたことがないグレンの珍しい行動を見逃がさず、その視線の先を探す。

「じいやと同じ目の色の人だ」と興奮を押さえきれず、エイミーがエレンの元に急ぎ足で行く。

 エレンも跪いて、エイミーと目線を合わせた。下らない決まり事を一瞬にして無に返すエレンはやはり気に入っているとグレンが再度認識をした。

「初めましてエイミー王女、私、アステラ国軍次期大将のエレン・ゼウスと申します」

 エイミーが不思議そうに頭を傾ける。

「グレンと一緒に戦いに行くということ?」

「そうです」

「なぜ別国のお姫様がアステラの軍人になるの?」とエイミーは相変わらず教えてもらってもいないことに気づく。そしてするどい質問をしていた。

 普通の人ならばここで驚いて身を引くが、エレンの笑顔は益々深くなる。両手を差し出すとエイミーは何の躊躇もなく自分の手を乗せた。

「私の国がアステラに協力すると決めた証として私が軍に入ることになったの」

「軍人で良かったの?」

「他のものより少しだけ戦略が得意だから、軍人が良かった」

 エレンとエイミーのやり取りを見守っているキーアン、ルーカとグレンが苦笑した。エレンは少しだけ得意なら、天才は何を指すだろうか。

 オペラがそろそろ始まる合図の鐘が鳴る。

「もっとエレンと話したい」とエイミーがエレンの手を強く握り、キーアンに目で訴えていた。

「殿下、前からエイミー王女と約束していたパン屋での朝食を、明後日の朝殿下含め、エレン殿とアンナ殿を交えていかがでしょうか」とグレンが助け船を出した。

「それでいいか、エイミー」

「ありがとうございます。お兄様、グレン」とエイミーがエレンの手をぐっと握って「エレン、来てくれるよね」

「もちろん」

 エイミーは去る間際にエレンの耳元で何か言ってから、キーアンとアンナと手を繋いで王室用の席に向かっていった。その姿を思案げに見送っていたエレンにグレンは手を差しのべる。

 無意識と言えるほどに差しのべられた手を頼りに立ったエレンはまだエイミーたちの姿を目で追っていたが、握っている手から初めて感情を読み取る。しかし手の持ち主は相変わらずのポーカーフェイス。と思っていたが、自分に送られている視線は穏やかではなかった。

「...嫉妬をする理由が見当たらない」とエレンがグレンと目を合わせながら自信なさげに言う。こういう感情を正確に読み取るのは難しい。

「エレンを、それは視線だけであっても、私より一秒でも長く独占できるモノは全て嫉妬の対象だ」とグレンは一瞬だけ貴族の仮面を脱ぎかけた。

 回答に困り果てて、握られている自信の手を見ていたエレンに思わぬ助け船が来た。

「グレン、エレン、そろそろ始まるわ」

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