休憩
キーアンが出発した後、この戦場にいる兵士たちへの最後の指示をグレンが出した。
アステラ基準で言えば、ギルシは北にあり、南にはサンデゥーがある。
ギルシとの戦いで疲弊したアステラに侵入をするためにサンデゥーが準備に取りかかっているという情報が昨夜グレンの元に届いた。遅れを取らないようにグレンがキーアンを早めに都に帰し、南にある隊に準備に入るよう手紙を出した。そして都にいる軍の半分は来週南に向かって出発をする。
ギルシとの戦いに来ているのはアステラ国軍のたった5分の1。サンデゥーが近いうちに動くのであろうと読んでいた総大将は国の中心でもある都に軍の5分の2を残し、南に既に待機している5分の1は北の戦争が終わる頃に体力と精神が絶好調であるように調整した。そして残りの軍隊を西に待機。東は海に直面しているから、軍隊ではなく、まだ組織として出来上がっていないが稼働可能な海軍がいる。
アステラ国軍がギルシのとサンデゥーのと大きく異なる点は全ての兵士が戦争の玄人であることだ。16歳以上の男性ー奴隷であろうと平民であろうと貴族であろうとー希望があれば軍人になれる。最初の2年は全員が全寮制養成学校に行かされ、卒業試験はグレン総大将との剣の試合だ。その試合に基づいて、入隊の可否と最初に属する隊が決定される。
総大将と剣を合わせたことと名前を知られていることは兵士たちの誇りであり、アステラ軍の強さの秘密の一つでもある。アステラ兵はどんな過酷な命令であろうと総大将のためならばこなしてみせる。そしてグレンはその絶対的な信頼は一度も裏切ったことがない。
多くの人はグレンの人柄が生み出した結果だと思っているが、今の軍の強さも、兵士に人気の高い総大将の存在も全てキーアンが描いている国の改革の一部でしか過ぎない。100年間アステラを優位にできる軍隊形成はグレンへの命令だった。大きな変化に対する不満を押さえるため、まず人に頼り、その後は満足度の高い制度を確率させる。
しかしサンデゥーとの戦争で勝利することが目の前の課題だ。グレンは黒と白のチェスの駒を動かしながら、状況分析をしていた。
突然天幕に入ってきたエレンが老骨に嫌な顔をして、諦めのため息をついた。
そう、ここはエレンの天幕だ。エレンを味方につけるための最後の交渉にグレンが来ている。
「私は来ると見ていただろう。」と長椅子に優雅に座っているグレンは言う。
「全ての出来を見ていたら、今を過ごすより先見をしている時間のほうが長い。」
エレンの国での生活は知らないが、ここ数日見た限りグレンと大して変わらない生活をしているようだった。
「1日の中どれ位見ているんだ?」
エレンは先日と同様にいくつかの器の中に入っている液体で手と顔を洗ったあと、グレンの前の長椅子に座らず、無数の葉っぱの瓶がおいてあるテーブルに向かった。簡易的な台所のようで、水も沸かせる。
「さぁ、1日は24時間があると知っているが、体験したことがない。そもそも1日という単位は理解できていない。」
グレンは困った顔をした。
「どうやって出来事の順番がわかるんだ?」
「幸いなことに人間の体は周期的になっている。女の体はもっと周期的だ。1周期の間隔なら自分で体験しているから、間隔が狂わないように気を付けることによって同じ間隔の周期を何度も繰り返すことが出来る。後は数えるだけだ。私の周りに起きる全ての出来事を周期に当てはまれば順番がわかる。多くの人が基準にしている朝・昼・晩と時間を自分の周期に置き換えれば、日常には大きなずれが生じない。」
「しかし先見をしていることはいつ起こるか周期に当てはまることが出来ないだろう?」
「優秀な先見は多くの出来が見える者ではなく、見えたことを正しく分析出来る者だ。」
グレンが黙ったままエレンを見ている。エレンが鼻で笑って、彼の前でティーカップをおいた。
「私特製の紅茶だ。」と長椅子に座り、紅茶を一口を飲んだ。「これ以上の説明は先見にのみ教えられることだ。」
「残念。」とグレンが紅茶を一口飲んだ。
じいやが作ってくれるものとよく似ているが、何かが違う。
「じいやと呼ばれている者がよく作る紅茶と似ているだろう。」
「ああ、ただ何かが違う。」
じいやが作る紅茶は疲れをとり、傷を早く癒す。エレンの紅茶は疲れを取るだけではなく、緊張した筋肉をほぐすようだった。傷を癒すかどうかは今確認できないが。
「なぜ私の民族ではなく、私だけ魔女と呼ばれているか知っているか。」
グレンが眉を上げた。
「アステラに生存している草だけで、効能の異なった紅茶を5千通りも作れる。他の地域のものも合わせれば、もっと組み合わせが豊富だ。」
グレンは紅茶を見つめた。お見通しかと自嘲気味に笑う。
「数日の休みおすすめする。」
「わかっている。」
グレンはギルシとの戦争前からかなりの激務だった。疲れがたまっているのは事実だ。
「じいやに渡すといい」とエレンが折りたたんだ紙をグレンに渡した。
断ってから、読んでみるといくつの紅茶の作り方だった。ありがたくいただこうとグレンが軍服の内ポケットに紙をしまった。
先ほどの時間の話を頭で整理していると、ふっとある疑問が浮かんだ。
「君は今にいる確認が出来る方法はなんだ?」
エレンが髪を自由にしながら、笑った。
「グレンと話していると実験用の動物の気分になるな」
グレン?エレンはこの数日一度も自分の名前を口にしなかった。自分もエレンの名前を口にしなかったが、理由は違うだろう。
「気分を悪くしたなら、もう聞かない。」
「かまわないよ。ただ私と対面をする多くの者は私の力に対し恐怖を感じるだけで、話題に出さないようにしようとする。しかしグレンは理論的にその力を理解しようとするから不思議なんだ。」
「わからないことについては学ぶしかない。それに同じ人間に恐怖を感じる理由がわからない。」
エレンが少し寂しそうに微笑んだ。
「・・・会話だ。私は会話で干渉できるのは今だけだから。」
「なるほど」と紅茶をもう一口のんでいると、初めてエレンが個人的な質問をしてきた。
「あの気持ち悪い王子と同じ大学を通ったのか。」
「キーアン殿下が医学を勉強していた頃、私は軍学校を通っていた。」
「軍学校と大学で同時に主席で卒業したと聞いたが・・・」
「よく軍学校を抜けて、大学の授業に忍び込んでいたんだ。」とその頃を思い出すようにグレンが口を手で隠しながら笑った。「先生方に知られてしまい、そんなに大学を通いたいなら、同時に卒業しろと言われてね。受けたつことにしただけさ。」
エレンが少し絡み合っている髪をほぐしながら、小さく呟いた。
「私も大学に行ってみたかったなぁ」
「行けるよ。君ほどの天才を断る大学がいない。」
エレンが驚いた顔をした。
「都に着けば 、手筈を整えよう。」
「都に行くとは言っていないが・・・」
グレンは意味ありげな笑みで答えた。逃げると思うなよと言うかのように。
「君が欲しい後ろ楯に私がなろう。」
「そこまでして、私の協力が欲しいのか。」
「いや、そこまでして君自身が欲しい。」とグレンが紅茶を飲み干した。「どんな対価を払ってもだ。」
「わかった。ただ愛人にはならない。」
「愛人?誤解を招く言い方をしてしまったな。君の能力が欲しいんだ。床を共にすることに関しては、じっくり時間をかけて君を口説くとしよう。」
二人同時に笑った。
「しかし」と一拍をおいてからグレンが言い出した。「君の紅茶の効果か、すごく眠い。」
「横になると良い」と言いながら、エレンがこの前薄手のカーテンと外の光を遮る程の厚手のカーテンを締めた。
「他人の居るところで寝ない。」
「結婚をする・・・」とエレンが一瞬言葉を一瞬失った。
結婚?
「・・・この野営地の一番安全な天幕だと保証する。」とグレンが座っている長椅子に枕を2つおいた。「それに休息の後で戦略も閃こう。」
眠気に勝てないようで不満な顔をしながら、グレンが長靴を脱ぎ、横になった。
エレンが白いビショップを動かしてから、蝋燭を消した。そして天幕の奥に姿を消す。
チェスボードを見ながら、グレンが深い眠りに落ちた。