交渉
キーアンとルーカが天幕の外でエレンを待っていた。天幕の前に大きな空間がすでにできていた。けがを負っていない兵士の8割はもう出発の準備に関わっていた。一歩先に出発するけが人はもう馬車に移動されて、残りの2割の兵士の一部は護衛任務につき、もう一部は戦場でまだ生き残りがいないかを確認していた。
グレンは早く軍を引き上げることでも有名。無駄のない男だとキーアンがいつも感心している。
行き来する兵士の姿を落ち着きなく見ていたルーカにキーアンが声をかけた。
「初めて会うのか。」
「ああ。直接会うことを許されていないんだ。」とルーカが少し伸びて目に落ちてくる薄い茶色の髪を掻き上げた。
ルーカはキーアンとほぼ同じ身長の180センチだ。ただルーカはギルシ軍で副大将をしているため体をかなり鍛えている。その成果、キーアンよりかなり大きく見える。一方黒髪に灰色の目のキーアンは玉座に座る者の独特な有無を言わせない雰囲気があった。国を治めるのにどちらが向いているか一目瞭然だった、ルーカにとっては残念なことだが。
「戦場で本人だと良く気づいたな。」
「噂であの美貌について聞いたからね。それにアステラ国軍の総大将もよく知っているから、作戦にすぐ気付いたんだ。」と苦笑いをするルーカ。
「私もまだ会っていないから、楽しみなんだ。グレンもかなり彼女のことを気に入っているよう・・・」とキーアンが言葉を失った。
この野営地で唯一身の安全を保証されている女性がこちらに向かっていた。エレンが共もつけず、彼女の隊のベージュな軍服を纏い、一本の剣を腰からぶらさげていた。髪はきっちり後ろにまとめているから、美しさは半減しているが、朝の太陽に光る琥珀色には形容しがたい神秘さがあった。
キーアンとルーカが一瞬息をのむ。
「崇める理由がわかった」とキーアンがつぶやいた。
キーアンとルーカの緊張に全く気付いていないかのように、キーアンの左後ろに立ったグレンが言う。
「崇めるより自分のものにしたいのは男の心理ではないか。」と濡れている短く切った黒髪を後ろに流した。
キーアンとルーカより10センチ高い身長のグレンは総大将にしては細く見える。見た目から判断をすると、グレンとルーカの対決になれば、グレンには勝ち目はない。ただこの男を見た目で判断するのは非常に危険だと幼馴染でもあるキーアンもルーカもわかりきっていることだ。
「遅いぞ」とキーアンは文句を言うとグレンはただ笑顔で答えた。
そしてルーカが不機嫌そうにグレンを見ている。
「おはようございます、キーアン殿下、ルーカ殿下」とグレンは何も気づいていないかのように言う。
そこで少し高めの声が挨拶をする。
「おはようございます、キーアン殿下、ルーカ殿下、ガヤ総大将。」とエレンが言った。
キーアンが笑顔を向きながら、手を出しだす。エレンが自分の手の上に手をのせるのを待っている。
その手を見て、エレンがきっぱりと言った。「キーアン殿下、戦場には令嬢等どこにもいません。」
「失敬」とキーアンが手を引っ込んだ。「おはようございます、エレン殿・・・と呼んでも良いでしょうか。」
「かまいません。そしてルーカ殿下」と頭を下げていたルーカに声をかけた。「戦場には神もいませんよ。」
驚いたルーカが顔を上げて、エレンと眼を合わせた。エレンが慈愛に満ちた笑顔を見せた。
「おはようございます」とグレンが言うが、エレンが目を合わせずただ上下に頭を振った。
初めて会ったときに遊びすぎたのかと中々目を合わせてくれないエレンを見て、グレンは内心分析をする。
「こちらへどうぞ」とグレンは三人を天幕に案内をした。
天幕の中に大きなテーブル、それを囲うように4つの椅子があった。キーアンが一番奥の椅子に座り、グレンは彼の左、ルーカは右、そしてエレンが入口を背中にして座った。
「さて、協力と引き換えに出された条件通りルーカは傷一つなくこちらにいる。」とキーアンが話し出した。「そして君が約束した通りに勝利を5日以内に収めることができた。もう一つの条件は何かな。」
「キーアン殿下が描いている改革をその通りに実行してください。」
キーアンが眉をあげた。なぜ知っているんだ。
「ただ、へフェス・ガヤを内相につけ、元ギルシの第一王子ルーカを外相に仕立ててください。」
へフェス・ガヤはグレンの5歳年上の兄であり、ガヤ家の長男でもある。
ルーカは驚いているが、キーアンもグレンも表情を変えない。
「敵国の王子を外相にか・・・」
「そうすれば、統一に力を貸しましょう。」
エレンは自分なしじゃ、アステラとギルシの統一は不可能だと良くわかっていた。
「その条件をのむと引き換えに、君の部隊を我が軍に入ることだ。」
「かまいません。ただ私の兵士は私の命令以外は聞きません。」
「君を今の立場から降ろすつもりはない。詳細はグレンとつめてくれ。・・・ルーカ、出発の準備だ。」
「え?」とまだついていけていないルーカがキーアンとエレンを交互に見た。
それなりの条件がでるとは思っていたが、ルーカを外相にするのは想定外だった。しかしギルシ第一王子の外交の高い能力はキーアンも評価していた。それに改革をするためには、人が足りていないのは事実だった。戦争に勝ったついでに、欲しかった有能な男が手に入った。そのおかげで、外交をルーカとグレンに任せて、へフェスと内政に集中ができる。グレンはとんでもない助っ人を連れてきたな。
「しかし・・・」とルーカが迷う。
ギルシでは王室の秘密とされている話がある。エリーネス民族の最も強い先見が敵として戦場に現れたとき、ギルシ国と王族が滅ぶ。だから、ルーカがエレンを戦場でみた瞬間に、運命のときが来たと悟った。
「ルーカ大臣、運命とは自分の力で書くものですよ。」とエレンが言うと、ルーカが笑顔で頭を上下に振った。
キーアンとグレンは少し不思議そうにこのやり取りを聞いていた。
「出発の準備をしてくる。」
「そして出過ぎたことを言いますが、ここであの者と別れをつげたほうが良いです。」
ルーカは一瞬の動揺を見せる。
「こちらで面倒を見るよ。」とグレンが約束をすると、ルーカは頼むとつぶやいてから、天幕を後にした。
「総大将殿は本当に余計なことをしてくれましたね」とエレンがグレンに悪態をつく。
「私の戦場で、これ以上魔女に好き勝手させませんよ。」
エレンが舌打ちをした。
おやとキーアンはグレンのエレンに対する態度に少し驚いていた。