休戦
エレンは珍しい風貌をしている。赤みのかかった琥珀色の髪に琥珀色の目。この地域の者より少し白い肌。噂によるとエリーネス民族の女性とアステラ王国の男性、つまりラティーニュ民族、の間に生まれたものの、身体特徴は全てエリーネス族のものである。
しかしエリーネス族の特徴はこの地域にして珍しい風貌だけではない。 グレンがエレンのことを魔女と呼んでいる理由は現代科学を超える身体と自然についての長けた知恵と特殊な力のためである。その特殊な力とは、人の心が読めることと先が見えることだ。
入り口付近においてある金の丸い器の白い液体で念入りに手と腕を洗ってから、瓶、それも金で作られたもの、の中身を手と手首にひろげた後、別の器の少し赤みのかかった白い液体で顔と首を洗う。熱い布で濡れた顔と手を拭きながら、血と土で汚れた軍服の上着を椅子においてあった上着に着替える。
本望を言えば服を全部脱ぎ捨てて、火傷しそうな位熱いバスタブに入りたい。ただ今まで無視していた興味深そうにこちらを観察している客人をこれ以上無視できそうにない。 エレンが重い足どりでその客人の向かいの長椅子に腰を掛けた。1日の戦いの疲れが一気に寄せてくる。軽いめまいもした。しかしこの男の前で隙を見せてはならないとエレンが挑発的に客人と目を合わせた。
わが家であるかのようにエレンの天幕の真ん中にある長椅子に座る客人、グレンは背もたれに両腕を広げておき、長い足を優雅に組んでいる。質のいい白いシャツと黒いズボンとブーツはこの男が今戦場からただ数メートル離れたところにいることを忘れさせる。
グレンはやっと自分と目を合わせたエレンに笑顔を見せながら、テーブルの上のティーカップをそっと差し出した。
「君が作る紅茶とよく似たものだ」とグレンは戦場にいるときと違い、落ち着きのある低い声で言った。
エレンはティーカープを見つめているが、手をなかなか伸ばそうとしない。グレンはティーカープを手に取り、中身を飲むと、エレンの前にまた戻した。
「君を敵に回すつもりはない。危害を加えるつもりもない。」
エレンが警戒体制解くかのように深いため息をついた。ティーカープを両手でとると、匂いを確認してから、紅茶を一口を飲む。確かに自分が作る紅茶とよく似ている。ただいくつかの材料が足りない。が、今から自分で作る気力がない。
グレンは笑顔だが、鋭い目線でエレンを観察していた。
「そのティーカップを落とす確率と落とさない確率は五分五分であれば、どちらを見ることになるんだ?」とグレンは突然質問を口にした。
「見えたときに起きる確率が高いほうだ。五分五分の可能性は実際存在しない」
「では見えたものと実際起きたことは違うこともあり得ると」
「起きない限り確実な出来事ではないからだ。あくまでも可能性の話だ。」
「可能性を事実にするかしないかも人次第ならば、好都合の事実を起こさせることができる。」
エレンが少し疲れたかように微笑んだ。
「小さな力は使い方次第で大きな力になる。軍人ならよく知っていることだろう。」
グレンは頷いた。
エレンがティーカープをおく。
「疲れているんだ。探り合いをする気分ではない。」と髪を止めていたピンを外すと、緩やかな波の琥珀色の髪が自由になる。
グレンは一瞬息を飲んだ。胸まで伸びる美しい髪がエレンを益々神々に近い存在だと思わせる。隣国の王室に崇められる理由が納得できる。グレン自身も初めてみたとき美しい女性だと思った。しかし隊長の仮面を外した無防備なエレンは違う意味で魔女そのものだった。そして厄介なことに自分の美貌に全く自覚がない魔女だ。いや、ある意味本物か。
口を開きかけたグレンが天幕の入口を見つめた。
エレンの部隊の一人の兵士が2つの器を載せた盆をもって入ってきた。
『失礼します、隊長。』とエリーネス語で兵士が声をかけた。
エレンが無言でその兵士を見ると、兵士が驚いた表情を見せる。
動かない上司と部下を見ていたグレンが兵士の反応を理解できず、痺れを切らして盆を受け取りに彼の前に立つ。
グレンとほぼ同じ身長のエリーネス兵士が不満そうに彼を睨んでから、盆を渡す。
二人分の食事だった。つまり自分の訪問は予定内のことか。
『今日はもう出ない。』とエレンが言うと、『分かりました。』と兵士が笑顔でエレンに答えてから、天幕から出る前にもう一度グレンを睨んだ。
アステラ軍の総大将を睨んでいたことをわかっているのかと怒りというより、不可解な気持ちでエレンの元に戻る。
「カーテンを閉めてもらえるかしら」と小声でエレンがお願いをする。
入口と二人が今いる空間を仕切るカーテンを閉めたと、入口から二人の姿が見えない。盆においてあった一つの器をエレンの前におき、グレンがもう1つの器に手を伸ばした。
この地域に珍しい調味料のいい香りがした。グレンは遠慮なく、器の中身を食べ始めた。具がたくさん入ったスープのようなものだった。
「私に毒味をさせてから、食べないのか。」とエレンが不思議そうにグレンを見る。
「殿下、レナードと私の身の回りを世話している使用人は私が今この天幕に来ていることを知っている。私を殺して、敵に変わった部隊の野営地から逃げるのは君であっても不可能だと思うが・・・」とグレンは挑発的な笑みを見せた。
エレンが鼻で笑った。
「私の部下かもしれない」
「君にとって不利なことをしないだろう。いくら私のことを気に食わなくても」
エレンがスプーンを手に取ろうとしたが、手に力が入らずあきらめて、長椅子に背中を預けた。グレンと目を合わせずに話し出す。
「それで、用件はなんだ?」
「美しい女性と一緒に食事がしたかっただけだ。」
エレンがまた睨むと、グレンが微笑んだ。
そう、目をそらすな。
「睨んでも美しいことに代わりはないよ。」
エレンが呆れのため息をつきながら、「下らない遊びに付き合っている体力は、正直、今ない。用件はなんだ?」
グレンは移動して、エレンの隣に座った。
「約束を守ったと言いにきただけだ。レナードは君を見失ったことに対する処罰は受けていない。そしてルーカはちゃんと生きている。」
ルーカを見送ってから、グレンがエレンを探しに出た。意外なことにアステラの野営地に近いところから物事を見守っていた。
「ルーカに会ってあげないのか。」
「明日あの気持ち悪い王子と会うときに、会おう。神はこの有り様じゃ、幻滅するだろう」とエレンが自嘲気味に言う。
神扱いされるのはやはり好きではない。
「私なら惚れ直す」とグレンはエレンを流し目で見ながら、甘い声で言った。
「人を弄ぶのはそんなに楽しいのか。」
グレンがスープの入った器を手に取る。
「楽しくないといえば嘘になるが、この天幕に入ってから一度も君を弄んでいない。正直に思っていることを口にしたまでだ。」
エレンは信じられないようだったが、これ以上何を言っても無駄だと悟ったように肩をすくめた。
グレンがスプーンで掬ったスープをエレンに差し出す。見つけたとき腕に傷を負っていたのは見逃さなかった。
エレンは抵抗も見せなかった。
「否定すると思った」
エレンが傷を負っている前腕に手を軽く乗せた。
「知っているんだろう。隠しても無駄だ。」
「知っているのと、確信をしているのは大きく異なる。」
「敵ならね。」
「手当ては?」
「もう済んでいる。」
エレンが食事を食べ終わると、グレンは全ての食器を盆に載せてから、立った。
「アステラ軍の総大将を使用人代わりにするとは」と笑いながら言う。
「高くつきそうだな。」
「今日は見逃してあげよう。明日朝の点呼後、軍の作戦部の天幕で気持ち悪い王子と信者と一緒に魔女を待っている。」
エレンが上下び頭をふると、グレンが天幕を後にした。