いつかまたあの日に戻れる様に
色々あった日々、後悔だけが残ったあの日。
私は1人家に戻り部屋の片付けを始めた。片付けは5日間かかった。その間、思い出に浸ってしまった時間もあった為、少し時間がかかった。細かな荷物はほとんどダンボールに詰めて、必要ないものはゴミ袋に入れた。大きな家電品は引越しやにお願いした。家電も、今ある荷物もほとんど、里美の実家に行く物だ。ほぼ荷物が空になり、あとは家の退去手続きのみだった。明日に退去を控えた日、本当にここでの生活が終わりを迎えるのだと感じた。今部屋にあるものは部屋の電気と布団だけだった。こんなにも部屋は広かったんだなって。何もないとやっぱり寂しいものなんだなって感じた。私は最後、みんなでご飯を食べた食卓のあった場所を眺め、子供達が寝ていた部屋も見る。そしてよく里美と話したり、テレビ見たり、映画を見たりしたリビングを見た。
周りからみたら救いようのないダメ人間
で自業自得なのはもうわかっている。でも私なりに頑張ってきた。
間違った頑張り方だったけれども。間違ってたけど、家族との時間は本当に楽しかった。それだけは間違ってない。
よくよく考えれば遅かれ早かれこうなっていたのも時間の問題だったかもしれない。離婚前に里美は「パパ、何かあったら私にも言ってほしい」と言っていた事があった。私は借金の事を何も言わないで、ここまできてしまったんだよな。最後離婚の時に言っても遅かったよな。
私は借金の事をもっと早く相談していればと思った。
借金の事を早く言っても何も変わらなかったかもしれないけど、それでも里美を本当に愛しているなら言うべきだった。
退去当日、部屋の修復担当の方がきた。担当者が「きれいにお使いなってましたね。」と言った。私は里美がいつもきれいにしてたからなーと思った。担当者が「あれ、これは?」と壁を見た。そこには薄い黄色のクレヨンで、梨花が壁に書いた私と里美と梨花と結生とお腹の赤ちゃんと天国の赤ちゃんを書いた絵があった。あたりにも薄い色だった為、気づかなかった。担当者が「かわいい絵ですね」と言った。私は「はは、すいません。」と言った。
私は全ての手続きが終わり実家に帰る事になった。
その後、たまに子供達とテレビ電話をして、半年が過ぎあたりで子供達に一度会いに行った。とても元気な様子だった。釣りしたり散歩したり。楽しかった。日帰りだったが、改めて家族との時間を過ごすと帰るのが辛かった。会うのはとても楽しみなのに帰りはとても辛かった。子供達にも寂しそうだった。里美は離婚した後、もう夫婦らしい対応は取らなくなっていた。それは一つのケジメだった。
女性は強いなって思った。私が女々しいだけなのかな。
いや、里美は強くなかったんだと思う。強く生きようとしてた。子供達がいる前で弱音は吐けなかったんだろう。
里美は私に何も言わなかった。辛いことがあったか、わからないけど言わない様してたんだと思う。もう夫婦ではないのだから。
里美のお腹は大きくなっていた。出産予定日は7月から8月頃だった。もうすぐで産まれる。性別は女の子の予定だった。
その後里美は、無事女の子を出産した。名前は未希だった。未来が希望で満ちていますようにという願いを込めて付けたそうだ。
いい名前だった。
喜びに満ちていた。生命が生まれるという事と同時に人はいつか生命を終える日が来る。
未希が産まれて、2日後。
私宛に一本の電話が仕事先に連絡があった。電話に出ると、姉からだった。「優希?お母さんが、お母さんが危篤状態なの。もう長くないかもしれない。病院に来れる?」と焦っている電話だった。私は職場の上司に事情を話し急いで大学病院に向かった。
急いで病室に向かう。病室の前の廊下には姉、横には見たことない男の人、兄がいた。私を見て姉は一つ頷いた。中に入ると父が立っており、その部屋のベッドには多分、母らしい人が横になっていた。私は小さい頃の母しか覚えていない。今、目の前にいる人は、大分痩せており、髪の毛も抜けている部分も多かった。顔を見て母だろうと確認した。私は「お母さん?わかる?俺だよ。優希だよ。」と言った。すると横にいた父が「お母さん…お前が来るちょっと前に息を引き取ったんだ。」私は「えっ、」と言葉を失った。父が「もうすぐで優希がくるとお母さんに伝えたら、最後笑って待っていたんだ。何度も心肺停止になりながら。」
母の手には私達、里美達が写ってる家族の写真が一枚だけ握りしめられていた。この写真は父に渡した物だった。最後に母に見せたのだろうか。病室には私が小さい頃写真が何枚か飾られていた。
私は「お母さん、お母さん。何だよ。やっと会えたのにこんなのないよ。」私はもっと早く母に会えばよかった。母に会って自分の言葉で、自分で家族を持ってたくさんの事がわかった。母の偉大さを知ったと。最後母に会って自分の言葉で、産んでくれてありがとうと伝えられなかった。
私は「お母さんに対して色々な複雑な想いはたくさんある。でも…でもね、お母さん、お母さんの子供に産まれて、今はよかったと思うよ。…覚えてるかな。俺が小さい時に、お母さんが俺に約束した事。今度いつかレストランにご飯食べに行こうって言った事。あれがお母さんと直接話した最後の言葉だよ。お母さん、俺が帰ってくるのが遅くて食べれなかったね。ごめんな。次お母さんの子供にまた生まれる事ができたら、次はレストランにご飯食べに行こう。約束だからな。」と最後の言葉をかけた。
母は笑っている様に見えた。
母親は前に肺がんになり、その後肺がんが転移し、余命宣告も受けていたそうだ。
母の葬式は家族だけで行われた。
葬儀も終わり家族で集まった際、姉に今日いた知らない男性を誰だったかを聞いた。姉の横に居た知らない男性は姉の婚約者だった様だ。姉とよく母の病室に来ていたそうだった。私は前に姉兄には結婚した事は電話で話していた。姉から家族は元気?と聞かれた。そういえば、離婚した事を話してなかった。私は兄弟に今までの経緯を話した。兄弟は言葉を失っていた。借金してる事、それなのに子供が三人いる事。姉からは相当怒られた。子供の件はおめでたい事だが、借金はおかしいと言われた。それは里美さんにも愛想つかされて当然と言われた。私は姉から返済が大変なら自己破産しろと言われた。私は断った。姉はもうお前はそのぐらいして出直さないとダメだと散々言われた。私はもう自分がダメになっている事もよくわかっていた。姉も兄も、父も私がこれだけの借金がある事はしらなかった。もちろん今までの生活も。だから、姉も兄も結論で物を言った。自己破産しろと。他の家族に迷惑はかけるなと。父はかばおうとしてくれていた。実は父自身も借金がある事を父が話し始めた。この際だからと思ったんだろう。リフォームをした時に借金をしたらしい。そのリフォームは私達と住むためとは言わなかった。あくまで、もうぼろぼろだった為と言っていた。父はもう定年を迎えていたが、退職金を母にあげてあとは母の肺がんの治療費などに使っていたらしい。なので、お金はなかった。
姉はため息をついた。とりあえず、私は車を売却する事になった。車はまだまだローンがあった為、売却してもローンが一年残る形になった。それでも少しでもかかるものは減らせと言われた。私はこれ以上失うものはないし、一からやり直す為には、今は人に意見できる立場ではないと思った。
そうやって前向き進もうと一歩一歩やっていたが、色々と一度に色んな出来事があったせいか、私の精神面は知らず知らず危険な状態に陥っていた。
借金をずっと言わずにいた事、借金への不安、借金で生活困窮し、生活そのものを楽にしたいと思い転職し長続きせず退職、その借金が原因で離婚。そして、母の他界、車や自分の持っていた物をほとんど売却しゼロにした。
姉兄からは借金の事で毎月連絡が来て、お金を管理されていた。姉兄にここまでされてもしょうがないとわかっていた。
しかし、急に不安な気持ちが強くなった。改めて全て清算すると本当に失ったと、何も残らないんだなって思うと、何度も苦しむ様になった。お金とかの以前に何か自分でも理解できない不安に襲われていた。睡眠も取れずにいた。食欲も無くなっていた。仕事もミスが多くなり、言われた事が上手く記憶出来なくなっていた。段々と声も出なくなり、苦しくなった。私は職場に相談すると心療内科に行くように勧められた。
診断は鬱だった。パニック障害も出ているそうだった。先生から気づかない内に既にパニックや鬱状態になっており、それが常に気づかない内に日常的に起きていたんだと言われた。なる原因は様々だが、私の場合は、色々ショックな出来事が続いた事が引き金で、そのショックを上手く体で消化できなかったのが原因にあるとした。結局、睡眠薬と動悸やパニックを抑える薬と腸整剤をもらった。根気強く心療内科の先生のアドバイスのもと、仕事以外に運動や睡眠もしっかり取るように心掛けた。何度も苦しい日はあった。その度、父にも八つ当たりしてしまう日もあって本当に嫌になりそうな日々もあったが、里美達に比べればきっとこんなものと思い、毎日自分に厳しくしていた。それからというもの落ち着いたり落ち込んだりは未だあるが少しこの病気とも素直に向き合えるようになっていた。
それから周りにもアドバイスももらいながら自分のペースでやっている。
今は少しでも、少しでも、借金を返して、里美達に養育費を送って、最低限の生活を実家でしている。まだまだ借金はある。
あと何年かかるかはわからない。でも一日でも早く返済する為に頑張らなきゃと心に言い聞かせている。
自分の為に、
子供達の為に、
里美の為に、
そして
かけがえない家族の為に。
どんな失敗しても、どんなに辛くても、どんなに嫌でも、いつか報われる日がくると思う。だから、だから私は失敗した事をいつまでも後悔しないで、真っ直ぐ前だけ見て進もうと思う。
月日が流れた。
外では蝉の鳴き声が夏の始まりを知らせていた。
「はぁ、はぁ、もうすぐかな。約束の公園。」
公園に着くと一面にきれいな芝生が広がっていた。遠くから声がした。
「パ…パ…、パー…パー、」
私は振り向いた。
私は持っていた荷物を投げて声のする方へ走った。全力で走った。声あげて走った。
「里美ー、梨花ー、結生ー、未希ー、」
そう、あの日終わったけれども、始まったばかり。先は長いかもしれないけど。
もう愛情の中に嘘はいらない。今は正直に生きよう。ありのままの姿で。
どんな事があっても、どんな事が起きても、今はその一瞬一瞬を大切に一生懸命全力で生きよう。
あの日全てを失ったけれども、
いつかあの日に戻れるように
「パパ、おかえり」
「ただいま」
終わり
こんな作品を最後まで読んで頂きありがとうございました。
失った物は大きすぎるけど、全てが終わりじゃない。離れても大切な家族には変わりない。だから少しずつだけど、前を見て現実を受け止めて進まなくては。