あの日全てを失った
私自身、家電量販店の契約社員のままでは食べていけないと思い、転職を考えた。年齢も30歳。もう仕事は選べない。資格も特別なく今まで転職も何度かしている。焦っていた。コンビニに無料で置いてある求人雑誌に、食品を配送する運転手の仕事があった。手当て込みで29万だった。ここにすぐに電話した。すぐに面接になり、行ったら受かった。びっくりした。受かった理由は家族がいて、色々あって引っ越しもしたばかりで、結婚してから少し経ちますがこれから、新婚生活を始めたいと話したら、夢があっていいと面接官がその場で内定をくれた。嬉しかった。里美も大いに喜んでくれた。この給料なら、なんとか仕事掛け持ちせずギリギリだけど、生活できると思った。
しかし、仕事は想像以上に私とは合わなかった。今まで、接客などを好きでやっていた分、運転手の仕事を違う意味でなめていた。仕事時間は夜中2時から翌日の13時まで。そこからセンターに戻り片付けし、事務処理、入金処理して帰る。大体15過ぎ頃、家に着くが夕方19時ぐらいに寝ないと体は追いつかなかった。仕事の時間は慣れればという所だったが、仕事内容が私には根本的にやりがいを感じられないでいた。
そもそもトラックの運転も慣れない上に、黙々と納品するのと回収、ましてや運転のエリアが苦手の都内だったのと、指導員の人がとにかく細かく、バックが少しでも斜めになると俺の話し聞いてた?ちゃんと運転してよ。と繰り返し5分ごとぐらいに言っていた。そう、この指導員が仕事というか人として根本的に合わなかった。コミニュケーションも取らない人で会話もなく、仕事を本当にクソ真面目にやる人だった。真面目なのはいいが細かく、気に入らないととにかくしつこいほど、指摘を入れてくる。言われる側はテンパってしまう。それでも繰り返し言われるので訳が分からなくなる。私は今まで、人と合わないなんてそんな事なかったが、生まれて初めてこの人は合わないと感じていた。それが毎日、助手席の隣で狭い空間に二人。耐えられなかった。
仕事を始めて二週間、里美に「すまん、本当にすまん。今の仕事合わない上司で無理だ。」と話した。ちょっとした愚痴程度だったつもりだったが、里美は今回ばかりは「また仕事辞めるの?」という様になった。当然普通考えれば、言われて仕方ない事だし、何甘い事言ってんだってなるのに、私はその時、里美に「里美にはわかんないよ。俺の辛さなんて」とやけになった言い方をしてしまった。
それから里美は私の話に何も答えようとしなくなった。
この日から里美は私に言いたい事を言わなくなり、私の顔色を伺う様になり、私に気を使い始めてしまった。
あれから一週間だった頃、いつもの様、夜中に起きて里美におにぎりを作ってもらい、見送ってもらい家を出た。車に乗り込み、職場に向かう。途中里美からメールが来た。「パパ、仕事毎日ありがとう。もう無理しないでいいから。」と書いてあった。私は本当に仕事の上司で気が滅入っていた為、この言葉で仕事辞めてやはり営業で正社員を目指そうとした。どんな仕事でも合わない仕事より、合う仕事の方がと思っていた。こんなにも営業や接客がやりたいと思う日はなかった。
私は職場のセンターについて辞めますと伝えた。センター長はびっくりしている様子だったが、こういう話はしょっちゅうある話なのか手際よく退職手続きをして職場を後にした。足りない制服は後日郵送でという形で、そのまま家に帰った。
家に着き「ただいま」と家に入る。時刻は夜中3時40分頃だった。里美は結生に母乳をあげていた。びっくりしていたが、里美は私が帰って来た事に何も言わなかった。私も素直に話しずらかった。
次の日里美は私に「お仕事辞めたの?」と聞いてきた。私は「うん。ごめん…」と言った。里美は「ううん、」と言った。明らかに気を使わせてしまっていた。いつしか里美は私への信頼も信用も薄れ、近寄りがたい存在になっていた。
私は片っ端から営業職のサイトに応募した。連絡が来たらすぐに面接した。ほとんど落ちた。その中で、受かったのは歯科医院のルート営業だった。かなり難しい分野だったが受かったのでそこに行く事にした。里美は受かった事に喜ぶというか少し安心していた。給料も手当て込みで26万だった。生活するのになんとかという所。
一般的にいい方だと思う。
里美、今度は家族の為に頑張るからね。
そう心に強く思うのだった。
営業の仕事が受ったが、来週から出勤だった。もう、お金はほぼ無い。前職の運転手の仕事も途中で辞めたし、一週間空きがあるし、今月やっていけるか不安になっていた。お金は私が管理していた。というか、借金もあったから里美に気持ちの負担をかけない様に食費のみ渡していて、給料明細も、お金の支払いなど、お金の動き自体、里美は把握していなかった。里美も聞いてこなかったが聞けなかったんだろう。少し借金が減ったら里美に生活任せてちゃんと内訳を話そうと思った。今はこんなギリギリの生活をしているとは話せなかった。
次の仕事の初出勤まで、あと4日。その間は家にいて過ごした。子どもいる時間は里美も笑顔だった。ふとした時に里美が「パパ、今回の仕事ってパパが本当やりたい仕事なの?」と聞いてきた。私はやりたいというか営業だから選んだと答えた。もちろん数ある求人から選んだと話した。内心、選ぶ余裕はなかったし、やりたいとか考えてなかった。ただ営業というだけで選んだ。そんな事は言えなかった。
里美は「私が言える立場じゃないのは重々わかってる。生意気な事言ってる事もわかってる。でも一言、言わせてほしい。パパ、本当にやりたい事あるの?」
私は正直答えようがなかった。私は全く答えになっていない答えを返した。「仕事は家族の為、頑張るんだよ。それだけ。」と答えた。里美は「そう、わかった。もし、次の職場で前みたいに合わないと人がいたらどうするの?」と聞いてきた。私は「もしいたら…、もしいても辞めないよ。」と言った。説得力がまるでなかった。じゃなんで、配送の仕事を辞めんだよ。なんで家族の為とかいい事ばかり言って、里美に期待させる様な事言ったんだよって自分で思った。里美は毎月少ない食費をなんとかやりくりしながら、夜中の仕事の時、私におにぎりを作ってくれていた。今も、本当は子ども達の服やおもちゃを買ってあげたいんだろうし、オムツだって一番安い物を使ってる。オムツ一つにしたって選ばせてあげられてない。里美にはしばらく服一つ買ってあげてない。買ってあげると話すと里美は「私はいいよ。子供達に何か買ってあげて」と言っていた。そんな風に思い返すと、私はここに引っ越してから、里美を余計不安にしているだけだった。何が新婚生活だろうか。借金がある俺にただ不幸にされてるだけなんじゃないかと思った。
初出勤の前日、とてもびっくりする話を里美から聞く事になる。と同時に私と里美が初めてケンカする事になった。
その日、私は明日の初出勤を控えてスーツを準備していた。
里美から「明日からだね。頑張ってね」と笑顔で言われた。私は「ありがとう」と答えた。里美が「パパ実はね、私、私妊娠したんだ…」と言った。私は「えっ?」と言った。その瞬間嬉しくなって喜んだ。私は「里美おめでとう」と私は喜んだ。正直、正直生活は大変だったが、二人目の結生が成長する姿をみて子供がほしいと思ってしまっていた。
里美は「大丈夫?無理してない?」と聞いてきた。私は「大丈夫だよ!」と答えた。里美は「産んでもいいの?」と聞いた。私は「もちろん」と言った。里美は喜んでいたが、実際に生活していて食費しか渡されていなかった為、お金の不安があった。
里美は「パパ、正直に答えてほしいの。これは綺麗事とかでごまかさずに。パパ貯金ある?」と聞いてきた。私は本当の事を言うか迷った。黙っていたらどっちにしろ答えはわかってしまう。私は「無い」と答えた。里美は何も言わなかった。というより多分ない事はとうにわかっている様だった。
里美はしばらく食卓に座ってメモ帳を開いていた。食費の計算を一生懸命していた。そんな里美をみて、私は「ごめん、貯金ないのに。不安だよな」と聞いてしまった。
里美は「私、もう不安を抱えながらお腹の子を産むのが嫌なの」と言った。
私は「不安かもしれないけど、頑張るから。仕事必死に死ぬ気で頑張るから!」と言った。
すると里美は「もうその言葉、どこまで信じていいかわからない。もうそういうのやめよう。」と言った。
私その後何でそんな事いうんだ!と里美に激しく言葉を何度も言った記憶があるが言い合いになってたのは確かだ。
私はここまで来て本当に何をしてるんだろうかと思った。馬鹿野郎を通り越してるのはもうわかっていた。
言い合いが終わりしばらくたった。
里美は「パパ、ごめん。お金ない中こんな事頼んでいいかわからないんだけど、冬休みになったら、実家に帰らせて下さい。お願いします。」と言った。私は「どうして?」と聞いた。里美は「もう、どうしたらいいか、正直わからない。今はわからない」と言った。私は「帰りたきゃ帰れば」と言ってしまった。何か一瞬素直になれなくて冷たく言ってしまった。本当は辛いのだから実家に行く気持ちもわかるのに。
すると里美は「ごめんなさい。」と一言だけ言った。
もうすぐ結生の誕生日だった。
仕事は大変だったがもう辛いとか考えなかった。後がないという気持ちでとにかく仕事に集中した。夜も遅かった。その頃には里美は夜寝ていて、ご飯だけ食卓に用意されていた。前なら里美は起きていたが、里美はもう、正直私対して気持ちが薄れていた。でも何とか気持ちを切らさない様にご飯だけでも用意してくれてたんだと思う。
私はご飯があるだけありがたいと感謝の気持ちをもち一口一口噛みしめた。
私は休みの日、アルバイトもやった。里美の実家に帰る費用をせめて出してあげたいと思ったからだ。
結生の誕生日、お金がないのはわかっていた。だから里美が手作りのケーキを作ってみんなでお祝いした。できる限りのご馳走を里美が作って。美味しかった。誕生日プレゼントは梨花が金メダルを作り結生にあげた。結生はその金メダルを口に入れていた。オリンピックでよく見る光景だとみんなで笑った。私達にもくれた。仲良くしてねと手紙をくれた。その手紙が胸に刺さった。
もうすぐ冬休みだった。
私はずっと里美に聞きたい思いがあった。それはこのまま俺と本当に居たいか?
12月2日、もうすぐ冬休み。私は思い切って里美に聞いた。「なぁ、里美、出会ってから結婚して4年ほど経つのかな。幸せか?」
里美は「幸せ?正直今わからないな」私は予想していた答えに胸が苦しくなり、言葉が詰まる。私は「里美はこの生活、限界…か?」里美は「…うん。」と答えた。私は「里美、どうしたい?」と聞いた。それ以上聞きたくなかったが聞くしかなかった。里美は「うん…パパと離婚したい。」と言った。私は里美がやっぱりもうそう思っていたんだと改めて感じた。
私は「離婚以外考える方法はないのかな?」と聞くと里美は「別居のつもりで冬休み帰ろと思ってたけど、多分、私実家に行ったら帰ってこないかもしれないって思ってた。でも、子供たちの学校もあるし。どうしたらいいかわからなかった。でも別居だとパパに結局養ってもらわなきゃいけないし、離れてるのにそんな風にするのは嫌だろうし、私も何か違うなって。それなら離婚して、子供達は私が引き取って、国の支援受けながら仕事できる様になったら働く様にして、自立していこうと考えてる。」
もう正直、里美は私の事より子供が優先だった。それは当たり前だった。子供には何も罪はない。辛い日々を送らせる訳にもいかなかった。
私は里美の離婚に同意した。
そして今ある借金の金額をありのまま説明した。そして今現在、電気も水道もガスも滞納している事、税金は何年も未払いという事も。里美は驚きはしてなかった。残念そうだっただけ。
里美は黙っていたが口を開いた。「パパ、ずっと1人でこれだけの事を抱え込んでたのはわかった。大変だったと思う。でも、正直同情できないかな。私の存在って何だったんだろうって思う。そんなに言えない相手だったのかな。確かに私は心が弱くて人に迷惑や心配かけてばかりだけど、パパの奥さんだよ。どんな事になってても、こうなる前にちゃんと話してほしかった。ずっとね食費、パパが渡してくれる度に胸が痛かった。本当は、本当は子供達にもっとお肉も魚も野菜もデザートもたくさん食べさせてあげたいって。でもパパから食費をもらう時、きっとパパはお金どうしようって感じで辛そうだった。だから私はその度、自分が嫌いになっていったの。」
私は気づかないうちに、里美をどんどん追い詰めていて、里美は自分なりに責任と不安を感じていた。
里美は最高の男性と出会えたと思っていたが、私がここまで最低な人間だったとはと思ってもなかっただろう。私はどんな綺麗事並べようとも家族を傷つけ、裏切ってしまった。小さな頃、家族の愛情に飢えてた私は、こんなにも家庭的な里美を幸せにしたい、喜ばせてあげたいという一心から、お金を使っていた。間違った愛情を注いでいた。里美は決してそんな風な事を望んでいなかったのに。自分が中途半端に生きてきたツケがきたんだろうと反省し続けた。里美を騙すつもりもなかったが、結果騙し続けた事が大きい代償となってこの結果になったんだろう。反省するなんてぬるいだろう。
里美に今まで出会ってからの話をして感謝の気持ちを伝えた。里美は泣く事はなかったが子供達の事は忘れないでと涙目になって言った。
私は「もちろんだよ。里美も梨花も結生もお腹の子も忘れない。借金返して必ず迎えに行く」と私は言った。
里美は「ごめん、離婚した後、パパと先の事は考えてない。やり直せるかもわからない。ごめんなさい。」と言った。
私は何を馬鹿な事を言っているのだろうと思った。こんな事になって借金返したから終わりじゃないよなって思った。この長い日々の中で、里美はお金の件だけでなく、こんな風にしてきた私に対して人としての愛情はもうなかったんだと思う。
離婚が決まってから私は里美のご両親に連絡し、経緯を話した。ご両親は残念がっていたがこれから頑張りなさいと言ってくれた。私は何度も謝った。私の父にも会って話をした。父は涙ながら離婚を考え直してほしいと言ったがすでに、里美は決心しており、気持ちは変わらなかった。
それから離婚の手続きは川の流れのように進んだ。
里美は離婚の手続き後、各役場などに今後必要な書類や手続きなど一つ一つ確認し、メモを取っていた。母子手当の手続きや転出届け、子ども手当、学校の手続きなど。
昨日夜、夫婦として最後の日だった。
今日は家族の最後の食事。いつもと変わらない食事だったが、今日は特別に美味しかった。とにかくご飯一口一口ゆっくり食べた。私はおいしいと何回も言った。それを梨花がみておいしいと真似していた。里美は久しぶりに笑顔で笑っていた。
ご飯を食べ終わりみんなでお風呂に入った。とても狭いお風呂だったがワイワイして楽しかった。我が家はこんなにも賑やかだったんだと改めて思った。そのお風呂の中で私は梨花に「パパとママ、離婚する事になった。色々あって離れるんだ。ごめんね。でも梨花が困った時はパパはいつでも会いに行くからね!だから心配しないで。」梨花は黙って声を殺して泣いた。でも、正直に言ったのは里美がパパと離れる事を嘘で伝えたくない。これ以上嘘をつきたくない、つかれたくもないからという事だった。辛い事実でも、子供にちゃんと目を向けて言えばわかってくれると里美は言った。その後二度と会わないわけじゃないんだからと言ってくれた。私も小さい頃、わけもわからず母がいなくなった経験があったせいか、正直に伝えようと思った。でも、父親、母親、どちらかしか親がいない寂しさをこの子達にも味わあせてしまうのかと思った瞬間辛かった。
離婚届けを書いた日。里美の表情はいつもより引き締まっていた。書いた後里美は「今までありがとう。これからは父として子供達の事、宜しくね」
と言った。正直、こんな自分なのにまだ父として子供の為に繋がりをもたしてくれることに涙し感謝した。
そんな事を役所で結生を抱っこして、思い出しながら回想に浸っていたら、「パパ、パパ」と里美が呼んでいた。私は急いで向かった。梨花の事だった。離婚した事で養子縁組を離縁するかどうするか聞かれた際、私はしないと伝えた。「娘には変わりない」と言った。里美は「ありがとう」と言ってくれた。里美は「苗字も変えない」と言った。子供の為にと里美は言った。離婚したが私は決して終わりでは無いと自分勝手に感じた。
手続きの関係で早めに里美の実家に行かなければいけなかった為、里美達は最低限の荷物を持って出発する事になった。残りの部屋の荷物は私が片付けて、必要な物は送ると言った。
里美の実家に行く当日、私は東京駅の新幹線乗り場まで一緒に行った。
子供達は初の新幹線に喜んでいた。里美は緊張していた。無事に席に座り、私は窓の外から話かけていた。結生はこちらを見て何か言っている。里美の口の動きは結生に「パパだよ。パパだよ。」と伝えているようだった。私は新幹線の出発のベルが鳴るまで窓の側を離れなかった。
新幹線のベルが鳴った。ドアが閉まりゆっくり、ゆっくりと新幹線が走り出す。私は思わず里美達を追いかけた。私は「里美、ありがとう!元気でね!梨花、新しい学校でもいっぱい友達作るだよ!結生もっと一緒に遊び…たかった。お腹赤ちゃん、元気でね。」と言っている間に涙が止まらなかった。声も震え、涙が溢れて言葉が詰まった。窓からは里美達がパパと言っていた。すぐに新幹線はスピードを上げ、里美達の車両に追いつけなくなった。
私は新幹線が見えなくなるまで、駅のホームで見送った。涙が止まらなかった。ずっと我慢していたが本当に大切な家族が行ってしまった事に、今になり感情が抑えられないでいた。私はしばらく立ち尽くしていた。
そのまま目を閉じた。
「里美いつもお弁当ありがとう」
「ごめんね、パパ。いつも同じようなお弁当で。でもおいしいって言ってくれて嬉しいよ」
「パパー、梨花の事にもっと高い高いしてー」
「結生の次な。」
「じゃあーママに抱っこしてもらうもん」
「里美、梨花、結生は今日でこの家とも最後になる。だから最後ここでの思い出にみんなで写真撮ろう」
「ハイチーズ」
「あれ、みんなで顔バラバラじゃん、じゃあもう一……かい」
色んな記憶が一度に蘇る。私はホームで目を閉じた。目を閉じても涙が溢れていた。そして楽しかった思い出がたくさんあったんだと思い返しているうちに悲しいのに、涙を流しながら微笑んだ。
私はあの日全てを失った。