変わらなきゃ何も始まらない
私は高校生になったらもっと変わろうと考え耐えた。しかし現実は甘くなかった。それは勉強せずにいた為、部活もやっていなかった為、特別推薦などで行ける高校はなかった。一般入試で行けそうな高校を受けたがどれも、入試問題が解けず、すべて落ちた。結局、名前を書けば入れるという私立に入った。
高校生になったが高校はより不良が多くなっただけだった。結局、喧嘩が強い人間が支配する様な教室になるのは時間の問題だった。入学して程よく時間が過ぎると教室の中では上下関係が出来、大人しめなオタクの人達は常に標的になっていた。中には高校を辞めてしまう人も少なくない。気の毒にと思いながら、何も出来なかった。大人しめの人達に話しかけようにも、関わると標的になるのを恐れ、私は関わりを持たなかった。私は無難に中立の位置にいるグループにいる様な形だったが、たまにパシリにされる事もあった。
そんな何も目標も夢もなく、ただ、早く高校生活が早く終わる事を祈り続けたが久しぶりに生きる喜びを見つけた。それはアルバイトだった。アルバイト先でみんなに優しくされ楽しかった。アルバイトは八百屋だったが、アルバイトだけが私の支えだった。私は初めてもらった給料で、父にネクタイを買った。月一で帰ってきた父に無言でネクタイを渡した。父に今まで中学校の事、今の高校生生活状況知らないし、話してもなかったけど、高校生になるとアルバイトしてお金もらう大切さを知り、父の気持ちも少しわかった気がした。父は素直に喜んでくれていたが私は、なぜか無愛想に対応してしまった。後で後悔したが、父がそのネクタイをして単身赴任先に行ったのを見て少し嬉しいというか照れくさかった。父は母が出てったから、私の事を怒りもせずに気を使ってばかりいた。それは思い返したら色々あったが、高校生の私には何も感じる事はなかった。
高校生生活が終わりを迎えようとしていた。それは大人になるという事と同時に社会の厳しさがこれから待っているとは知らず。また自分の弱さが社会では通用しない事を思い知らされる事になるとは。
高校卒業前に進路相談が先生とあった。先生からはもし働く事を考えないなら進学を勧められた。大学は無理だった。それは受からないというのも現実あったが、お金の面だった。父にこれ以上は頼めないとなんとなく感じていた。
姉や兄の時に母が言っていた言葉がよぎる。父がどのぐらい余裕があるかわからないし、進学する理由も見つからなかった。就職も特に考えてなかった。働く事も考えていなかった。今思えば甘かった。結局、何も結論が出ず、父に一応話した。すると父は「手に職つければいい。お前がやってみたい事があれば応援する。大学でも専門学校でもいい。やってみたい事があればお父さんは応援する」と言ってくれた。すごく意外過ぎる言葉に私は拍子抜けしてしまった。それから色々考えた。でも何していいかわからなかった。その日コンビニで立ち読みをしていたら、目についたかのがファッション雑誌だった。以前アルバイトでもらったお金で久しぶりに服を買った時に店員にいいセンスですねと言われたのを思い出した。大人になった自分には同時にその言葉は接客してただ気持ちよく買い物して欲しいが為に言った言葉なのに、高校生の私は勘違いしており、ファッション系に行こうと考えてしまった。結局進路相談で、ファッション関係の専門学校に進学する事を決めていく事になる。
それから高校卒業後にファッション関係の専門学校に入学した。
入学式、私は驚いた。想像以上にみんな奇抜でファッションにこだわりがある様だった。個性的で好きなブランドもある様で私は正直場違いな所にきた気分だった。私はジーパンにスニーカー、ポロシャツだった。しかも買った場所は家の近くのスーパーに併設してある服。無名のブランドだった。
みんなの自己紹介が始まり、すでに話がついていけなかった。ファッション関係という事もあり、私の学科はデザインをする方で裁断から刺繍するものまでを習う所で、ほとんど女性中心だった。
刺繍なんてやった事もなく授業は予想以上に難しかった。またミシンも上手く扱えず、デザインもイマイチ浮かばない。みなファッション雑誌を見たりファッションショーを見て勉強したり、私が考えている以上に真剣だった。私もとにかく必死に食らいつきながら授業を受けていた。授業の中身は服を作るだけでなく、カラーコーディネートの資格や市場調査マーケティングの授業や専門分野に分け進んでいった。単位も当然課題をしっかりクリアしなければならない。その中で、私は実家から片道2時間半かかる学校を選んでしまった。今更ながら往復時間がこんなにももったいないと後悔すると思わなかった。私自身、勉強が人より出来なかった為、物覚えも何度も復習しなければ駄目だった。また要領も悪くいつも遅れをとっていた。毎日家の家事、洗濯などもやりようやく家で学校の課題に取り組んでもほとんどやらず、朝起きて学校の繰り返しだった。電車の中でいつの間にか、専門学校が大変、楽しくない気持ちになっていった。この時ほど私は自分の考えの甘さと弱さ、意志の無さを反省した日はなかった。父には辛いと言えなかった。あんな風に応援してくれて、お金で出してくれた。ただ、ファッション系だとどうしても服にお金がかかる。バイトする時間もなくいた為、買えなく、父に頭を下げていた。父は最初は快く出してくれたが、段々と本当にお金がない、こんなにお金がかかるとは思わなかったと言われる様になった。だからこそ、余計アルバイトともできず、専門学校行って単位も危うい状況が不安や情けなさでいっぱいだった。
もっと自分の夢を慎重に考えるべきだった。
もっと父に相談するべきだった。今まで自分から何も言わなかった幼少期事を後悔していた。
ある日家で父の銀行の明細を拾った。そのには借り入れ30万と書いてあった。私は目を疑った。最近食費や服代や学校の必要な教材などを買うのに度々父に連絡して銀行に振り込んで貰っていた。父に電話してお金の振り込みをお願いすると父は一瞬困った返事をしていたが、「わかった。何とかする。安心しろ。学校頑張れよ。じゃあな」言ってくれていた。だが、父はもうお金は無く、銀行から借りてまで私の専門学校の分をまかなっていたんだと。私はこんな風にしてまで、将来ファッション関係の仕事に行こうとしてるのか、真剣考えた。正直、ファッションに関しては授業もついていけてなく、限界を感じ始めていた。でも辞めたいなんて言えなかった。そんな事を考えている内に二年生の進級を控えた時だった。先生からこのままだと進級が難しい。今現段階では課題の提出も出来ていない物もあり、一度保護者とも相談させて下さいとの事だった。私は件について自分から話しますと伝えた。でも、何て話したらいいかわからずいた。
何日もたって結局私は話を出来ずにいた。
そして、学校にも行かなくなってしまった。学校から何度も電話があったが無視してしまった。そして父からも連絡があった。私は出れずにいたが、勇気を振り絞り父に電話した。
父は少し残念な声とやりきれない口調で「学校行ってないか?さっきお前の学校から電話があった。進級も難しいですって言われた。留年になると一年やり直しですって言われた。」
私はうんとしか言わなかった。
父は「お前はやりたくないのか、頑張るのかどっちなんだ?」と聞かれ、私はやりたくないと答えた。その瞬間、父に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ごめんさないと言いたかったのだが、父が「わかった。学校には俺から電話しておく。じゃあな」と言って電話が切れた。父はどんな気持ちだったろうか。考えるだけで胸が苦しかった。
私は今までどうしようもない人間なんだと自分を責め続けた。もっと勉強するべきだった。自分の意思で何もかもやればよかった。人に嫌われたり、目立たない様にってきたけど、ただ逃げてきたんだと思う様になった。
今更、過ぎた時間を後悔しても何も変わらなかった。
空には全てを覆いかぶせる様な巨大な雲が広がっており、ただ、今と未来の時間だけが進んでいった。
過去?私の過去って。どうなんだろう。毎日専門学校行かなくなり、多分退学になってると思うけど、一気に無気力になってしまった。毎日部屋にこもり、タバコ吸ってテレビ見て、カップラーメン食べて。どうしようもない生活をしてた。いつしかどうでもいいの言葉が独り言の口癖になって言った。
この世の中、私以上に辛い人生や辛い経験や過酷な状況で生きてきている人は多くいると思う。それこそ異国の地では食べ物すらまともにない人達もいるだろう。もっと言えば戦争時代はもっと大変だったと思う。言えばきりがないが、世の中には人それぞれの悩みや不安、考え方、感じ方、生き方が違うと思う。私の人生はそんな人達から見れば甘いとしか言えないのかな。
もうすぐ半年が過ぎようとしてた夏の頃、父が単身赴任から帰ってきた。父はようやく実家から通える様になった。
私の専門学校の一件以来、私は父に何も言えなくなっていた。父は私に「アルバイトぐらいしてみたらどうだ」と言われた。私はわかっている分、その反面で反骨的な態度で返事をしてしまう。自分はクズだと何度もマイナスに考えていた。
気分を変える為に歩いてコンビニまで行く事にした。歩いて8分ぐらいかな。今から行くコンビニは私が小学生の時から行っている。色々ここで買ったなーっと思い返していた。おにぎり、お弁当、カップラーメン、シュークリーム、ジュース、雑誌、高校生の時はタバコ買おうとして怒られた。高校の時には確か、年齢確認が段々と厳しくなった時期だった。そんな事を考えている内に、久しぶりに何度か遊んでいた友達と地元でばったりあった。
その友達の名前は松田。彼は小学生の時、遊んでいて、中学校の時、孤立していた私に色々と笑わせてくれた人だ。
私は「おお。久しぶりだね。」と声をかけた。松田くんも「久しぶり!変わらないねー。」久しぶりにあったせいか、久しぶりに人と話したせいか、意外にも私がよく話していた。彼は今北海道の大学に進学し、夏休みはバイクでツーリングをしているらしい。将来は北海道の企業に勤められれば何でもいいかなっていう感じだった。
今は夏休みの時期で実家に帰省していたという。今の私の現状を聞いた松田くんは「なかなか自分のやりたい事見つけるのは難しいよね。正直俺も北海道に行った理由は何もなかったから、思い切って向こうに行った。今は親に助けられてるけど、いつかは大学の費用を少しずつ返して行こうと思ってる。」と彼から意外な言葉を聞いた。彼もまた将来の事がわからなくなっていた時期があったんだなって。私もその言葉を聞いて、何か一人だけの孤独感が少し楽になった。でも彼と私は全然違う。彼はそれでも進んでいる。来年の成人式の話を少ししてそのあと別れた。連絡先を交換したがなかなか連絡する機会がないなと思いながら、大切にその番号を保存した。
学費の返済か‥。考えてなかったな。そんな事を。
私は次の日から心の中でよーし、よーし、学費返済。と単純に考える様になっていた。とにかく、ゼロからスタートしよう。返済する為に、仕事。しかし、いざ考えると何出来るのか考えた。たまたまコンビニからもらった無料の求人雑誌に載っていた家の近くのカラオケ店が募集してい。とりあえず電話してみた。
私は緊張しながら何て言うか考えていたら意外にもすぐに電話を出られた。
「お電話有難うございます。歌王でございます。」一瞬やばい、電話切りそうになったが私は「すいません、求人の募集の件でお電話しました」と伝えると店長に変わり、明日面接となった。私はすぐに履歴書を買いに行きその日証明写真を撮った。履歴書を書くのにとても緊張し二枚失敗してしまった。志望動機とか無いし、どうしようと考えていたが、歌が好きと好きでも無いのに書いてしまった。
そして面接当日。緊張しながらお店に入り、要件を伝えると使っていないカラオケルームに案内された。しばらくして店長がきた。丁寧な感じでとてもいい人そうな人だった。履歴書を渡し、しばらくして店長が「歌がお好きなんですね」と言ってきた。私はやばいとありながら「はい」と答えた。店長はそれ以上何も言わなかったが、その後いつから来れるか聞かれ、面接が終わった。正直落ちたと思った。次の日に連絡があり、採用との事だった。ちょっとびっくりしたが素直に喜んだ。