7話 過去の王女
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僕らは二年生になった。
進級時の成績は良かった。僕は武術でトップ、パックスは学術でトップだ。
それぞれ不得意な分野があるため、総合一位というわけにはいかなかったが、好成績であることには変わりない。
成績が良くても、パックスと二人の孤立した学校生活に変わりはなかった。
ただ、周囲の反応は少し変わったように思う。
入学当初に感じていた、あからさまな敵視はほとんど感じられなくなったのだ。
彼らが無視し続け、僕らもまた彼らを無視したことで、彼らは僕らを空気のように扱うようになったのだ。
新入生からもそうした気配を感じない。
あるいは、単に僕らが慣れただけなのかもしれない。
自分たちのことに邁進しているから、他人が気にならないだけかもしれない。
理由はわからないが、居心地はよくなった。
ただ一点、別の問題が持ち上がった。
それは、二年生になって少し経った、ある日の事。
一人の女生徒が、僕に近づいてきたのだ。
ふわふわの長い金髪をもつ、美しい子だった。
彼女は僕の前までやってくると、優雅に一礼をした。
「ずっと遠くから見ておりました」
そんな言葉から始まる自己紹介。
彼女はアスラ王国の王の娘、すなわち正真正銘の王女様で、僕と同じ二年生だと言った。
入学当時、彼女は母より僕と仲良くするように言われていたそうだ。
しかしながら僕の髪の色と、体の大きさ、そして入学してすぐに喧嘩をして問題になったことから、とても怖く見え、接触を避けてきた。
でも最近は勉強熱心だし、とても穏やかそうな表情をしていることが多かったので、考えを改めた。
第一印象だけで避けていて申し訳なかった。
以後お見知りおきをください。
もしかすると、私たちは結婚することになるかもしれないので……。
彼女は一方的にそう言って謝罪をした後、僕の返事を待たずに一礼をして、去っていった。
結婚。
そのキーワードには驚きもあったが、納得もした。
僕の父は、権力者だ。
だからこの世界最大の国であるアスラ王国の王とも、当然のように親しい関係を築いている。
アスラ王国の王は、僕の父とさらに親しい関係になりたいらしい、
あるいは逆に父が、かもしれないが。
ともあれ、そういう関係にあれば、当然ながら子供同士を結婚させよう、なんて話も上がってくるものだ。
最初に槍玉に上がったのは、兄だった。
僕の兄アルスはアスラ王国にもよくいる赤毛で、赤髪の母によく似た凛々しい顔をしている。
そんな兄と、アスラ王国の王女とを許嫁に……という話もあったらしい。
でも結局、兄は別の相手を見つけ、成人すると同時に結婚してしまった。
そのため、その話はお流れとなった。
父はそんな兄を許したが、上の姉のルーシーが兄の行動に対し「父の期待を裏切った」と立腹していたのは憶えている。
僕は裏切ったとまでは思わなかったが、姉の不機嫌さを見てか、兄の行動があまり正しいとは思えなかった。
まあ、それはさておき。
兄がダメなら、次に槍玉にあがるのは、次男であるこの僕というわけだ。
権力的な問題で我が家からは男子を、アスラ王家からは女子を、それぞれ出したいようだから。
僕は父からは何も言われていなかった。
誰と結婚しろとも、誰と結婚するなとも。
しかし、彼女は母親からあれこれと言い含められているようだった。
だから、僕に声を掛けてきたのだろう。
とはいえ、やはり唐突に結婚などと言われれば、困惑せざるを得ない。
「いい子だと思うよ」
戸惑う僕に、パックスはそう言った。
「髪の色で無視してたのに?」
「本質はそこにはないよ。彼女は緑色の髪からくる印象で君を嫌っていたわけじゃない。ただ怖かったんだ」
「そんなに怖かったかな?」
「ああ、入学当初の君は、怖かったよ。僕の目から見てもね」
パックスは肩をすくめ、おどけてみせた。
でも確かに、入学当初の僕は、怖かっただろう。
自覚はなかったとはいえ、父の威光をかさにきて、正義の味方になりたいと言いつつ暴力を振るっていた。
理解し難い、怖い存在に見えただろう。
「普通なら、そのまま無視を続けるけど、彼女は近づいてきた。その気になれば、婚約が決まるまで君と接触しなくてもよかったし、婚約の可能性についても言う必要はなかったのにね。正直者だ」
そう言われると、そんな気がしてくる。
「僕らのように親が権力を持つ者は、いずれ誰かと結婚しなきゃいけない。なら、やっぱりいい子と結婚したいよね」
パックスのその言葉は、少し沈んでいた。
「もしかしてパックス。君にも許嫁がいるのかい?」
「ああ、いるらしいよ。顔も見たことないし、避けられているけどね」
その言葉で、彼の周囲は敵だらけという言葉が思い出された。
きっと彼の妻は、結婚した後も彼の味方にはならないのだろう。
「そういえば、その王女様の名前、なんて言うんだって」
「えっと、確か……サリエル」
サリエル・アネモイ・アスラ。
それが彼女の名前だった。
■
サリエルは、その後も事あるごとに僕に話しかけてくるようになった。
とはいえ、彼女の好む話題は、あまり僕の得意なものでもなかった。
花やお茶、お菓子や動物の話題。
犬の話題だけは、僕の実家にも犬がいるということもあって、少しははずんだが、それだけだ。
会話はすぐに途切れた。
サリエルは会話につまると、困ったような顔をしてもじもじとした後、「では、失礼します」と言って去ってしまう。
僕は彼女を引き止めるでもなく、それを見送ってしまう。
そんなやり取りが、何度も続いた。
「君の方からも話題を振ってあげないと」
パックスにはそう言われたが、簡単なことではなかった。
「そうしているつもりなんだけどね」
僕の好きな話題は、相変わらずだ。
英雄譚、冒険譚。
幼い頃に聞いた、父や母、師匠達の様々な武勇伝。
戦いの話ばかりだ。
しかし、そういう話をすると、今度は僕が一方的に喋ることになる。
サリエルは熱心に聞いてはくれるし、相槌もうってくれる。
わからないことがあれば、質問もしてくれる。
でも、それが表面的なもので、興味を持っていないことは、なんとなくわかった。
ついでに言えば、彼女は人が死んだりする話が苦手だった。
一度、父と祖父が高難度の迷宮に潜った話をしたことがある。
迷宮に囚われた母と祖母を助けるために、父と祖父は仲間たちと協力しあい、どんどん奥へと進んでいく。
道中で母は助け、最終的には祖母も助かる。
だが、祖父は迷宮の主との戦いで死んでしまうのだ。
父はそのことを悔み、深い悲しみに捕らわれるも、母の助けで立ち直り、家へと帰る。
辛く苦しい話だが、父は必ず最後に「どんな苦難や悲しいことがあっても、前に進むことを忘れてはいけないと学んだよ」と教えてくれる。
良い話なのだ。
でも、祖父が死んだくだりまで話すと、サリエルはとても気分の悪そうな顔で、「すいません、もう聞いていられません」といって、去ってしまうのだ。
最後まで聞かず、悲しい所で物語を止めてしまうのだ。
そこで止めれば、悲しいままで終わってしまうというのに……。
きっと、僕と彼女は相性が悪いのだと思う。
でも、相性が悪いだけであって、サリエルが悪い子でないのはわかる。
でも結婚したいとまでは思わない。
もしかすると、案外なにか、共通に楽しめる話題が見つかれば、仲も進展するかもしれないけど、見つからないから、困っている。
とにかく、悩ましい相手だった。
女のあしらい方がうまい兄にでも聞ければよかったのだが、兄はとっくに卒業してしまい、父の仕事を手伝いはじめていた。
王立学校を主席で卒業した優秀な兄だが、てんてこ舞いになるほどの激務だそうだ。
そんな忙しい兄に、時間を割いてもらってまで相談するのは、控えられた。
だから僕とサリエルの関係は、なんとも半端なままだった。
また、サリエルと接触するようになっても、僕とパックスが孤立している状況に変化はなかった。
むしろ、孤立の度合いは大きくなったように思う。
僕がサリエルに近づいたことで面白く思わない生徒もいた。
それこそ、サリエルとの縁談が持ち上がりそうな、名家の出の男子だ。
彼らは僕がサリエルと接触をし始めると、今までの態度を一変させ、嫌がらせをしてくるようになったのだ。
だが、それは長くは続かなかった。
サリエルの取り巻きの女子たちが動いたからだ。
サリエルは王女ということもあって、多くの取り巻きがいた。
アスラ王家の上級貴族に名前を連ねる、名家の子女たちだ。
彼女らはいつもサリエルの近くにいて、サリエルのやることなすことを肯定した。
サリエルはまさに花という感じで、彼女らの中心で笑顔を咲かせ続けた。
遠目から見ていると、きっとサリエルには、お世辞と本音の区別も付かないのだろうと思えるほどに、笑顔が絶えなかった。
そんな取り巻きたちは、僕らに近づいてこなかった。
代わりに「彼らに話しかけて良いのは、サリエル様だけ」というルールを作り出したのだ。
僕らに近づいてくる者は、それが誰であれ、取り巻きたちの攻撃の対象となった。
サリエルと縁談がきてもおかしくないような名家でも、関係なかった。
サリエルの取り巻き連中の女子たちの家の力も強かったし、数の力も多かったからだろう。
それは決して、僕らを守るため、正義感からきた行動ではなかったはずだ。
自分たちの崇拝するサリエルが、男子の底辺とお付き合いをしていると見られると、自分たちの価値が下がるとか、そんな思惑もあったはずだ。
あるいは、彼女が「母親から言いつけられて」という言葉を聞いて、王家の憶えをめでたくするための思惑の者もいたはずだ。
とにかく、取り巻きたちはサリエルを特別扱いしていたし、その特別な存在が特別じゃない存在と接触するのが嫌だった者もいるだろう。
なんにせよ、決まりは絶大だった。
僕らを敵視していた同級生たちは取り巻きたちに排除され、今まで以上に近づいてこなくなった。
ただ、空気のようには扱われなくなった。
目立ったのだ。
僕らのことを知らず、興味もなかった者たちも、遠巻きに見てくるようになった。
一年生の頃、僕に対し家柄を笠に居丈高な態度を取っていた先輩も、目をそらすようになった。
教師も、なんだか腫れものを触るような扱いをするようになった。
王家の威光というやつなのだろう。
果たしてそれが良いことなのか悪いことなのか、僕には判別がつかないし、興味もない。
どのみち、状況としては今までと、そう大きく変わらないのだから。
ただ、サリエルとの関係をどうすべきか。
彼女とどう接するべきか。
それだけが悩みの種だった。
「まだ婚約も可能性の域を超えていないんだろう? なら、普通に友人として接すればいいのさ」
パックスはそう言ったが、サリエルは僕の知る女性とは大きくかけ離れていた。
あんなにか弱く、今にも手折れそうな女性は、見たことがない。
近いのは、一番下の妹のクリスだろうか。
花とか、キラキラしたものが好きな妹で、冒険譚や武勇伝を聞くと、つまんないと怒る。
サリエルは、怒ることすらしないが。
一番遠いのは、下の姉のララだろう。
彼女はがさつで適当に生きていて、常にサボることか、誰かをおちょくることを考えている。
でも不思議と馬があった。
サリエルが下の姉みたいな感じだったら、これほど悩みはしなかっただろう。
「そうしてみるよ」
僕はそう言ったものの、サリエルとの関係は改善しなかった。
彼女の取り巻きは「普通の友人」として接することを良しとしなかったし、彼女自身もそれ以上の関係を望んでいるようだったからだ。
だとしても、相性の悪さは変わらず、中途半端さも変わらぬままだった。
しかしながら、僕とパックス。
二人しかいなかった学園生活に、サリエルという人物が入ったのは間違いない。
可愛らしい女の子の出現は、灰色の学園生活に、淡い花を添える形となった。
僕は孤立していたが、女の子が嫌いなわけではないのだ。
婚約するかもしれないとか、王女とか、そういう要素があるため素直にとはいえないが、可愛い女の子とお近づきになりたいという気持ちはあったのだ。
気持ちだけで、進展はしなかったが。
パックスやサリエルとの奇妙な関係は続いた。
パックスと一緒にスラムを見に行ったり、サリエルを交えて三人で談笑したり。
色んなことがあった。
けど、関係に大きな変化は無かった。
僕とパックスは親友のまま。
僕とサリエルは、相変わらずぎこちないままだった。
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