6話 現在の奴隷市場
深夜。
僕は屋根から屋根へと飛び移りながら、目的地を目指していた。
黒装束に身を包み、銀の仮面をかぶり、口ずさむのは正義の歌だ。
暗い帳の落ちた夜、夜空に輝く月一つ。
月に照らされ影一つ。銀の仮面の影一つ。
正義の味方と人は言う。悪を倒せと人は言う。
我は正義の月の騎士。ムーンナイトと名を名乗る。
正義と愛と勇気が、胸の内から湧きだして、
正義と愛と勇気が、悪を打ち倒す。
夜空に輝く銀の月、正義の騎士だ、ムーンナイト~。
大昔に父に歌ってもらった、チェダーマンの歌……の替え歌である。
これを歌っていると、なんだか気分が高揚してくる。
やってやるぜという気持ちになるのだ。
ついでに、嫌なことも忘れられる気がするのだ。
「あそこか」
辿り着いたのは、この町の中でも特に治安の悪い場所だ。
この町にはスラムといえる場所は無い。
が、それでも貧乏な者、ガラの悪い者は数多く存在している。
そうした者たちは、一箇所に集まりやすい。
そして、そうした場所は大抵の場合、治安も悪くなる。
そして、そんな地域の中央付近に、その奴隷市場はある。
この魔法都市シャリーアにおいて、もっとも質が悪いとされている奴隷市場だ。
ここで売られている奴隷は重い病気を患っていたり、死にかけだったりする。
他の奴隷市場では売るのをためらうような奴隷を、平気で売りつけているのだ。
ゆえに評判は最悪。
だが、価格は非常に安く、時に掘り出し物も見つかる。
普通の奴隷市場では売れないような、高い身分だったり、希少な種族の奴隷が置いてあったりもするのだ。
ということで、金は無いが奴隷が欲しい者、転売目的の奴隷商人、使い捨ての人夫が欲しい者、あるいは騙されて連れてこられた若い商人や貴族の子弟などが集まってくる。
「……」
隠れながら近づいていくと、こうした地域特有のすえた臭いが漂ってきた。
人間が汚れた時に出る匂いだ。
奴隷市場では、多かれ少なかれこんな匂いがする。
だが、特に高級とされる奴隷を扱う市場では、こうした匂いにも気を使う。
魔法都市シャリーアにも幾つか奴隷市場はあるが、これほど酷い匂いはしない。
売り物も、売る者も、買う者も、全て汚れているのだろう。
「……うわ」
さらに奥へと足を踏み入れようとした所で、ふと足にぐにゃりとした感触があった。
見ると、茶色や黒の固まりが、市場の端の方に溜まっている。
それは凄まじい臭気を放ち、周囲にはハエの大群が飛び交っていた。
どうやら奴隷が出したと思われる汚物が溜められているようだ。
僕は仮面で鼻をつまめないことを呪わしく思いつつ、靴についた汚物をそのへんに擦り付けて落とした。
やる気が削がれる。
「いやいや、ウンコ踏んだだけだ」
気を取り直し、影から影へと移りつつ、例の人物を探すことにした。
ここは衛生面でも最悪だ。
長くいるだけで病気になってしまいそうだ。
さっさと見つけよう。
探すのは赤いバンダナの男だ。
屋外の奴隷市場は、深夜だというのに明かりが少なく、隠れやすい。
奴隷の状態を隠すためなのだろうが。売る者の恰好もわかりにくい。
だが、よくよく見てみると、僕のように顔を隠した者も多い。
都合がいいのだか、悪いのだかわかりにくいが……。
ともあれ、このままでは売っている人物もよく見えないため、隠れるのをやめて近づいてみることにした。
「よう兄さん、すげぇレアなのが入ってるぜ」
唐突に、奴隷商人が話しかけてきた。
普通の奴隷市場に比べると呼び込みなどはほとんど行われていないが、それでも売ろうという意思は強いのだろう。
もちろん、僕はそんなものは無視して――。
「あの魔導王の下から二番目の娘だ」
「えっ!?」
驚いてお立ち台の上を見る。
するとそこには、ガリガリに痩せ、青い髪を三つ編みにした少女が立っていた。
下から二番目の娘と言えば……リリ。
「……」
じゃないな。
一瞬、まさかと思ったが、明らかに妹ではなかった。
三つ編みはなんとなくそれっぽいが、髪の色はよく見ると青っぽい塗料で染めているだけだ。
その上、年齢が高すぎる。
そもそも妹は魔族の血を引いているということもあって、幼い外見をしているのだ。
それなのに、この子は明らかに成人を過ぎているだろうことがわかる。僕と同じぐらいの歳だろう。
顔に関していうなら、違いすぎる。
一度しか見たことのない人間なら信じるかもしれないが、流石に、毎日のように見ている妹を見間違えるはずもない。
妹はもっと可愛いし、ふっくらしている。
「安心しろよ。足が付くことはねえ。もちろん、魔導王が取り戻しにくるってこともねえ」
そうだろうとも、偽物だし。
足が付くも何も、足なんてついていないのだ。
「……すげえな、なんでこんなレアモノ手に入れたんだ?」
「ヘヘッ、それがよ。魔導王の息子の一人がとんだ道楽息子で、仕事もしねえで魔力付与品や魔道具を書いあさってるってんで、金に困った親が娘を……ってことよ」
「……」
その道楽息子というのは、十中八九僕のことなのだろう。
でもそんな豪遊はしてないぞ。
魔力付与品と魔道具を買い漁っているのも、リリ自身だ。
大体、僕は金を持っていないが、そもそも金を使わないのだ。
誇り高き無職だからな。
「どうだ。特別に安くしておくぜ」
「ハッ、偽物を売りつけるんなら、流石にもっと信憑性のある理由を考えとくんだな」
僕は肩をすくめつつそう言って、その場を離れた。
もし本当に妹が人さらいに捕まったというのなら、その場で即座に助けるだろうが、こんな遊びに付き合うつもりはない。
でも、人選は間違っていなかったな。
妹はボンヤリしているので、人さらいに捕まりそうな感じはある。
詐欺と欺瞞にあふれる空間を歩きつつ、目標を探す。
それにしても、奴隷の質が悪いな。
学生時代、パックスと一緒に奴隷の品評をしていたから、質の悪さがわかる。
健康そうなのが一人もいない。
一見すると健康そうに見えるのもいるが、化粧や油でごまかしているのばかりだ。
健康そうに見えるように偽装しているのはまだいいほうで、骨が折れているであろう腕がそのままとか、生傷だらけだとか、
アスラ王国のスラムにあった奴隷市場も、これほど悪くはなかった。
『奴隷は良い制度とはいえないが禁止してもこの通りだ、かといって放置もいけない、きちんと管理し整備しなければ不幸な者が増える』
かつて、パックスが言っていた言葉が蘇る。
奴隷自体は悪ではない。
しかし、この現状は、悪にしか見えない。
ラノア王国も含めて、ほとんどの国が奴隷商売を放置しているのが現状だ。
禁止する国はあるが、しっかりと管理しようとする国は無い。ラノア王国は禁止こそしていないが、管理するつもりもないのだろう。
なら潰してしまえばいいと、僕のような短絡な者は思うけど……。
……仮に潰した所で、どうせ、どこかで似たような市場が出来るだけなのだろう。
「お」
などと思った所で、赤いバンダナをつけた男を見つけた。
赤いバンダナを口に巻きつけて、顔を隠すようにしている男だ。
頭はスキンヘッドで、額のあたりに傷がある。
恐らく、奴で間違いないだろう。
奴隷が悪かどうかはわからないが、人さらいは、間違いなく悪だ。
「よし」
僕は物陰に隠れた。
予め持ってきた鏡で自分の姿を確認し、汚物で汚れてしまった靴を水で洗い、布で磨いておく。
正義の味方が臭かったら台無しだからな。
「いくか」
自分の姿が完璧だと確認した上で、僕は背筋を伸ばした。
□
「そこまでだ!」
奴隷市場に声が響き渡る。
誰の声だと周囲がざわめき始める中、僕は高い位置から彼らを見下ろし、さらに叫ぶ。
「そこの赤いバンダナ! 人さらいの悪党め! 陽の下に晒せぬ貴様の悪事、太陽からは見えずとも、月の目からは逃れられんぞ!」
赤いバンダナ、人さらい。
そんな言葉で、赤いバンダナの男に視線が集まる。
と、同時に僕の姿も見つかる。
彼らは僕を見上げ、
「何だてめぇは!」
そう、聞いてきた。
その問いに対し、応える言葉は一つだけだ。
「フフ、私か? 私は闇夜に輝く銀月の騎士……」
ポーズを取って言い放つ。
「正義の味方、ムーンナイト参上!」
赤バンダナとその仲間たちは顔を見あわあせた。
そして、同じことを、もう一度、同じようなことを聞いてきた。
「何だって?」
なぜこいつらは、いつもいつも聞き返してくるのだろうか。
さっぱりわからないが、名前を名乗り直すのもダサいので、いつだって僕は次のセリフに移行する。
「悪党め! 俺の愛するこの町に、人さらいなど存在させはせん! いくぞぉ!」
高所からバッと飛び降りる。
と同時に、赤バンダナとその仲間たちは剣を抜き放った。
この反応、かなり場慣れしているようだ。
全員で五人。
だが、正義は負けない。
多人数との戦い方は、師匠から習得済みだ。
「ハァァァ! ムーンライトパァンチ!」
剣を抜いた一人に、まずは拳を打ち込む。
顎先を狙い、一撃で相手の意識を刈り取るこの技は、赤髪の母に習ったものだ。
一人目は、防御しようと動いたようだが、遅い。
拳にはいい所に入った感触が残った。
「タァ! ムーンライトナックル!」
次の一人は、僕を背後から斬りつけようとしていた。
それを回避しつつ、裏拳を顔面にぶち込むも、技名を間違えた。ナックルはボディブローだ。
「トォ! ムーンライトサルト!」
二人が同時に斬りかかってきたため、バク転をしながら回避する。
バク転はしなくてもいいが、した方がかっこいい。
バク転を見て動揺したのか、同時に斬りかかってきた二人の内、片方が怯んだ。
そう、こういう意図もあるのだ!
「ホァ! ムーンライトストラァイク!」
ひるまず攻めてきた方に、カウンター気味に拳を打ち込む。
これで三人。
残るは二人、赤バンダナと、バク転を見て怯んだ若い奴。
「兄貴、こいつ、かなり……!」
「落ち着け、俺が引き付ける、てめぇは商品まとめてろ」
赤バンダナが出てきた。
物腰が鋭く隙が無い。
仲間が三人もやられたのに、落ち着いている。動揺も見えない。
剣がかなり使い込まれている。
三点から見て、かなりやる。
「その技、北神流だな」
「……違う! これは月光でできる影の騎士の拳! 名づけて月影拳!」
四点目。
僕の格闘術を見て、すぐに北神流だと看破する。
観察眼も鋭い。
「最近、この町に、格闘術で悪党をぶん殴る馬鹿が出るって噂は聞いてたが、てめぇだな」
「その通りだ! 悪は滅ぶべし! いくぞぉ!」
「こいやぁ!」
そう叫び、一歩踏み出す。
すると、赤バンダナもまた、一歩踏み出した。
だが、気配が違う。
攻めようという気配ではない。
あくまで攻める気配を見せつつ、カウンターを取ろうとしている。
こいつ、水神流だ。
カウンター主体の流派。
返し技に関して言えば、右に出る流派は無いとされる、剣術三大流派の一つ……。
「おいおいどうした正義漢……いくぞといって攻めねえのか? このままじゃ、俺の部下が商品を持って逃げちまうぞ?」
「……おのれ悪党め、卑怯な!」
水神流は嫌いだ。
奴らはいつだって自分からは決して斬りかかっていこうとしない。
こうやって足を止めてジリジリと間合いを調整しつつ、気の入っていない攻撃でこちらの攻め気を誘ったり、口で先に攻撃してくるように仕向けてくる。
相手が斬りかかってこないから、格好良く戦えない。
「どうした? カッコつけて拳なんかで戦ってよ。自分からは攻められねえのかい?」
「そんなことはない! いくぞぉ!」
できれば、水神流相手に先手を取ることはしたくない。
だが、このままでは奴の配下が人さらいの哀れな犠牲者たちを連れ去ってしまう。
……致し方ない。
「ムーンライトォ!」
僕は一歩前へと足を踏み出しつつ、両手を腰に構える。
同時に、奴も出てきた。
「馬鹿が!」
「フェイントォ!」
相手の両手でパァンと手を打ち鳴らす。
同時に魔力を発生させ、両手から盛大な火花を散らす。
「なっ!」
赤バンダナはそれとほぼ同時に剣を振るった。僕の右手を狙ったカウンター気味の斬撃。
僕がマヌケにも拳を振りぬいていれば、右手は宙を舞っただろう。
だが、猫騙しは相手を攻撃する技ではない。
間合いは遠く、剣は僕には届かず、空を切った。
そして僕は、その隙を見逃さない。
「くらえ! ムーンライト、セレナアァァァァデ!」
渾身の力を込めた拳が、赤バンダナの顔面を撃ち抜いた。
バンダナが解け、歯が乱れ飛ぶ。
赤バンダナは錐揉みしながら数メートルほど吹っ飛んで、奴隷市場の端にあった汚物にたたきつけられた。
手応えあり。
確実に仕留めた感触があった。
これで、終わりだ。
「成敗!」
「ひ、ひぃ! お助け!」
じゃなかった、あと一人残っていた。
僕は最後の一人に追いつくと、無言でボディブローを入れ、昏倒させた。
「成敗!」
改めてポーズを取ると、それまで遠巻きに見ていた奴隷市場の人々が散り散りになって逃げだし始めた。
心にやましい思いを持つ者ばかりなのだろう。
「大丈夫でしたか?」
だが、標的以外を追うつもりは無い。
彼らはまだ悪と決まったわけではないのだから。
それより、哀れな犠牲者の保護を優先しよう。
僕は奴隷として今にも売られそうになっていた人々の手枷と口枷を外してまわった。
「あ、ああ……助かったよ。街道でいきなり襲われて、こんなことに」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「まさか助けてもらえるなんて、本当にありがとう」
商品として並んでいた人々は、僕に向かって口々にそう言った。
そう言われて、僕が答える言葉は一つだ。
「礼はいらない! 正義の味方として、当然のことをしたまでだ! 身ぐるみを剥がれて大変だろうが、これで君たちは自由だ! 家に帰るといい!」
「感謝します!」
「ほら、お前たち、帰るぞ!」
人々がほっとした顔で、しかし迅速に散っていく。
それを見ながら、気絶した赤バンダナたちを縄で縛り上げておく。
帰り際に衛兵に通報もしておこう。
人さらいは明らかな犯罪行為だが、証拠がなければ中々捕まらないのが現状だ。
でも、今日の内なら証人もたくさんいる。牢屋にでもぶちこんでくれるだろう。
正義、完了。
今日も心地よい気分で家に帰れそうだ。
「……あ」
そう思って振り返ると、一人の少女が僕を見ていたことに気づいた。
彼女は変わらず鎖で繋がれ、青い前髪の間から、恨みがましい目で僕を見ていた。
なぜそいつらは助けるのに、私は助けてくれないの……という顔だった。
でも彼女は僕に助けを求めることはなかった。
僕と目があうと、すぐに目を逸らし、奴隷商人に引っ張られて人混みへと消えていった。
「……」
彼女がどういう経緯で奴隷となり、髪まで染めて売られているのかはわからない。
もしかすると、悪人に騙された結果なのかもしれない。
今、それを判別することは出来ない。
ただわかるのは、彼女が恐らく……不幸な者だってことだ。
善でも悪でもなく、不幸なのだ。
「パックスが管理したら、どうなるのかな……」
僕は、かつての親友の言葉を思い出しつつ、奴隷市場を後にした。