5話 現在の妹
□ □ □
「ジーク!」
まどろみの中で声が聞こえた。
毎日聞いている声に、デジャヴを覚えそうになる。
「いつまで寝てるの! 起きなさい!」
目が覚める。
体を起こし、窓の外を見ると、今日もとっくに昼だった。
窓と逆の方を見ると、こちらもいつも通り。白い髪の母が腰に手を当てて、僕を睨んでいた。
今日もまた、起こされてしまった。
僕の言えたことじゃないが、毎朝、母も大変だ。
「今日は布団を干すから、早く起きて」
「……ああ」
母の言葉に従い、僕は着替えもせずに部屋を出た。
「ご飯は下に用意してあるから、さっさと食べちゃってね!!」
「はーい」
母の言葉に適当に返事をしつつ、廊下を歩き、階段を降りる。
すると、階段の中腹に、青い髪の少女が座っているのが見えた。
上の妹のリリだ。
何をしているのかと手元を覗き込むと、いくつもの突起を持つ巻き貝のようなものをいじくっていた。
恐らく、何かの魔道具だろう。
用途はよくわからない。
珍しい光景ではない。
彼女の趣味は、魔道具を作ったり分解したりすることだ。
暇を見ればこうして弄くっている。
それはいいのだが、何かを思いついた時は場所をわきまえないのが問題だ。
熱中すると、本当にどこでも作業を開始してしまうのだ。
食事中や風呂の中はまだしも、道端とか雑貨屋の中とか、時には路地裏に座り込んでカチャカチャとやりだしてしまう。
今日はまあ、マシな方だろう。
「リリ、今日は仕事休みなのか?」
足の先で背中を小突くと、彼女は驚いたように振り返り、僕を見た。
そして、僕と自分の手の中にあるものを交互に見た後、ふるふると首を振った。
「休みじゃないですけど?」
「もう出勤時間、過ぎてるんじゃないのか?」
「あ」
「……着替えてこいよ。送ってってやるから」
「あ、はい。よろしくお願いします」
どうやら、無断欠勤をする所だったらしい。
僕は彼女が階段を登り、自分の部屋に入っていくのを見届けた後、一階に降りた。
リリは性格的なものもあってか、それとも僕が王立学校で無視されたせいか、我が家の兄弟姉妹たちの中で唯一、王立学校へと進学しなかった。
上の妹自身も王立学校に行くのは望まず、父のコネでザノバ商会という芸術品や魔道具を製造・販売する企業に就職した。
リリの所属は、主に魔道具の開発・修理を行う部署だ。
かなり重宝されているらしく、会社に個人の作業場も持っている。
魔道具が好きな妹にとって、楽園のような職場なのだろう。
だというのに、遅刻と欠席の常習犯だ。
大抵は、今日のように、変な魔道具に夢中になってのことだ。
社会人としての自覚が足りないね。
ま、僕が言えたことじゃないけど。
ちなみに下の妹のクリスは、アスラ王立学校へと入学した。
髪の色も青や緑ではないし、そもそも彼女はアスラ王国に行きたがったので、父や母たちも特に何も言わなかった。
成人してもなおキラキラとしたお姫様に憧れていた妹にとって、王立学校は楽園のような場所だろう。今はどうしているんだろうか。彼氏でも作ったかな?
「赤ママ。リリが今から店の方にいくみたいだから、送ってくるよ。馬借りていい?」
「今日休みじゃなかったのね……いいわ。気をつけなさい」
僕は食堂にいた赤髪の母にそう告げ、朝食を素早くかっこんで、馬を用意するべく家を出た。
□
リリを馬の後ろに乗せて、ザノバ商店への道を行く。
馬は赤髪の母の持ち物だ。
赤髪の母は剣術だけでなく馬術も得意で、幼い頃はよく僕らを遠乗りに連れて行ってくれた。
ついでに馬を調教するのも得意だった。
どの馬も母によく懐き、従順になった。
僕ら兄弟姉妹は、赤髪の母の調教した馬を使い、馬術を習ったのだ。
ちなみに、この馬の名前はカラヴァッジョというらしい。
父が名付けた。
祖父が飼っていた馬と同じ名前らしい。
理由はわからないが、父は動物を飼うと、必ず名前をつける。
そういう性格なのだろう。
リリは僕にもたれかかりつつ、先ほどの魔道具を弄っている。
移動中だろうがなんだろうが、お構いなしだ。
僕は彼女を落とさないように馬を操る。
慣れたものだ。
「それ、なんの魔道具なんだ?」
「……畑に水をやる魔道具です。棒につけて魔力を注ぐと、クルクル回りながら水を飛ばします」
「へえ……なんか使う奴にも掛かりそうだな」
「そうならないように改良してるところです」
リリはそう言うと、またカチャカチャとやりだした。
僕ら兄弟姉妹は馬術を習ったが、リリは馬術が得意ではない。
乗れることは乗れるのだが、リリが乗っていると、馬の方が混乱するのだ。
ついでにいうと、リリは道端に何か気にかかるものを見つけると、飛び降りてしまうこともある。
移り気なのだ。
そして背丈が低いので、乗り直すのにも一苦労する。
さらにいうと、リリは方向音痴だ。
家から学校、家から仕事場といった道はさすがに迷わないが……。
しかし小さい頃は、よく道に迷っていなくなったものだ。
とはいえ、本人には迷っているという意識はない。
僕は迷ったリリをよく探しに行ったが、見つけるときょとんとした顔で首をかしげていることが多かった。
父と母が王立学校に行かせなかったのも、彼女の方向音痴を考慮したのかもしれない。
ともあれ、そういう事だから、遅刻しそうな時は僕が送ってやるのだ。
「うひっ!」
と、唐突に背中に冷たい感触が伝った。
「キャァ!?」
「うわっ」
「冷たっ!」
同時に、周囲を歩いていた人からも悲鳴が上がった。
「リリ。冷たい」
「……ん、ごめんなさい」
「背中で魔道具を起動させるなって、いつも言ってるだろ」
リリが、俺の背中で魔道具を起動させたのだ。
よくあることだ。
今日は火だるまにならないだけ、マシと考えよう。
「あ」
今度は小さな声と共に、唐突に背中からリリの気配が消えた。
落馬したのか?
そう思って背後を見ると、リリが駆けていく所だった。
大通りを横切って、パタパタと。
行き先は露天商だ。
「カラヴァッジョ」
馬を巡らせ、露天商の前へと移動する。
上から見下ろすと、どうやら魔力付与品が置いてある店のようだった。
人の作る魔道具と、自然が作る魔力付与品。
似ているようで違うものだが、リリはどっちも好きだ。
そして、そういうものを見つけて飛びつくのも、いつものことだ。
「――効果は?」
「この杖で相手をぶん殴ると、頭がキーンとするんだ。冷たい水を大量に飲んだ時みたいにな」
「いくらですか?」
「買うのかい? お嬢ちゃん、冒険者にも傭兵にも見えないが……」
「研究して、似たような魔道具を作ります」
「へぇ! さすが魔法都市シャリーアだ、そういう目的で買う者もいるんだねぇ! で、金はあんのかい?」
リリは懐から重そうな袋を出すと、中から金貨を五枚ほど商人の前に置いた。
お値段ぴったり。
リリは馬術は苦手でも、計算と魔法陣を描くのは早いのだ。
「ん、どうぞ」
「ひょー、金持ちだなお嬢ちゃん。そんな大金を持ち歩くなんて」
「こういう時のためです」
「そうか。俺だったらスリが怖くてそんな無造作には持てねえが……ま、そのための護衛か」
商人はにこやかに笑い、僕を見た。
護衛とは僕のことだろうか。
「護衛じゃないです。コレは兄さんです」
「そうなのかい? 髪の色以外はあんまり似てねえけど……」
「そんなことはない……あー」
馬の上から手を伸ばし、世間話をし始めたリリを引っ張り上げる。
「仕事、もう遅刻なんだから、急ぐぞ」
「うん。じゃあ、商人さん、さようならです」
「おう、毎度、スリと人攫いにゃ気をつけてな~」
リリは完全に子供扱いされている。
リリは青髪の母の子供で、見た目が幼いからだろう。
言動や行動も子供のようだ。
ただ、うちの兄弟姉妹の中では、一番働き者だ。
一番働いていない僕がいうのだから、間違いない。
「兄さん、これで頭叩いてみてもいいです?」
「ダメ」
「えいっ……んあー」
振り返ると、リリは自分の頭を抑えて悶えていた。
買ったばかりの魔力付与品の効果を、自分で試したようだ。
こういう時、ララ姉なら断ることなく、僕の頭を叩いたことだろう。
リリは自分で試さないと気がすまないのだ。
「すっごくキンキンする……兄さんも試してみます?」
「やめて。馬から落ちたら大変だ」
「……うん」
リリは残念そうに杖を腰に挿して、先ほどの魔道具をいじり始めた。
そのまましばらく無言で馬を進めると、目的地が見えた。
ザノバ商店の持つ工房だ。
僕は店の前で馬を止めると、リリを下ろした。
「はい到着」
「ありがとう、兄さん」
「いいってことよ。帰りは?」
「一人で帰れます」
「そっか、気をつけてな」
「うん」
リリはパタパタと工房へと入っていこうとして、ふと振り返った。
「あ、兄さん」
「ん? 何だ? 忘れ物か?」
「もし兄さんが働きたいと思ったら、私の所で雇ってあげても、いいですよ?」
「お抱えの御者としてか?」
「使い走りとして。兄さん、魔道具とかにも理解あるから、便利そう」
「考えとくよ」
「ん」
リリは頷くと、今度こそ工房の中へと入っていった。
それにしても、妹にまで仕事の心配されてしまうとは。
彼女も僕の無職については理解がある方だが、やっぱり良い状態だとは思っていないのか。
「……」
それにしても、さっきの商人の言葉じゃないが、本当にスリと人攫いが心配だな。
ある日突然いなくなって、奴隷市場に並べられてる、なんてことがなければいいが……。
まあ、あれでいてグレイラット家の淑女だ。
馬術は下手でも、剣術と魔術は人並み以上にできる。
その上、この町においてグレイラット家は力を持っている。
グレイラット家の人間に手を出そうなんて者が、そうそういるとも思えない。
「滅多なことはないか」
そう呟きつつ、僕はその場を後にした。
□
そうして、いつも通り町をブラブラし、やってきたのは、いつもの店。
『酔いどれゴブリン』。
それはこの町で、一番目立たない所にある酒場だ。
いわゆる場末の安酒場。
どこにいってもデカい顔ができなさそうな小悪党が集まる場所だ。
善良なる僕がなぜそんな所に、と人は思うかもしれない。
だが、僕も悟ったのだ。
チェダーマンが戦っていたような、カラッと分かりやすい悪は存在しないということを。
そう、本当の悪は表に出てこない。
悪はいつだって陰湿で、陰険だ。
何かの影に隠れながら、コソコソと裏で活動している。
そうした悪を成敗したいのなら、自分自身も悪のいる場所に赴かなければならない。
悪の中に身を置く事で、悪の情報を得るのだ。
「お」
そう思いつつ酒場にはいると、僕はいつもの顔を見つけた。
頭頂部のハゲた小男。情報屋のジョルジュだ。
「よう、ジョルジュ、景気はどうだい?」
「ジークか……ま、悪くねえな。少なくとも、今宵の酒代はバッチリだ。なんだったらおごってやるよ」
「いいのか? サンキュー。あ、でも酒はダメだぜ」
「わかってるよ」
ジョルジュは給仕に飲み物の追加を頼んだ。
僕は対価を受け取らないし、払わないが、好意は受ける。
好意とは、正義の味方の相棒だからだ。
「お前さんの方はどうだい、ジーク。景気はよ」
「僕は無職だぜ? 景気の良いも悪いもねえよ」
「ハハッ、そりゃそうだ。じゃあ、なんか面白い事でもなかったか?」
『世間話』は、時に僕の方からすることもある。
なにせ、世間話だからな。
どっちからしたっていいのだ。
「別に面白いことなんかねえよ。朝は遅刻した妹を仕事場に送って、昼はガキが路地で転んで泣いてたから治癒魔術を掛けてやった。ああ、あと市場にスリがいたから、足を引っ掛けて転ばしてやったな」
「妹ってのは、ララの方かい? それともリリの方かい?」
「リリの方だよ。今、この町にいる俺の妹って言ったら、リリしかいねえ」
「ああ、そうだったな。悪い悪い、名前が似てっから、ちょっとこんがらがっちまってよ」
今日のジョルジュはリリのことについて知りたいらしい。
彼はよく、僕の家族についての話を聞く。
グレイラット家の情報は、高く売れるのだろう。
僕のいう言葉だから、信憑性も高いだろうし。
「魔道具や魔力付与品を買い漁る道楽者って噂もあるけど、どんな娘なんだ?」
「そうだな……魔道具や魔力付与品を買い漁るってのは間違いじゃないが、ただの道楽じゃない。そういうのが個人的に好きなのは間違いないけど、あくまで仕事のためだよ。ザノバ商店の新商品を開発するためのな」
「新商品ねえ、それって、売れてんのか?」
「さあ、何を作ってるかまでは、知らねえし」
ジョルジュがどこに我が姉や妹の情報を売っているのかは知らない。
だから、僕も重要な情報を喋ったりはしない。
まあ、何を作ってるとかは、本当に知らないんだが。
「お前の方はどうだ? なんか面白いことはねえのか?」
「面白いことねえ……いつもの感じか?」
「そう、いつもの感じだ」
ちなみに、どうやらジョルジュは、僕が正義の味方であることを、薄々感づいているようだ。
そうだろうとも、自分が情報を流した結果、その悪党が退治されるのだから。
そんなことにも気づかない奴が、情報屋として仕事が出来るとは思えない。
「面白くはねえんだが、ちと変な噂を耳に挟んだぜ」
「変な噂?」
「こっから西にいった所にある街道で、盗賊団が出没するようになったって話だ」
「……それは、珍しくもないだろ」
魔法都市シャリーアは治安の良い町だが、それでも城壁の外に出れば無法地帯だ。
街道に盗賊団が出没するなど、日常茶飯事だ。
そのうち、国から騎士か兵士が派遣されて、退治されるだろう。
正義の味方たる僕が行ってもいいんだが……西の街道となれば、一日掛かるだろう。
せめて夜に出て、夜のうちに帰れる所がいい。
できれば町中で。
町の外は正義の味方の管轄外なのだ。
「いや、それがな。その盗賊団が、夜な夜な、奴隷市場でさらってきた女子供を売っぱらってるって言うんだよ」
奴隷市場か。
それなら近い。
「特徴は?」
「詳しいことは知らねえが……リーダーが赤いバンダナをつけているらしい。それから――」
ジョルジュから、一通り、その悪党の情報を引き出す。
その後、いつものように世間話が始まる。
ここからは、本当に世間話だ。
ジョルジュの愚痴を聞いたり、近所の妙齢な女性の尻について熱く語ったり。
もちろん、会話をするのはジョルジュだけではない。
僕は他の顔見知りとも何人か世間話をして過ごした。
□
深夜。
僕は酒場から出た後、町中にある空き地へと赴いた。
そして、空き地の中央にあるロープを引っ張る。
ガポリと音がして開くそこは、秘密基地だ。
幼い頃に、兄や姉と一緒に作った場所だ。
テーブルやクローゼット、絨毯やクッションを運び入れ、僕らの場所にした。
当時は、よくここで一緒に遊んだものだ。
この基地は妹達に引き継がれることなく、最後の住人である僕が受け継ぐこととなった。
小さなベッドやクローゼットは、昔のままだ。
あるいは僕も、昔のまま、変わらないのかもしれない。
「なんてね」
うそぶいて、クローゼットから、あるものを取り出す。
黒い兜だ。
この頭全体を覆う兜は、かつて父に連れられて訪れた、龍神オルステッド様の居城にあったものだ。
ちなみに居城といってもさして大きくはない。
地上にある建物の大きさで言えば、我が家よりも小さいぐらいで、父はそこを事務所と呼んでいる。
が、町の人はみんな居城と呼んでいる。オルステッド様の住居を城と言わないことが不敬に当たると思ったのかもしれない。
僕もそれに釣られたのか、いつしか居城と呼ぶようになった。
まあ、それはさておき。
この兜はその居城にある地下倉庫に大量においてあったのだ。
二十、いや三十はあっただろうか。
これと同じような、しかし少しずつデザインの違う黒い兜が、ずらりと棚に陳列されていた。
さながら、防具屋の一角であるかのように。
僕はその中の一つに惹かれた。
とてもかっこいい兜があったのだ。
もちろん、恰好いいからって盗んだわけじゃない。
いくら子供時代の僕がアホだったからって、父の仕える人物の持ち物を盗むほどではない。
もらったのだ。
手に取って感嘆の息をついていると、いつしか背後に近寄っていたオルステッド様が「貴様にそれをやろう」と言ったのだ。
その日から、この兜は僕のものになった。
オルステッド様は似たデザインのものをいつも身に着けているし、似たような兜をいくつも持っているが、これは僕のだ。
それを示すため、僕は兜の額に三日月の紋章を彫り、この兜をムーンナイトの代名詞としたのだ。
「……」
黒ずくめの服装に着替え、そして兜をかぶる。
最後に暗い色のマントを羽織れば、鏡に映る姿は正義の味方『ムーンナイト』。
今日もまた、この町の悪を倒すのだ。