4話 過去の親友
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パックスはやる気に満ちた、賢い男だった。
数学にしても、魔術にしても、全て理論的で、理解が早かった。
経済学や領地経営学に強い興味を示しており、そうした授業での彼の発言は実に独創的で、理にかなっていた。
僕や彼を見下し、無視していた他の貴族の子供はもちろん、先生すらも目を見開くほどに。
その上、彼は言語を三種類も扱えた。
中央大陸の人間語、ベガリット大陸の闘神語、大森林の獣神語だ。
さらに今は海神語を学んでいるという。
ちなみに、僕が扱えるのは人間語と魔神語だけだ。
母は他の言語も色々と教えようとしてくれたが、身につかなかった。
魔神語が身に付いたのは、身近に魔族が多かったからだろう。
師匠も魔族の血が流れているし、叔母の結婚相手も魔族だ。
とはいえ、その魔神語も、現状はほとんど使ってはいない。
「そんなに学んでどうするんだ?」
そう聞くと、彼はこう答えた。
「将来、領地を経営することになった時に、人間語のわからない魔族や獣族と会うことも多いと思うんだ」
「経営するなら、通訳を雇えばいいんじゃないか?」
「通訳を雇う時にも、そいつが正しく言葉を扱えるかどうか、確かめる必要があるだろう?」
「それは、別に君がやる必要はないんじゃないか?」
「いいや、僕がやらなきゃいけないんだ。なにせ僕には、味方が少ないからね」
彼はあまり身の上を語らなかった。
わかるのは、彼が王竜王国の出身で、母親が他の貴族にあまり良く思われていないらしいということ。
そして、彼自身も、あまり良く思われていないということ。
疎まれ続けた結果、彼は数少ない味方である母や教育係の男とも引き離され、このアスラ王国の王立学校に留学という名目で送られてきた。
彼との会話をツギハギして推測し、そこまではわかった。
「でも、海神語を習う必要はないだろう? 彼らは地上に住む人々とは、極力接触しないようにしてるみたいだし」
「あまり問題視されていないことだけど、昔から沿岸部では『彼ら』と揉め事を起こすことが多いんだ。その揉め事が発展し、戦いになり、無駄な血が流れたケースも多くある」
「それは、仕方ないことだろ?」
「僕はそうは思わない。後になって文献を調べると、揉め事といっても、些細なことが多いんだ。人族が知らないうちに海魚族の大切なものを汚してしまっていたりね」
「へえ……」
「話し合いができれば、すぐに解決できるような問題。でもそれが原因で村が一つ消滅したこともある。もちろん話し合いだけじゃ収まらないケースも多くあったけど、でも言葉が理解できれば、戦いまでいかずとも、落とし所が見つかったはずさ」
彼はそう言って笑った。
僕にはあまり実感の湧かないことだが、でも説得力はあった。
彼と一緒に言語の勉強をするほどに。
そして、彼と一緒にする勉強は、驚くほどに身についた。
それはきっと彼が、自分だったらどう使うか、というのを一生懸命考えながら勉強していたからだろう。
実際に勉強したことを使うかどうかはさておき、そうやって考えながら勉強してくると、心なしかワクワクしてくるものだ。
さて、そんな彼だが剣術の才能は並だった。
幼い頃から北神流を学んできた僕には、逆立ちしても勝てなかった。
決して弱いわけではない。
僕と同じ北神流を学んでいて、基礎もできている。
でも、やはりなんというか、弱かった。
「ジーク、君は強いね」
「僕は生まれつき、腕力が強かったしね」
「神子なのかい?」
「そのレベルじゃないけど、でも似たような感じなのかな」
神子とは、凄まじい能力を持って生まれた子供のことだ。
父の知り合いにも何人かいて、そのうちの一人は、やはり怪力をもっていた。
でも、僕の怪力と、彼の怪力は大きく違った。
僕はかなり鍛えて今の力を手に入れたが、彼は一度も鍛えたことがないという。
そして、今になっても、僕は彼に腕力ではかなわない。
「それに、僕の師匠は北神なんだ。北神カールマン三世。師匠の差だよ」
「そっか。僕に剣を教えてくれた教育係も、かなりの剣の腕だけど、やっぱり本家には敵わないのかもね」
彼は僕に剣術で負けていることを、あまり気にしてはいないようだった。
彼は元々、争いに向いていない性格なのかもしれない。
ともあれ、彼との学校生活は、楽しかった。
思えば、彼は僕にとって最初の親友だったのかもしれない。
魔法都市シャリーアにも仲のいい友人は多くいたけど、心の底から親友だと思えたのは、彼だけだった。
■
僕はパックスにつられて、真面目に勉強するようになった。
パックスの教え方は上手で、僕はあっという間に授業の遅れを取り戻した。
もっとも、遅れを取り戻しただけで、せいぜい成績は中の中の上といった所だろう。
もっとも、それは学術に限ってのこと。
武術の成績は、学年でトップだった。
あるいは、全学年でトップだったかもしれない。
確かめることはなかったが。
僕はパックスに勉強を教わり、逆にパックスは僕に剣術を教わった。
僕が学術のいい生徒ではなかったように、パックスも武術のいい生徒ではなかった。
体は鍛えていたし、北神流剣術の基礎的なこともわかっているようだったが、どうにも、良くならなかった。
彼の武術の成績は、中の中の上といった所だろう。
もっとも、これも武術に限ってのこと。
学術の成績は、学年でトップだった。
僕らはつるみはじめてからも、相変わらず周囲に無視されていた。
多少成績がよくなり、一分野において学年で一位をとった所で、それは変わらない。
学園生活という点では、相変わらず灰色だ。
でも一人でいた頃よりは、色づいて見えた。
結構、楽しく過ごせていたのだ。
パックスのお陰だろう。
「今日もあそこにいかないか?」
そんな親友には、一つ趣味があった。
いや、趣味といっていいのかどうか。
あるいは習慣とか、悪癖と言うのが正しいかもしれない。
アスラ王立学校には、十日に一度休日がある。
生徒は校内で自由に過ごしていいが、学校の敷地の外へと出ることは禁止されている。
というのも、問題を起こすからだ。
王立学校は上級貴族の住む上層区と、中級貴族の住む中層区のちょうど中間にある。
中級貴族の住む区域の外は下級貴族の住む区域、そこから出れば、あとは平民の住む区域だ。
王立学校は、様々な国からの留学生や、平民の中でも特に能力の高い者も受け入れている。
だが、やはりというべきか、大半はアスラ貴族の子供だ。
そして、一部の箱入りで育てられた貴族の子供が、冒険と称して平民のいる場所まで降りていくこともある。
となれば、当然のように、問題が発生する。
時には、生徒が死ぬ可能性もある、となれば、禁止となるのも当然だろう。
しかしながら、創立からさほど時間が経っていない学校といえども、生徒がそれを甘受するわけもない。
数年で抜け道が作成され、休日になると生徒たちは自由に外へと繰り出し始める。
学校も、体面上は禁止しているが、完全に阻止するのは諦めているのか、半ば放置気味だ。
だからというわけではないが、僕らも抜け道を利用し、休日になると町へ繰り出した。
校舎裏に開けられた小さな穴から外に出ると、そこはもう、アスラ王国の王都だ。
僕らが向かうのは、アスラ王国の中でも、特に暗い場所だ。
いかがわしい場所かって?
まあ、うがった見方をすれば、そうかもしれない。
いかがわしい目的で行くことも出来る所だ。
そこは王城や貴族の住んでいる区域からの排水が流される場所だ。
平民のいる区域の中でも、特に汚く、そして臭い。
いわゆる、スラムだ。
スラムは城壁で囲まれており、城壁には門番が立っている。
スラムの浮浪者を中にいれるのを、防ぐためだ。
もちろん、僕らのような身分の高い者を入れるのを防ぐのも、彼らの役割だ。
しかしパックスは、そういった場所に侵入する術を、よく心得ていた。
なんでも、彼の教育係は、そういったことも教えてくれたらしい。
アスラ王国王都のスラムは、キラキラとした王立学校や貴族の居住区が嘘のような場所だ。
小さく、そして粗末な家が立ち並び、道には酒瓶を抱えつつ、ゲロの中で眠る男がいる。
裸の子供たちが棒をもって走り回り、路地裏へと消えていく。
かといって、誰もがみんな衣食住に困っているわけではない。
小さな家の中を覗くと、母親と子供が、美味しそうにスープを飲みながら、笑いあっているのが見える。
そこでは時折、鉄の首輪を付けられた若い娘が、身なりのいい男に連れられて行くのが見える。
奴隷とされ、売られるのだろう。男の方が奴隷商人だ。
娘は辛く苦しい表情か、抵抗に疲れ、諦めた表情……というわけでもなく、まあ、普通の顔だ。
普通とはすなわち、自分が売られることを、納得した者の顔だ。
僕らは、彼らを追いかけるように、スラム内を移動する。
スラムの住人は、身なりのいい僕らを見ると、時折何かを要求するように手を出してくることもあった。
パックスは彼らに一瞥もくれず「何も応じちゃだめだ。群がってくるからね」と言った。
暗い路地裏を抜けていくと、広場がある。
スラムの奥地、外からは絶対にわからないような位置だ。
そこは熱気にあふれている。
中央にお立ち台があり、そこには裸の人々が並べられているのだ。
奴隷市場だ。
故郷のものより、幾分か規模は小さいが、間違いなく。
アスラ王国では、奴隷は禁止されてるが、それは表向きの話だ。
ここでこっそりやってるのだ。
そして、パックスはなぜか、奴隷市場を見に行くのが趣味だった。
といっても、パックスは奴隷を買いにきたわけじゃない。
「あの奴隷はかなり剣術が得手と見たね。手のひらにマメがある。君はどう見る?」
「いや、あれは剣を握って出来たマメじゃないよ。多分、農作業か何かだ、ほら、僕の手を見なよ。剣術をやるだけなら、あんな場所にマメは出来ない」
「違う流派だと、ああいうマメが出来るかもしれないだろ?」
「うーん……」
ただ、品評するのだ。
あの奴隷はどんな奴か、何が得意で、何がヘタか。
奴隷になる前は何をやっていたのか。どんな身分だったか。
たまに答え合わせもするが、大抵は言いっ放しだ。
「あ、彼を見てみなよ、ボロっぽい服を着ているけど、髪や爪は綺麗だ」
ちなみに、品評するのは奴隷だけではない。
「貴族に仕える使用人だよ。もしかすると、王族のかもしれない」
「へぇ」
「あの奴隷商人は獣族だね。売ってるのも獣族だ。でも、この辺りの人間の雰囲気とは違うね。もしかすると、どこかの盗賊団が裏切った仲間を売っているのかもしれない。アスラ王国では獣族の奴隷は高く売れるからね」
奴隷商人や、奴隷を購入しにきている客もまた、品定めの対象だった。
パックスの奴隷の品評は当たり外れも多かったが、客の検分は得意だった。身分の高い客と、そうでない客を瞬時に見分けた。
「パックスは、随分詳しいよな」
「母上から教えてもらったんだ。変装の見分け方、身分を偽る者の見破り方をね」
「王竜王国では、そういうことも教わるのかい?」
「いや……母上は、父上から教えてもらったんだそうだ」
そう言うパックスは、なんとも言えない顔をしていた。
憧れとも、懐古とも違う、複雑な表情だ。
だから、知りたかったのかもしれない。
彼にとって、この場所がどんな場所なのか。
彼にとって、父親とは、どんな存在なのか。
「それにしても、君がこんな所を好むなんて、意外だったよ」
知りたかったが、直接は聞かなかった。
僕に勇気がなかったのだろう。
「こんな所? 君はここが、どういう場所だと思うんだい」
逆にそう聞かれ、僕は一瞬、答えに詰まった。
僕は故郷である魔法都市シャリーアの奴隷市場には、足を踏み入れたことがない。
昔、兄と姉と一緒に遊び半分で侵入してみようとしたが、母に見つかってこっぴどく怒られてからは、一度もだ。
興味がなかったと言えば嘘になるが、パックスのような賢く貴い男が好んでくる場所とは思えなかった。
「ここは……悪い場所さ。悪人が支配している」
だから、周囲を見て、そう言った。
まずもって、販売者のガラが悪い。
上半身ハダカで刺青をしている者、傷が付いている者、不機嫌そうに周囲を睨みつけているもの。
それから売り物である奴隷は、健康状態が悪い。
陽の下にさらされた奴隷たちは、病気にこそ見えないが、満足にご飯を食べていないのがわかる。
それから場所が悪い。
スラムに流れるドブ川からは、何かが腐ったような匂いがする。きっとそのまま水を飲めば、腹を下すか病気になるだろう。衛生状態も劣悪だ。
そして、こうした場所でこそこそと奴隷を買うような貴族や王族も、決して善良な人間とはいえない気がする。
「悪か……まあ、良い場所ではないよね」
パックスはそう言いながら、歩き始めた。
奴隷を見ながら、商人を見ながら、そして奴隷を買うため真剣に奴隷を見ている客を見ながら。
「でも僕の父上は、こういう場所が好きだったらしい」
「らしい?」
「僕が生まれた時には、父はもう死んでいたからね。父上の声は聞いたことはないし、顔も肖像画でしか見たことがないんだ」
「……そうなんだ」
彼は普段、あまり身の上を語らない。
だから父親がすでに死んでいることを聞いたのも、その日が初めてだった。
まあ、薄々感づいてはいたけれども。
「奴隷市場のどういう所が好きだったのかはわからないけど、父上よく城を抜け出ては、こういう場所に足を運んでは、何か問題を起こしていたらしい」
「へえ」
「でも、最後にはそういう場所の連中をまとめて、支配して、自分の物にしたんだって聞いた」
彼は父親のことを語りながら、遠い目をした。
肖像画でしか見たことのないという父。
それは、僕が父を見るよりも、さらに大きく見せていたのかもしれない。
「一度、僕の教育係の男に、なんで父上がそんな場所にこだわったのかってしつこく聞いたことがあったんだ。そしたら彼は言葉を濁していたけど、最後にはこう言ったんだ。『お父上は、国では決して好かれてはいなかった。だからスラムに居場所を見つけたのではないか』ってね」
彼の父は、元はシーローン王国という国の王子だったという。
呪いのせいか生まれつき背丈が小さく、そのことで素行も悪くなり、疎まれ、王家でもミソッカス扱いされていたのだとか。
そんな彼は外に居場所を見つけたのは、必然だったといえよう。
「父だけじゃないんだ。祖母は奴隷の出身だと聞いた。王竜王国の国王だった祖父が、どういうつもりで祖母を買ったのかはわからないけど、祖母は祖父の慰みものになり、母が生まれた。母は当然、奴隷との子供ということで疎まれた」
彼の祖母は、生まれつき青い髪を持っていたという。
青い髪の種族といえばミグルド族だが、その血が流れているのか、それとも別の魔族の血なのか、はたまた何も関係なく、単に生まれつきそうだったのかは、彼の話からはわからない。
ただ、その髪は娘に、そして息子へと遺伝した。
奴隷の子孫という烙印と共に。
「そして僕もまた疎まれた。けど、祖父のことは恨んでいないよ。祖父は母を娘と認め、ちゃんと育ててくれたからね」
彼はそう言うと、立ち止まった。
丁度、奴隷市場の真ん中で。
「父は奴隷市場に居場所を見つけ、母は奴隷の子供だった」
周囲には、各奴隷商人が好き勝手に奴隷を見せ、売り文句を吐いている。
すえた匂いが周囲から漂い、下卑た気配がそこかしこに充満していた。
「だからかな。奴隷市場は汚くて、臭くて、とても良い場所じゃないのはわかるんだけど。でも、僕には悪とは思えないんだ」
パックスは苦笑しながらそう言った。
「まあ、善でも悪でもいいんだ。奴隷は良い制度とはいえないが、禁止してもこの通りだ、かといって放置もいけない、きちんと管理し整備しなければ不幸な者が増える。僕が将来、自分の領地を持ったら、否が応にもこんな場所はできてしまうだろう。それをきっちり管理しよう、悪人の支配する場所にはならないようにしようと思ったら、どういう場所かを知っておくべきだ。だから、ここに来るのは、勉強なのさ」
パックスは苦笑しつつ、肩をすくめた
彼にとって、奴隷市場は悪ではないのだ。
もちろん奴隷も悪ではない。
もし悪であるなら、彼の存在も、きっと悪になってしまうのだろう。
「勉強、か……」
彼は自分の存在を肯定したかったのだろうか。
それとも、疎まれていた父や母の存在を肯定したかったのだろうか。
僕にはわからない。
ただ、一つ、わかる事があった。
彼には何か、大きな目的があるんだ、ってことだ。
じゃなきゃ、王竜王国から遠く離れた国に留学なんかしないし、その国の奴隷市場を見学したりなんかもしない。
「君は嫌かい? こういう場所にくるのは」
「……好きじゃないけど、勉強なら付き合うさ」
僕にはパックスが眩しく見えた。
正義の味方になるという夢を諦め、何の目的もなく学校生活を送っていた僕には、彼がとても羨ましかったのだ。
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