14話 現在の親友
■ ■ ■
そこは、名も無き土地だった。
赤竜の下顎から南東に少しいった所にある、猫の額ほどの土地だ。
王竜王国が領有している飛び地である。
しかし、幾つかの寒村と、朽ちて崩れかけている砦が一つあるのみで、領主すら存在していなかった。
ここに人がいない理由は、いくつか存在した。
一つは、密林地帯が近すぎること。
太古の竜の呪いか、はたまたベガリット大陸から流れ飛んでくる砂のせいか、この密林地帯には凶悪な魔物が多数出没した。
熟練の冒険者であっても、この森の中を冒険すれば、確実に命を落とすと言われるほどに。
一つは、赤竜の下顎を領有する国が、絶えず目を光らせていること。
この土地に密林地帯を開拓できるほどの軍勢を送り込めば、その国は必ず邪魔をしてきた。
王竜王国と戦争が出来るほど大きな国ではない。
だが王竜王国という大国に重要な拠点を与えることを、安々と許すわけがなかった。
また、その邪魔をはねのけるだけの軍勢を送り込めば、アスラ王国が難癖をつけるであろうことも、簡単に理解できた。
一つは、王竜王国本国から距離が遠すぎること。
王竜王国本国からその領地まで行くには、王竜山脈を大きく迂回していくか、密林地帯を突っ切るしか無い。
いかに王竜王国が大国といえども、大量の軍勢を引き連れて他国の領内を通過するにはかなりの政治的駆け引きが必要となる。
場合によっては、金も必要になるだろう。
凶悪な魔物がいる密林地帯を突っ切るのに政治力は必要無いが、その代わり大量の兵士の命を引き換えとするだろう。
その他にも、色々と理由はあるが……。
ともあれ、これまで王竜王国はこの土地を開拓しようとし、ことごとく失敗してきた。
そんな土地に、ある男が一人、領主として派遣されてきた。
その名をパックス・シーローン.Jr。
彼は十数人の配下を引き連れていた。
かなり少ない人数であった。
今までの領主は、時に百人単位の従者や兵士、使用人を引き連れてきた。
だが、彼は少人数だった。
そんな彼を、砦を管理する家令の男は歓迎した。
いずれ逃げ帰るか、魔物に食い殺されるかするだろうからぞんざいに扱っても良かったが、領主のいない砦を管理し続けることほど無駄なことは無いと思っていたし、こんな所に飛ばされてくる無能な王族でも、無碍に扱えば自分の首が飛ぶ可能性もあるとわかっていたからだ。
だが、パックスは家令が思っていたより、現実的で賢かった。
彼はまず、人を集めた。
自分の連れてきた僅かな手勢を使って寒村から人を集め、特に有能で意欲ある者に教育と訓練を施し、己の配下とした。
配下に与えられる報奨は少なかったが、それでも寒村で一生を終えるのを良しとしない若者は多く、パックスが思っていたより多くの青年が集まった。
それからパックスは、隣国にある木こりギルドに打診し、領地内の木を格安で売りつけた。
本来なら領地内の木を他国に売る場合、税金の関係でかなり割高となる。
それを格安で売りつけたのだ。本国には内緒で。
遠く離れたこの地でパックスに文句を言うものは、誰もいなかった。
そして、パックスは配下を使い、木を伐採する木こりギルドの護衛を引き受けた。
これもまた、格安でだ。
格安で木を売り、格安で護衛を引き受ける。
その金で他国から格安で人を雇い入れ、そして、木こりギルドが伐採した土地を開墾した。
最初こそ、酷いものだった。
寒村出身の若者は基本的に役に立たない者ばかりだったし、格安で雇い入れた者たちも能力的には無いも同然だった。
パックスが何度も現場に出て、彼らを指揮した。時には魔物とも戦い、パックス自身が戦うことで、彼らを守らなければならなかった。
厳しい時期は続いた。
しかし、パックスはそれを皮切りに次々と政策を打ち出すことで、細々と、しかし確実に領地を広げていくことに成功した。
時に問題も起きたが、パックスは一つ一つ、丁寧にそれを解決していった。
その結果、商売の規模も段々と大きくなり、資金や人材にも、少しずつ余裕ができていった。
順調だった。
ある日、木こりギルドの一隊が謎の変死を遂げるまでは。
不気味な死に方だ。
全員が胸に大きな穴を開け、樹の根元にうつ伏せに寝かされていた。
護衛も一緒だった。
最初に発見した時、誰もが魔物の仕業だと思った。
魔物が一隊を襲い、全滅させたのだと。
それが証拠に、食い残しの跡もあった。魔物が食い残すのは珍しいが、無いことではない。
よくあることだ。
屈強な木こりギルド、護衛に守られていたといえども、こうしたことは、よくあった。
だから森というものは恐ろしいのだ。
だが、それは何度も続いた。
木こりギルドの一隊は幾度となく全滅した。
護衛を増やしても無駄だった。
みんな、死んだ。
全員が胸に大きな穴を開け、必ず樹の根元にうつ伏せに寝かされていた。
魔物ではない。
何者か、犯人がいるのだ。
誰かが屈強な木こりと護衛数人を殺し、木の下にうつ伏せで寝かせたのだ。
快楽殺人者か。
あるいは、領地を広げることを面白く思わない、誰かだ。
木こりギルドは、この謎の変死の原因がわかるまでは、もう森には入らないと言い切った。
ゆえに、パックスはその原因を探る必要があった。
幸いにして、それまでの政策の結果、少しは余裕ができ始めていた所だった。
パックスはそれを使い、隣国の傭兵ギルドから手練と思わしき者を何人か招き入れ、彼らを護衛に自らが調査に乗り出した。
自分が最初から連れて来ていた手勢は、ルーデウスより送られてきた者だ。
優秀な者ばかりで、パックスの言うことをよく聞いてくれた。
それでも彼らを使わなかったのは、自分の躍進を快く思わない者の手先が紛れ込んでいる可能性があったからだ。
そして、そうした者を放置しておけば立ちゆかなくなるのは目に見えていた。
パックスは何度も調査をした。
密林地帯の地図を作り、木こりギルドの一隊が変死した所に印を打った。
傭兵の中には元情報屋もいて、そいつに怪しい配下の身辺調査も行わせた。
その結果、幸いにして、パックスの配下に裏切り者はいないことはわかった。
そして、ある日変死の原因もわかった。
木こりたちが死んで寝かされていた木に、共通点があることに気づいたからだ。
樹齢100年を越える、バシカラの木だ
この密林地帯にしか生えていない木で、希少なため非常に高価な値段で売れる。
彼らが寝かされていた木の中には樹齢100年どころか、400年は越えるであろう巨大な木もあったため、しばらく同じ木だとは気づかなかった。
だが、配下の一人は木々に詳しく、同じ木であると断定した。
パックスは、この木に何があるのかと思い、枝を一本手折って持ち帰ろうとした。
そして気づいた時には囲まれていた。
囲んでいたのは浅黒い肌を持ち、原始的な服装をした者達だった。
彼らはパックスに対し、「神聖な木の枝を折った!」と糾弾した。
闘神語だった。
パックスはその言語を理解し、謝罪しようとした。
だが、護衛たちは理解できなかった。
敵意をむき出しにし、聞き慣れぬ言語をしゃべる者達を前に、パックスの指示を待たずに剣を抜き、戦い、そして全滅した。
配下が全滅してなお、パックスは話し合いをしようとした。
自分は王竜王国の者で、あなた方の縄張りに侵入したことを謝罪する。枝を折ったことも謝る。
できれば仲良くしたい。
そう主張した。
だが、彼らはパックスが長だと聞くと、喜び勇んで彼を縛り上げた。
パックスが連れていかれたのは、密林の奥。
彼らの集落だった。
そこには浅黒い肌と、黒い髪を持つ者達ばかりが住んでいた。
パックスは学校で得た知識から、彼らがベガリット大陸に住む人族の一種で、恐らく密林に住むと言われている原住民だろうとわかったが、しかしわかった所でどうにかなるものではなかった。
パックスは族長の元へと引きずり出された。
族長はパックスに弁明の機会を与えてはくれなかった。
彼らにとって神聖とされる木を切ろうとしていた者たちの長であると知ると、次の満月の夜に神に捧げると宣言された。
パックスはそのまま、集落の広場の真ん中に置かれた木製の牢屋の中で過ごした。
飲み物は与えられたが、神の供物とするため、腹の中をカラッポにするためだろう、食べ物は与えられなかった。
さらに、夜になると集落の呪術師がパックスの前に来て、篝火を焚き、半狂乱になりながら祈祷した。
そうして、何日も、何日も過ごした。
パックスは何度か逃げ出そうとしたが、牢屋は木製とはいえ頑丈だった。
仮に牢屋から出ることが出来たとしても、集落の戦士たちは誰もがパックスより強く、さらに地の利にも明るかった。
逃げ切れはしなかっただろう。
そして、満月の日がやってきた。
集落中から人が集まり、パックスは屈強な戦士に牢屋から引きずり出され、篝火の前で膝をつかされ、うつ伏せに寝かされ、押さえつけられた。
祈祷を続ける呪術師の手に短剣を見た時、パックスは暴れた。
わめきちらした。
ここで死ぬわけにはいかない、助けてくれと。
自分が生きていけなければいけない理由を列挙し、生きていたい理由を列挙した。
そして、最後には無様に命乞いもした。
しかし、彼らは無慈悲だった。
呪術師は祈祷を終えると、その短剣を、パックスの背中、丁度心臓の部分に一度押し当て。
そして思い切り振りかぶって――。
□
「待てい!」
声が響き渡った。
凄まじくでかい声だった。
思わず呪術師が手を止め、広場に集まった集落の民が声を失うほどに。
戦士たちは声の主を探し、周囲を見渡した。
だが、満月とはいえ、時刻は夜。
篝火に照らされた広場からは、森の中は見通すことが出来ない。
そこで、族長が一歩前へと出て、叫んだ。
『何者だ!』
「え? 闘神語……? えっと、えっと……」
何かつぶやくような声。
その声で、戦士たちの何人かが、その存在を発見した。
そいつは、真上にいた。
満月を背後に、木の上に立っていた。
戦士たちが槍を持ち、松明を片手にそいつを照らしだした。
そいつは旅装をしていた。
麻のマントに、ややボロっちいズボン。
そして、使い古された剣。
どこにでもいるような、旅人の姿だ。
ただし、頭以外だ。
そいつの頭には、漆黒の兜がかぶられていた。
額に三日月の紋章が彫られた、頭全体を覆う兜だ。
その異様さに、集落の民たちは動きを止め、息を飲んだ。
『私か? 私は友人を救うため、遠路はるばる魔法都市シャリーアからやってきた……』
兜の男はそこで一拍置いた。
何を言うべきかを、一瞬迷ったのだ。
だが、すぐに、言い放った。
若干嬉しそうに。
『そいつの味方、ジークハルトだ!』
その名に、その声に。
パックスは目を見開いた。
「とうっ!」
ジークは掛け声と共にジャンプし、クルクルと回転しながら広場の中央に降り立った。
「待たせたな、パックス!」
「ジーク……! そんな、どうして……?」
「話せば長くなるが、情報屋ってのは金を払えば大抵のことは教えてくれるんだ。君の居場所とかね。そして師匠直伝の追跡術を使えば……この集落の場所を見つけることも、容易だったのさ」
簡単に話すジークであったが、実際のところはかなり焦っていた。
正直、家令から行方不明だと聞いた時には目の前が真っ暗になりかけたし、バシカラの木の下で腐りかけている死体を見た時には、目の前が真っ暗になった。
心臓をバクバク言わせながら追跡し、ようやく見つけた時には、ギリギリだった。
あと数瞬、叫ぶのが遅れていれば、間に合わなかっただろう。
『何者かは知らぬが、我らの神聖なる儀式の――』
『我は北神カールマン三世が弟子『北帝』ジークハルト! 我が友パックスの守護者として参上した! 我が友を殺したくば、まずは我を倒してからにしてもらおうか!』
ジークの大音声は、族長の声をかき消し、周囲を震わせた。
その自信にあふれた声は、周囲の戦士たちに「守護の戦士と戦わずに儀式を遂行するのは、神に失礼に当たる」と認識させた。
そして、『北神』の名は、彼らの闘志に火をつけた。
パックスをおさえていた二人の戦士はその手を離し、槍の石突で地面をドンと叩いた。
それに習い、戦士たちがドン、ドンと地面を叩き始める。
族長はその様子に口をつぐみ、致し方なしと言わんばかりに、ジークに言い放った。
『我が名はウババ族族長ポルペル! 北帝ジークハルト! 我らの戦士が貴様を倒し、その神聖樹を汚した悪逆たる者を誅すことを、神に誓おう!』
『ならば今一度名乗ろう! ウババ族族長ポルペル! 我が名は北帝ジークハルト! 我は偉大なる父ルーデウスに誓う! 我が剣で戦士を倒した暁には、貴様らにパックスの友となってもらうと!』
「え?」
『?』
パックスと族長の頭の上に?マークが浮かんだ。
ジークハルトの誓いの意味がよくわからなかったのだ。
だが、要するに水に流してもらう、ということだと解釈し、族長は頷いた。
手に持った槍で地面をドンとついて、叫んだ。
『よかろう! ならば敗者は勝者の誓いを守ると誓え! 互いは互いの誓いを尊重することを、世を司る全ての精霊に誓え!』
『……誓おう!』
『ウババ族族長ポルペルも誓おう!』
パックスは目を白黒させていたが、族長にそう言われ、確かにそう言った。
『では前へ、偉大なる戦士ヘルペルよ!』
ドン、ドンと戦士たちが地面を叩く音が聞こえる。
戦士だけではない、集落の民たち全員が足を踏み鳴らし、その戦士の登場を待った。
戦士は、族長の脇に座っていた。
ジークが出てきても、微動だにせずに。
しかし、呼ばれ、打ち鳴らされ、彼は槍を持って立ち上がった。
はちきれんばかりの筋肉に覆われた男は、背が高かった。
2メートル以上あるだろう。
彼がジークの前へと出ると、さながら大人と子供ほどの差があった。
しかしジークはひるまない。
彼は自信満々に腕を組み、彼を見上げた。
『三度名乗ろう! 我が名は北帝ジークハルト! パックスを守り、共に生きる者!』
『我が名はウババ族一の戦士ヘルペル! 貴様を倒す者だ!』
ヘルペルの声は、ジークに負けず劣らず大きかった。
その声は、周囲のドン、ドンという音も相まって、ヘルペルをさらに巨大に見せた。
パックスは不安になった。
この情景に加え、この数日、水しか飲んでいないこともあって、彼は不安定だったのだ。
「ジーク……」
「安心してくれパックス。僕は無敵だ。どんな強者相手でも、勝利してみせよう」
「そんな自信にあふれた君を見るのは、学生時代から考えても初めてで、逆に不安だよ」
「じゃあその不安、すぐに吹き飛ばしてやろう」
ジークはそう言って、剣の柄に手をかけた。
その大剣の刀身は黒く、篝火に照らされて鈍く光っていた。
子供が持てば、いいや大人であっても、あるいは並の剣士であったとしても、持つことすら叶わぬ重量を秘めた剣。
銘は『ムーングリッター』。
ジークはそれを片手で軽々と抜き放ち、両手で持った。
そして剣を横にし、腰だめに構える。
「いくぞ」
言語の違う言葉であったが、ヘルペルはその言葉の意味を理解した。
戦士に言葉は不要であった。
ヘルペルは槍を腰だめに構え、咆哮を上げた。
『ゴォアアアアアァァァァァ!』
「ガアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!」
ヘルペルの咆哮を、ジークの咆哮がかき消した。
同時に、両者がぶつかった。
最初にぶつかったのは、武器ではない。
肩だった。
似たような構えをとった二人の戦術は、同じだった。
奇妙なことではない。
ヘルペルが読んだのだ。
ジークの、力任せのショルダータックルで相手を吹き飛ばし、体制を崩したその瞬間に必殺の一撃を叩き込もうという意図を。
そして受けて立ったのだ。
貴様のような小兵など、逆に吹き飛ばしてやろう、と。
『!?』
接触の瞬間にヘルペルが感じたのは、切り立った崖だった。
ジークと肩が触れ合った瞬間、彼は己が崖に突っ込んでしまったと錯覚したのだ。
だが、それはすぐに錯覚だとわかった。
なぜなら、崖は凄まじい勢いで押し返してきたりはしないからだ。
『ごあっ!?』
ヘルペルは一回転して転がった。
小さな頃から巨体を持って生まれた彼がそんな転び方をしたのは、人生で三度。
一つは幼い頃、父親に初めて稽古をつけてもらい、体当たりして転ばされた時。
一つは若い頃、戦士として認められようと血気盛んだった彼は、己の三倍はあろうかという巨大な魔物に挑み、ふっとばされた時。
つまり、今が三度目だった。
体が成長し、ウババ族一の戦士となってからは、一度も転がされたことなどなかった。
まして自分より小さな者に。
尻もちをついた彼の視界には、絶望的な光景が映っていた。
腰を深く落とし、体中の筋肉を硬直させ、その力を解き放たんとする、ジークの姿だ。
腰だめに構えた剣は、地面に触れ、ゆっくりとめり込んでいた。
「北神流奥義!」
ヘルペルにその言葉の意味はわからなかった。
だが、凄まじいのが来るのは理解できた。
「月光両断!」
ジークの剣が振りぬかれた。
下段から、切り上げるように、上へと。
地面を鞘の如く使った斬撃は、ヘルペルが今までみたどの斬撃よりも素早く、力強く、そして圧倒的な破壊力を秘めていた。
衝撃波が発生した。
空間を真っ二つに割るかのように放たれた斬撃は、まずヘルペルに人生で初めて衝撃波でふっとばされるという体験をさせた。
周囲を囲んでいた戦士たちや民たちも同様に、軒並みふっとばされた。
衝撃波の勢いはとどまる所を知らず、篝火を粉砕し、遥か後方へと吹き飛ばした。
その勢いは2本の竜巻を発生させ、篝火の奥にあった族長の家を巻き込み、木切れと変えた。
そして、さらに奥にあった大樹へとぶち当たり、バギャガンと巨大な音を立てて凹ませた。
最後には開けた空間が残った。
篝火が消え、暗くなったその空間には、満月の光のみが届いていた。
静かだった。
その静かな空間の中で、ジークだけ立っていた。
ジークの剣は天を指し、月光を浴びてキラリと煌めいていた。
「見たか! これが我が力! パックスの友たる者の力だ!」
彼は剣を地面に突き立て、仁王立ちとなり、そう叫んだ。
周囲には、誰もいない。
ジークだけだ。
なぜならパックスも族長もふっとばされたからだ。
そんな彼の元に、まず一人、近寄る影があった。
浅黒い肌を持つ、巨漢の男。
ウババ族一の戦士ヘルペルだ。
彼は吹き飛ばされた衝撃で腕の骨でも折ったのか、二の腕を抑えながらヨロヨロと、ジークの前に歩み出た。
『なぜ、殺さなかった……』
『貴様を倒し、貴様らをパックスの友とすると、父に誓ったからだ。友は殺さん』
『……俺の負けだ』
ヘルペルがそう言って膝を付き、頭を垂れると、周囲が動き出した。
吹き飛ばされた者達が戻ってきたのだ。
戦士たちが、民たちが、族長が、そしてパックスが。
そして見た。
ウババ族一の戦士の、膝をつく瞬間を、敗北の瞬間を。
パックスと族長が、二人の元へと歩いてきた。
『……決闘は為された。我らの敗北だ。貴様の誓いを尊重し、貴様の主を許そう。行くが良い』
族長は険しい顔をしつつも、そう言った。
ジークとヘルペルの戦い。
それは、この場にいる戦士の誰もが認める所であった。
ジークは、一切卑怯なことをすることなく、ヘルペルに力で勝った。
文句のつけようのない、勝敗であった。
『次に相まみえる時は、例え敗北が見えていたとしても、戦士たちと共に全霊を持って戦おう』
しかし、これで終わりではない。
今、この決闘では負けた。
だが、彼らが戻り、また神聖なる樹を切り倒そうとするのならば、戦いは繰り返されるだろう。
族長も、戦士も、ジークの強さを目の当たりにしてなお、誇りを選んだのだ。
『族長。僕はそんなことは誓っていない』
『……?』
その結果に文句をつけたのは、ジーク自身だった。
『僕は、あなた方をパックスの友にすると言ったのだ』
『……友?』
『友とはすなわち盟友だ。ウババ族族長ポルペルよ。我らに友として手を貸してくれ。我らも友の嫌がることはしない』
それは、とても一方的だった。
パックスにしても、寝耳に水な話だった。
何を勝手に決めているのだという話だ。
だが、パックスにとって悪い話ではなかった。
彼らは強く、密林に詳しい。
彼らと迎合することができれば、必ずやこれからの領地運営に、力強い味方となってくれるだろう。
密林地帯は開拓したい所だが、森で生きる術があるのなら、別に木を切らなくてもいいのだ。
多少は切らなくてはならないだろうが、今までの話を考えると、どうやら一部の特別な木以外は切っても問題ないだろう。闘神語なら扱えるし、話し合いで切る木を決めることもできる。
族長にとっては、旨味のない話であった。
今まで、自分たちは何の不自由もなく暮らしてきたのだ。
パックスはいわゆる侵略者であり、自分たちはそれを撃退しようとしただけだ。
手を組む理由などなかった。
だが、族長は誓った。
この世を司る全ての精霊に誓った。
勝者の誓いを守る、と。
それはウババ族にとって、何より大切にすべきものであった。
『よかろう。ならば我らウババ族は今日よりパックスの友! 盟友である!』
ゆえに、族長は高らかに宣言した。
ウババ族はパックスの友……盟友となったのだ。
『では、盟友となった証の宴を!』
『……』
『終わったら、僕が壊した家を立てなおそうじゃないか!』
そしてその晩、強引な友との宴が開催されたのであった。
□
パックスはややギスギスとした感じの宴と、ウババ族との最低限の約定を決める会議を夢見心地でこなした。
そして、戦士たちに先導されつつ砦へと帰る中、パックスはジークに聞いた。
「なあジーク……僕は、夢でも見ているのかな」
「夢?」
「実はさっき、胸を突き刺されて、瀕死の中で君が来てくれることを夢見ているだけなのかな? なんか都合よく話が進みすぎて、混乱してるんだ」
ジークはその言葉を聞くと、無造作にパックスの頬をつねった。
パックスのプニプニとした頬が引っ張られ、激痛が走る。
「痛た! 痛い! やめてくれ!」
「夢なら、こんなに痛くないだろ?」
「いや、僕の知っているジークは、いきなり頬をつねるような奴じゃなかった。夢かもしれない」
「現実を見ろよ」
ジークは肩をすくめた。
そして、パックスの肩に手を回した。
「あの日の返事をしようと思ってさ」
「……あの日の返事?」
「僕は、君と一緒に行くよ。君の野望を叶えるために」
そう言うと、パックスは驚いた顔をした。
何かを噛みしめるように口を閉じて、顎を引いた。
少し泣きそうな顔をしながら、頷き、
「ありがとう……君なら、そう言ってくれると……思ったよ」
そして泣きながら言うのであった。