13話 現在の門出
父と飲み歩いた翌日、僕は自室にて目を覚ました。
窓から外を見ると、東の空がしらんでいた。
少し寒気のする空気が蔓延していて、町はとても静かだった。
普段は目覚めないような、早い時間だ。
朝食まで、まだ時間があるだろう。
僕はベッドから起き上がり、着替えた。
スッキリとしていた。
寝覚めにしろ、気分にしろ、クリアな感じだ。
『パックスの所に行く』
父にそう告げ、その許可を得たことで、この一年間感じていたモヤモヤが解けたようだった。
パックスの所にいって、僕がどれだけ彼を助けられるかはわからない。
あるいは足を引っ張ってしまうかもしれない。
でも僕は、彼の先を見たいのだ。
「あ」
そうか、僕はパックスに期待しているのだ。
先を見たいのだ。
彼がどんな国を作るのか、どんな人間を配下に加えるのか、どんな人間と結婚し、どんな人間となっていくのか……。
そうしたものを見たいのだ。
ただ、見たいのだ。
こんな王国にしてくれでも、こんな人間を配下に加えてくれでも、こんな人間と結婚し、どんな人間になってくれでもない。
ただ、見たいのだ。行く末を。
きっとそれは、父の言う『期待』と同じものなのだろう。
だから、父はきっと、何も言わなかったのだ。
僕にも、姉にも、兄にも、妹にも。
「パパは、やっぱり凄いな」
と、そこでふと思い出した。
今まで何をしろとも言わなかった父。
そんな父が、一つだけ、やっておけと言った事があった。
「皆に挨拶、しておかないとな」
今日は一日、それに費やすことにした。
□
一階へと降りた。
まずは腹ごしらえをしたかった。
目的がハッキリしたせいだろうか、今日は朝からやけにお腹がすいていた。
魔法大学に通っていた頃はモリモリと食べていたものだが、最近はあまり食べていなかった。
朝は食べず、昼前に少したべ、夕方になる前に少し何かつまむ。そんな生活だ。
でも、今日は朝から腹いっぱい食べたかった。
今日は気分がいい。
たまには白髪の母と祖母を手伝い、食事の準備をするのもいいだろう。
「……おっと」
そう思って食堂に入ると、僕を3つの視線が射抜いた。
白髪の母、青髪の母、赤髪の母。
三人が食堂に勢揃いしており、一斉に僕の方を向いたのだ。
「おはよ」
「おはよう。今日は早いね」
「おはようございます」
三者三様の挨拶。
思えば、三人の母が揃っているところを見るのは、久しぶりな気がする。
朝食時には揃っているのだが、僕が朝食の席にいないせいだろう。
僕は自分の席へとついた。
いつもなら、三人が勢揃いしていたら逃げ出す所だけど、今日は逃げる理由がなかった。
「ジーク。昨日はルディと一緒に帰って来たけど、一緒に飲んできたの?」
「うん」
「ルディ、すっごい上機嫌だったけど、何かあったの?」
白髪の母が率先して聞いてくれる。
あるいは、昨晩の時点で、父から話を聞いていたのかもしれない。
「パパに、この一年のことと、悩みを話したんだ」
「それはルディも嬉しかったでしょうね」
そう言ったのは、青髪の母だ。
「ルディはジークのことを気にかけていましたからね」
「そうなんですか?」
「ええ、朝食の時もたまに天井を見て、「ジークは今日もいないのか」なんて言ってましたから」
「ああ……」
「今日はまだしばらく寝ているでしょうね。あんなに飲んだのは、久しぶりでしょうから」
僕は父を避けていたからな……。
父には、悪いことをしたと思う。
「それで、どんな話をしたのよ」
そう聞いてきたのは、赤髪の母だ。
せっかちな彼女は、僕が父とどんな話をし、どんな結論を出したのか、はやく知りたいのだろう。
「えっと……結論から言うんだけど」
「その方がいいわ」
「僕は、王竜王国にいる友人を、手伝いたいと思います。きっと10年とか20年とか、あるいはそれ以上掛かるだろうから、もう、ここには戻ってこないかもしれません」
僕はパックスを助け、その行く末を見届けるつもりだった。
だが、パックスの野望は大きい。
彼は領土を持つつもりだと言っていた。ゆくゆくは独立し、自分の国にしたいとも。
1年や2年ではきかないだろう。
10年、20年。
あるいは、彼や僕が死んで、次世代に託さなきゃいけないかもしれない。
「そう……」
母たちは、寂しそうな顔をした。
特に、白髪の母は、口元をキュっと引き締めて、少し泣きそうだった。
一番普通の顔をしていたのは、赤髪の母だった。
「その友人が、あなたが守りたい相手なのね?」
「うん」
「よく決心したわね。頑張んなさい」
赤髪の母は、そう言って笑った。
彼女の笑顔は、本当に久しぶりに見た気がする。
最近はずっと、しかめっつらばかりだった。
そりゃそうだ。僕が停滞していたのだから。
でも、赤髪の母は「誰かを守ることが大事だ」と僕ら兄弟姉妹に教え続けてきた。
僕の出した結論は、母の教え通りとなった。
「結局、サリエルさんとの結婚はしないことにしたんですね」
そう聞いてきたのは青髪の母だ。
その問いに、僕は答える。
「うん。やっぱりサリエルとは友達がいいよ。お見合いまで持ってきてくれた青ママには、悪いことしたって思うけど」
「いいえ、いいんですよ。いつも言っているでしょう、好きに生きなさいって。あなたが決めた道なら、それを行けばいいんですよ」
青髪の母も笑った。
彼女には「好きに生きなさい。わからないことがあったら誰かに聞きなさい」と教えられてきた。
その教えは、最近守られていなかったけど、ようやく父に、聞くことができた。
そして、選んだ道も、やっぱり好きな生き方だ。
「ジークもいなくなると、寂しくなるね」
白髪の母は、今にも泣きそうだった。
彼女は、僕の実母だ。
ミリス神聖国に嫁にいった一番上の姉と僕が、彼女の子供。
僕が旅立てば、二人ともいなくなってしまうことになる。
僕が無職で穀潰しでも、白髪の母は毎日起こしにきてくれた。
休みじゃない日には、必ず朝食を作り、用意してくれた。
正義の味方ごっこをして帰ってくると、たまにだけど起きていて、迎えてくれた。
「ママ。僕はアスラ王国で、初めて親友ができたんだ。だから、助けてやりたいんだ」
「うん。わかってるよ。友達がピンチなら、助けてあげないといけないもんね」
白髪の母は涙を拭い、笑った。
彼女は幼い頃から、「友達を作れ、弱い者いじめはするな」と口を酸っぱくして言ってきた。
僕が正義の味方に憧れたのは、父の話してくれた「チェダーマン」があったからだ。
でも、そのチェダーマンをカッコイイと思えたのは、彼女の教えがあったからかもしれない。
「そういうわけだから、僕は行きます」
三人を見渡して、僕は改めて言った。
「今まで、お世話になりました」
その言葉で、白髪の母はこらえきれず、ポロポロと涙をこぼしてしまった。
赤髪の母と青髪の母は満足気な顔をしていたが、白髪の母の様子に慌て、白髪の母を宥めた。
「泣くことないでしょ?」
「ジークの門出なのだから、笑って見送ってあげないと」
そんな二人に対し、白髪の母は泣きながら言った。
「嬉しいんだよ。ジークがちゃんと次に進めてくれて」
僕はその言葉に気恥ずかしさを憶えながら、母が泣き止むのを待った。
□
その後、母たちが手によりをかけて朝食を作ってくれた。
普段は料理なんてしない、赤髪の母までもが厨房に立って、だ。
朝食の席では、祖母にも近いうちに出立することを伝えた。
二人の祖母は、僕の決心を聞くと、優しく頭をなでてくれた。
父は寝癖の残った頭でそれを見つつ、口元にニヤけた笑いを貼り付けていた。
朝食の席には、二人ばかしいない奴がいた。
下の姉のララと、上の妹のリリだ。
二人はどうやら、仕事場の方に泊まったらしい。
あの二人にも、きちんと挨拶はしなきゃいけない。
そう思い、僕は朝食を食べ終えた後、魔法大学へと赴くことにした。
魔法大学も、見納めになる。
長いこと通い続けた学び舎、卒業したあとも、事あるごとにおとずれていた学校。
苦い思い出もあり、しかし安心する思い出もある場所。
「あ」
そんな魔法大学の廊下を歩いていると、見覚えのある少女を見つけた。
あのデブ貴族の所に嫁いだ少女だ。
「やあ」
「あ、どうも、ジークさん」
彼女は、いつぞやのように、階段の影で泣いてはいなかった。
それどころか、友達に囲まれて、笑顔を作っていた。
思いのほか、元気そうだ。
「元気そうだね」
「え? ええ、元気ですよ」
「こないだは、あんなに泣いていたのに」
「ああ……。あはは。なんか、実際に結婚してみたら、思っていたのとちょっと違ったんですよ」
「ほう」
「確かに歳は離れてるし、見た目も好きじゃないんだけど、話してみたら意外といい人だったんですよ」
「そうなんだ」
「ちょっとエッチすぎるけど、でも話をしてても、常に私を楽しませようとしてくれるのがわかるし、生活面も出来る限り私に配慮してくれて過ごしやすいし、こうして学校も通わせてもらえますし、屋敷の中もなんか思ってたより明るいっていうか、私と似たような境遇の奥さんも多いんですけど、皆が前向きで、私も頑張ろうって気持ちになれるっていうか……」
確かに、そんな感じはあった。
あの貴族はユーモアがあり、自分の金を使って知り合いを助けることに躊躇もないのだ。
父や師匠からの評判も良かった。
唯一の欠点としては、下半身がだらしないこと、か。
僕が殴っていい相手じゃなかったな……。
「先入観で、嫌な人って決めつけたら、ダメですよね」
「そうだね」
パックスの所にいく前に、彼にも謝罪をしていこう。
そう思った。
□
ララの研究室にたどり着いた。
ノックを一つ。
「どうぞ~」
すると、中から知っている声が聞こえた。
ただし、それはララの声ではなかった。
「あ、兄さん」
部屋の中にいたのは、リリだった。
彼女はいつものように魔道具を弄っていた。
その前では、ララが気だるげに椅子に座り、魔法陣の描かれた紙を見ていた。
「リリがここにいるのは珍しいな。どうしたんだ?」
「昨日、ここに来たんですよ。そしたら、ほら、これみてください!」
リリが見せてくれたのは、見たこともないナニカだった。
全体的に丸いけど、角ばった部分が幾つかある。
ボールのように見えなくもないけど、あれじゃ当たったら痛いだろう。
表面に何箇所か魔法陣が描かれているところを見るに、恐らく魔道具だろうが……。
「……ちょっと兄さんには、何に使うかわかんないなぁ」
「そうなんです! 何に使うかわからないんですよ、これ! すごいですよね!」
「お、おう」
「ララ姉が市場で見つけてきたらしいんですけど、使い道がわからなくて、それをずっと調べてたんです!」
リリがとても興奮している。
僕にはちょっとよくわからない。
ともあれ、この様子だと、昨日からずっとこの得体のしれない何かを調べていたってことだろうか。
「リリ、また仕事サボったのか?」
「いいえ、これは業務の一環です」
言い切った。
こんなんでクビにならないのは、グレイラット家の娘だからか、それとも成果を出しているからか……。
どっちでもいいか。
「ジーク」
と、それまでぐったりしていたララが顔を上げた。
「何しにきたの?」
いつもの口調だ。
僕もいつもなら、暇つぶしと言う所だったろう。
「お別れを言いに」
そう言うと、リリはキョトンとした顔をしたが、ララはいつも通り、眠そうな無表情だった。
「そ、手短にね」
「え? あ、うん」
なんだか姉が冷たく感じる。
いや、いつも通りだ。
いつも通り、僕のことなんかどうでもよさそうな感じだ。
ちょっと寂しいかもしれない。
「えっと、王竜王国の友人の所にいくことに決めたんだ。多分、もう帰ってこないと思う」
手短に言ってみた。
すると、リリがキョトンとした顔から、ポカンとした顔に変わった。
寝耳に水、とでも言わんばかりの顔だ。
そりゃ、昨日決めて、今日言ったんだから、当然だろうけど。
「私の助手になるって話はどうなったんですか?」
「はは、そんな話、最初からなかっただろ」
「いやでも、ジーク兄さん強いし力持ちだし、馬にも乗れるし、私を甘やかしてくれるしで、一番助手に最適なんですけど」
「そんなに評価されてたのか、ありがとう」
「来年にはウチに新人を一人入れるって、主任に言っちゃったんですけど。どうすればいいんですか?」
知らんがな。
「今回は、ご縁がなかったということで」
「え~、主任になんて言えばいいんですか~」
「逃げられたとでも言っておけばいいんじゃないかな」
少なくとも、僕は了承していないわけだし。
「絶対、最後にはお金に困って私の助手になると思ったのに……ちぇ~」
リリは口をとがらせながら、また魔道具を弄くりだした。
もう会えないかもしれないと言ったのに、その反応か。
ま、リリらしいっちゃらしいかね。
視線を動かしてララを見る。
彼女は、相変わらずだ。
レオの背中に顎を乗せて、眠そうな顔で、「ふ~ん」とでも言いそうな目で、僕を見ていた。
「ララ姉は、あんまり驚いてないね」
「いずれそうなるだろうと思ってた」
得意の占いで見たのだろうか。
見てたなら教えてくれればいいのに……。
でも、もし教えられたとしても、僕は動いただろうか。
動かなかっただろうな。
結局、父と話さなければ、決心は付かなかったのだ。
「で、なんで突然決めたの?」
「説明するよ」
僕は一連の話をした。
過去のこと、パックスのこと。
それが原因でモヤモヤとしていたこと。
そして、父と話して、モヤモヤが解消されたこと。
自分が本当にやりたいこと。
ララとリリは、相槌も打たず、静かに聞いてくれた。
「という感じ、かな。パパに話して、よかったと思うよ」
「ルーシー姉とか、結婚するまでずっと勘違いしてたけど、パパはわたしたちに甘いからね」
「ああ……そうだな」
父は僕らに甘い。
とてつもなく、甘い。
僕はいままで、そのことがよくわかっていなかった。
そういえば、上の姉が結婚する時、とてもスッキリとした顔で父と会話していた。
あれはもしかすると、姉も僕と同様に、父の気持ちを理解したからかもしれない。
「アレはもうやらないの?」
「あれ?」
唐突に聞かれ、首をかしげる。
「チェダーマン」
「ああ……」
そういえば、ララは僕が何をしているのか、知っているのだった。
「もう、やらないよ」
「やらないんだ」
「あれは……結局の所、鬱憤ばらしみたいなものだったからね」
チェダーマン。ムーンナイト。正義の味方。
なんであんなことをやっていたんだろう、と思わなくもないが、今にして思えば、僕は自分が何かをしている、と思いたかったのだろう。
本当にやりたいことも出来ず、やりたくないこともやらず。
でも本当はやりたいことをやっているんだよ、と自分を騙したかったのかもしれない。
「なんの話ですか?」
リリが首をかしげて聞いた。
「ジーク、裏で正義の味方やってた。悪者をやっつけて、いい気になってた」
「あ、それでいつも夜遅くに帰ってきてたんですね」
「正義の味方。その名もムーンナイト……ダサいよね」
「あ、聞いたことあります。店長がウチの店に来るかもしれないから、そしたらみんな逆らわずに言うとおりにしなさいって、君らの命に替えられるものはないからって教えてくれました」
強盗じゃないんだから。
命はもちろん、金品を要求したことなんか一度もないぞ。
問答無用で殴ってたからな。
それにしてもザノバさん、あまり悪いことしてなさそうな人だけど、後ろ暗い所でもあるんだろうか。
「でも、そっか。兄さん、裏でそんなことやってたんですね」
「まあね」
「兄さんは正義の味方になりたいって小さい頃から言ってましたし、実際私も何度も助けてもらいましたからね。納得です」
納得されてしまった。
確かに、リリのことはよく助けてあげた。
この子はボーっとしているから、狙われやすいのだ。
「ジーク」
ララは頬杖をつきながら、僕を見ていた。
「人助けをやめて、悪者になるの?」
「いや、人を助けることはやめないと思うけど、もう隠れないよ。堂々と、助けたい人を助けるんだ」
「そっか」
ララは僕の顔をじっとみて。
そして、言った。
「今日のジークは賢いね」
その顔には、珍しいことに笑みが張り付いていた。
なんだか、久しぶりに見るララの笑みであった。
「そういうわけだから、近いうちに出立するよ」
今日は馬鹿だと言われなかった。
それだけで、ここに来たかいがあったような気もする。
ようやく、姉にも一人前だと認めてもらえた、という感じだろうか。
「ララ姉。今まで、この部屋を使わしてくれてありがとう。リリも、ずっと心配してくれて、ありがとう」
「別に私は、そんな心配してたわけじゃないんですけど……でも、兄さんがいなくなると、寂しくなりますね。もう遅刻もできません」
「いや、僕がいても遅刻はすんなよ」
僕はお前の馬だったわけじゃないぞ。
確かに、よく送ってったけど。
リリの言葉に苦笑していると、ララが言った。
「ジーク。遠くはなれても、長い年月が経っても、わたしたちは皆、兄弟姉妹だから。そのこと、忘れないで」
別れといっても、あくまで距離が遠くなるだけだ。
関係性が変わるわけじゃない。
五十年も経ったら、兄のアルスや、下の妹のクリスとは、もう会えないかもしれない。
でも、ララ、リリ、上の姉のルーシーと僕は、母親が長寿な種族だ。
もしかすると、何十年か経ってパックスが目的を達成しても、まだ生きているかもしれない。
そうじゃなくても、何の因果でどうなるかはわかったもんじゃない。
僕がこうなったんだから。兄弟姉妹の誰かが、似たようなことになるかもしれない。
そして、お互い困った時には、助け合えばいい。
ララが僕を助けて……いや、助けてはくれなかったけど、なんとなく理解しててくれたように。
「うん。わかってる」
「ん」
僕がそう答えると、ララは満足気にうなずいた。
□
それから、市場の人々にも挨拶をした。
果物屋の親父に、酒屋の親父。
その他にも、知り合いは大勢いた。
彼らに町を離れることを告げると、とても寂しがられた。
しかし、引きとめようという人はいなかった。
後ろ向きに考えれば、僕が以外と好かれていなかったんだとも取れるが……。
「俺らも、ジーク君がなんかフラフラしてんのは、よくねえって思ってたんだ。最終的にこうなって、ちょっと安心したよ」
そんな言葉を聞くに、逆だったのだろう。
「今まで助けてくれてありがとよ」
そんな言葉を顔も覚えていないような相手に言われた。
父は僕に救われた人もいると言っていた。あの憂さ晴らしみたいな正義の味方ごっこでも、結果として助かった人がいるのだ、と。
そう思えば、この町を離れるのも、少し寂しく感じた。
「お」
「あ」
そんな中、僕はある男を見つけた。
昼間は市場で働き、夜は場末の酒場で景気よく酒を飲んで情報の売買を行っている、ある男だ。
そう、ジョルジュだった。
「よぅ、ジョルジュ」
「これは、グレイラットさんとこの、お世話んなっておりやす。でもあっしはジョルジュなんて名前じゃありやせんよ」
「そんなこと言うなよー。友達だろ? いっぱい世間話した仲じゃねえか」
「えへへ、あっしのことを友達だなんて、ありがたいことですが……」
目を逸らすジョルジュ。
彼はもしかすると、もう僕には会わないつもりでいたのだろう。
僕はそんな彼の肩に手を回した。
「お前のお陰で、ようやく先に進むことが出来たよ。ありがとう」
そう言うと、ジョルジュは真顔になり、ヘッと笑った。
「……そっか。よかったな。でも、俺の仕事は無くなっちまったよ。景気は最悪だ。どうしてくれんだ?」
「うちの妹が助手を探してるらしい。僕の紹介だって言えば、雇ってもらえるかもよ」
「ホントか~?」
「助手で知り得た情報をパパに売れば、景気も良くなるだろ」
「へっ。違ぇねえ」
ジョルジュは一笑いすると、僕の肩に手を回してきた。
「この一年、結構楽しかったぜ」
彼はそう言って、笑ってくれた。
□
最後に、師匠の所にやってきた。
師匠は先日と同じように、入り口に背を向けて座っていた。
しかし、練武をしているわけではないらしい。
「その顔……どうやらダークシャドーに歯が立たなかったようだね」
師匠は後ろを向いたまま、そう言った。
もちろん、まだ振り向いていない。
そのセリフを吐くのなら、せめてこちらを向いてから言って欲しい。
そして、父が名乗っていたのはムーンシャドーだ。ダークシャドーではない。
「君には……剣が必要なんじゃないかな?」
そう言って師匠は何かを掲げた。
僕の剣だ。
師匠の手には、僕の愛剣が握られていたのだ。
部屋に置いといたはずなのに……。
昨日のうちに持ってきたのだろうか。
「そう、今こそ君は剣を持つべきだ! 正義のために、己よりも強い悪を倒すために!」
師匠は勢い良く振り返った。
そしてポーズを取りつつ、元気よく叫んだ。
「そして授けよう、我が北神流剣術の、最後の奥義を! そして北帝の称号を! 今こそ受け取るがいい!」
「……」
沈黙が流れた。
どうやら、師匠と父とで作ったストーリーには、若干の認識違いがあったようだ。
父はあくまで僕と会話したかったようだが、師匠は違ったらしい。
あくまで、僕を英雄としての道に引きずり込みたいのだろう。
放任主義の父と、方向性をしっかりと与える師匠。
どっちがいいか、などと言うまい。
方向性の違いだ。
「おや、その顔。なにやらスッキリとしているようだが……」
とにかく、師匠は沈黙する僕の顔を見て、察したようだ。
「まさか、勝ったのかい……? あの、ルーデウスさん……じゃない、闇の首領ダークシャドーに」
「え? いや、勝ったとかじゃなくて」
「そうか、勝ったのか、素手で……いや、でもあの人は自分の息子に甘いから……手加減……ブツブツ……」
師匠は何やらブツブツとつぶやいていたが、やがてポンと手を打った。
何かダメな考えが思い浮かんだのだろう。
「ジーク君。無事にダークシャドーを倒したようだが、奴は悪の組織の中でも一番の小物だ。今から言う場所に行くといい、そこにはイナズマがいる。そう、君を倒した、あのイナズマだ。奴を倒さなければ、悪は滅んだことにはならないだろう」
やっぱりダメなやつだった。
「そこは――」
「師匠、僕はそこには行きません」
普段より強めの口調でいうと、師匠は言葉を止めた。
そして、不思議そうな顔をした。
「……なぜ?」
「他に、行くべき場所が出来たからです」
「それはどこだい?」
師匠の口調は、先ほどまでと違い、驚くほどに穏やかだった。
「友の所です」
「……友はピンチなのかい?」
「わかりません。でも以前、助けを求められました。一緒に戦ってほしいと。ずっと、心残りでした。だから行きます」
僕はそれだけ言った。
何度も同じ説明をしてめんどくさくなっていたというのもあるけど、師匠ならこれでわかるだろうというのもあった。
「そうか……剣は、必要かな?」
でも、師匠はどうやら、それでわかってくれたらしい。
さすが、僕の師匠だ。
「必要です。返していただけると、助かります」
「いいだろう」
師匠はそう言うと、抜身の剣を鞘へと収め、手渡してくれた。
ズシリと重たい剣。
生まれつき腕力のある僕に合わせ、父が鍛冶師として名高い鉱神に特注した、僕の愛剣。
刀身は黒曜石の如き漆黒で、夜に扱えば闇に溶ける。
ただ月光の反射だけがその存在を示すとして、龍神オルステッド様が名付けた銘は『ムーングリッター』。
月の剣だ。
「ジーク」
「はい」
「僕は、あまり言葉で何かを教えるのは得意じゃない。頭が悪いからね」
「そうですね」
「だから、最後に稽古をしよう」
「必殺技、教えてくれるんですか?」
「いいや、そんなものは無いよ。いつも通りの稽古だ」
「はい」
僕は鞘をベルトにつけて、剣を抜き放った。
その瞬間、稽古は始まった。
北神流の稽古に、「始め」の声は無いのだ。
久しぶりの稽古。
全力を出して師匠にぶつかった。
そして、当然のようにボロ負けした。
一日の終わりに、僕は師匠に連れられて、ある家へと赴いた。
師匠の友人だという人物の家だ。
その人物はとてもお金持ちで、太っていて、そして好色な貴族だった。
彼は僕が先日のことについて謝ると、にこやかな顔で許してくれた。
見た目はどうあっても悪者だし、言動も粗野で下衆いが、歓迎は暖かく丁寧だった。
父や師匠、結婚した娘の言うとおり、ちょっと欲望に素直なだけで、邪悪な存在ではないのだろう。
僕は師匠の教えその三「正義か悪かを見た目で判断しないこと」を、守っているつもりでできていなかったのだ。
「君はきっと、英雄になるよ」
その帰り道で、師匠は言った。
唐突だった。
師匠とは昔から、英雄(正義の味方)とはなんぞやについて色々と語り合ってきた。
その語り合いには、いつだってズレがあった。
師匠が目指すのは英雄で、僕が目指すのは正義の味方だったからだ。
よく似ているようで、違うこの二つ。
ズレがあるのは当然だ。
「僕はそうは思いません」
「英雄に必要な素質は、なんだと思う?」
僕は以前、この言葉を聞いた時に「正義の味方は苦悩せずに選択するものだ」と答えた。
それに対し、師匠は「英雄は苦悩の末に選択するものさ」と言った。
「苦悩の末に選択すること、ですか?」
「そう、僕は英雄になりたかったが、きっと無理だろう。あまり苦悩しないからね」
僕は逆だった。
正義の味方のくせに、苦悩してしまった。
苦悩して、苦悩して、選択できなかった。
そのくせ、正義の味方の真似事はやっていた。
でも、最終的には選択し、選んだ。
なるほど、客観的に見てみれば、確かに英雄がやりそうな行動だ。
「君はなれる。正義の味方は無理だったみたいだけど、英雄にはね」
師匠は、英雄になれず、そして僕は正義の味方になれない。
代わりに、師匠は正義の味方になれそうだ。
「我が弟子よ」
「はっ」
「師の遺志を、継いでくれるかい?」
「……」
僕は静かに首を振った。
「師匠はまだ長生きするんですから、今は継ぎません。師匠も引き続き頑張って目指してください」
「……それもそうだね。そうするよ!」
師匠は苦悩の気配を見せず、そう言い切った。
□
翌日、僕は出立することにした。
昨日のうちに別れは済ませた。もう思い残すことはなかった。
母たちには最後に、行ってきますと一言だけ言った。
母たちは三者三様の言葉で、僕を送ってくれた。
父は朝から出かけていて、いないようだった。
せめて一言、何か言いたかったのだけど、仕方がない。
そう思って町中を歩いた。
母は途中まで馬に乗っていけと言ったが、歩きたかった。
冒険者と店舗を持てない商人たちが歩きまわる市場。
中堅所の商人たちが商談に花を咲かせる商店街。
カンカンという鍛冶の音と、煙が絶えない工房街。
そして、巨大な敷地面積を持つ魔法大学。
毎日のように見てきた町並みだが、これでもう見納めかと思うと、なんだか感慨深い。
そして、門へとたどり着いた。
故郷、魔法都市シャリーアの城壁。
その門は、広く開け放たれている。
門の外に出ると、ふと見ると道の脇に、一人の男が座っているのが見えた。
ねずみ色のローブを身につけた、魔術師風の中年男性。
父だ。
父は僕の姿を見つけると立ち上がり、ローブの裾についた砂を払って、こちらにやってきた。
「やあ、ジーク」
「パパ、こんな所でどうしたんですか?」
「見送りだよ」
「家でママたちにも見送ってもらいましたが」
「ここがいいと思ったんだよ」
別にどこでもいいとは思うが……。
でもそうか。
父はきっと、この出発を門出と思ってくれているのだろう。
だから、門なのだ。
「ありがとうございます。パパにも、見送ってもらいたかったですから」
「何、息子が新たな道を行くんだから、当然だよ。ほら」
父はそう言って、脇においてあった袋を持ち上げ、僕へとほうった。
受け取ると、それは人の頭ぐらいの大きさを持ち、ずっしりと重たかった。
嫌な予感がした。
だが、一応、中身を確かめてみる。
「パパ、これ……」
出てきたのは、黒い兜だった。
フルフェイスの兜で、額に三日月の紋章が彫られている。
正義の味方ムーンナイトの兜だ。
「持って行きなさい」
「なんで……?」
「お前はこの一年、自分のやりたいことと違うことをしていた。でも、全てが無駄ではなかったはずだ」
どうなんだろうか。
確かに、一年を無駄に過ごしてしまったという感覚はある。
もっと早くに父と話していれば、こんなことにはならなかっただろう。
「もしまた何か悩むことがあったら、その兜を見て、思い出しなさい。無駄と思った時間にこそ、何か答えがあったりするもんだからね」
父はそう言って、僕の後ろを見た。
釣られて、僕も振り返る。
そこには、魔法都市シャリーアの門が見える。
あの門から中に入れば、十年以上暮らしてきた町並みが、僕を出迎えるだろう。
アスラの王立大学に行って、帰って来た時、町並みはかなり変わっていた。
でも、変わらぬものも多かった。
姉と妹はほとんど変わっていなかったし、母たちも変わっていなかった。
師匠もそうだ。
父を見る目は、大きく変わった。
だが、それは僕が父を誤解していたからだ。
無駄に過ごした時間がその誤解を解いたと思えば、確かに無駄ではなかったのかもしれない。
「わかりました。持って行きます」
「はは、なんだったら、向こうで使ってもいいぞ。かなり頑丈だからな、それ」
「あはは、じゃあそうします。あ、そうだ。もし向こうに正義の味方になりたそうな奴がいたら、貸してやってもいいですね」
「そりゃいいな。そういう状況になったらあと4つ送ってやるよ」
そう言って、父は笑った。
ムーンライト戦隊とかいって、笑った。
うまい返しではなかったと思うが、何かが琴線に触れたのだろう。
僕も笑った。
ひとしきり笑いあった後、僕は言った。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、頑張れよ」
父に背中を叩かれ、僕はそれに押し出されるように、歩き出した。
故郷に背を向け、友の所へと――。




