ユッケとテン
ペースケは9月にシャオとあってから定期的にメールをし続けていた。
メールの一通一通に喜怒哀楽し、メールが帰ってこないことがあったら世界の終わりのような顔をして授業に遅れてきた。
それでもペースケの生活は充実しているように見えた。
サークルに週2で参加し、バイトは週3か週4。
シャオとのメールはうまくいけば4日くらい続くことがあった(とはいうもののシャオはメールを返すのがいつも遅かったのでメールの数的にはそこまで多くなかった)。
本人もその生活に満足しているように見えた。
彼は不思議とそんな忙しい生活をしながらも勉強に集中することができた。返ってきた成績も平均以上だった。思いのほか伸びなかったが、周りを見渡すとその内容には十分満足できた。成績の取り方はわかった。後期はもっといい成績がとれる。そう思った。
授業が始まる前日、ペースケはサークルの一人の女の子に告白された。
彼は今ほかに好きな人がいるから、とその告白を断った。女の子はそれきりサークルには顔を見せなくなってしまった。
ペースケはそのことでほかの同期から攻められることもあったけれど、ペースケ自身にはどうすることもできなかった。
女の子がやめてしまったことについては申し訳ないと思ったものの、勝手に告白しといて人を悪者にし、やめていってしまうのはただいい迷惑だとしか思えなかった。
けれどその告白のおかげでペースケは自分に自信を持った。
…持ってしまった。
後期授業が始まって一週間は勉強に対して全くといっていいほど関心が持てなかった。
10月に入った2週間目には出席を取らない授業にはまったく顔を出さなくなった。そうやってどんどん生活の拠点が大学からバイト先へと移行していった。
サークルに入ってない僕はただでさえ友達が少ない。
授業をサボり続けているおかげで、学科内の友達と会う機会もめっきり減った。ただ、その代わりバイトの仲間とはとても仲良くなった。
厨房の先輩とは週一のペースで飲みに行く仲になっていた。
同期の哲学的な女の子とも話す機会が増えた。2人で遊びに行ったことも何度かあった。僕らは会うたびに抽象的な人間概念の話をした(彼女は抽象的だとか人間概念という言葉が好きだった)。
ユッケのこと考えると後ろめたい気持ちもあったけれど、彼女と話すのはとても楽しかった。
それはどうしても事実だった。
事実は事実でしかなかった。
ユッケと彼女を比べてしまっている自分がいた。
ユッケはとても頭の切れる女の子だったけれど、自分の意思や思想というものを持っていなかった。ユッケは他人(もしくは社会全体)と自分とを見比べ、一般的に良いとされる道を無難に選択していた。彼女にはそのように無難な道を選択するということにかけては天才的な能力があった。決して危険なステップには足をかけない。僕はユッケが人生の中で本当に彼女自身が選んだという選択はおそらくないのではないかと思った。ユッケにはとても大きい可能性がある。彼女は自分のその可能性を理解したうえで、その可能性を限定してしまうことに、もしくは彼女自身をたった1点のみに集中させてしまうことに恐怖を感じていたのかもしれない。
彼女はサークルもバイトもしていない。ユッケは大学でその彼女自身が自らの周りに(自然と)堅固に作り上げてしまった殻を破る機会を探していたのではないかと思う。
少なくとも僕にはそう感じられた。彼女は彼女なりにつらかったんではないか。僕はそんなユッケの殻を破るきっかけの力になりたかった。
でも僕にはその力が絶対的に足らなかった。
優しい友達はぼくらのことを
「同棲2年目のサラリーマンとOLカップルみたいだね」
と言った。
もっともっと優しい友達はぼくらのことを
「冷めてるよね〜、倦怠期?」
と茶化した。
一方で哲学好きな女の子はその内面にとても魅力のあるものを持っていた。
それは色で言うとまさにオーロラ色だった。
彼女には才能があった。
ただ彼女自身はおそらくその自分の才能を自覚していなかった。
彼女は僕に
「不完全な分子がなにもない純粋な完璧って何だと思う」
と聞いたことがあった。
おそらくそれが彼女の目指していたものなんだろう。
ただ、僕にとって彼女がそんなものを手に入れてしまったらとてもつまらない存在にしかなり得なかっただろう。
それでも彼女は構築していた自己をまた一度破壊し、再構築することによってより完璧な自己というものを求め続けていた。
彼女はいろいろなことをがむしゃらにこなしていく中で(勉強、サークル、バイト…)確実により深い自己人格というものを構築していった。
僕はそんな彼女から多くを学んだ。
僕にとって彼女はある意味僕自身の投射体、つまりある限定分野においては指標だった。
しかし彼女はやはりその自己を構築していく彼女の行為自体に疑問を持ってもいた。
彼女はあるとき僕に言った、私がしていることはただ人格の書き直しに過ぎないのかもね、と。
僕はそのとき、その言葉の意味がわからなかった。
彼女はそんな哲学的な話をするとき、いつもまず少しだけ沈黙し、その沈黙のあとに気難しい顔で象徴的な言葉をさらりと重ねた。
ぼくはその少しの沈黙のとき、次はいったいどんな言葉が彼女の口から出てくるのか楽しみだった。
「もし今私がものを考えなくなったら」
その日も彼女はしばしの間沈黙の後言った。
「あるいはそのほうがいいのかもしれない。…今はまだ私自身が残っているから」