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夕立ち


バイト漬けの日々が終わって5日がたった。


そろそろなにかをする頃だなと思った。


別に使う予定はなかったけれど、僕はそれからさらにお金を5万円おろした。

8月の給料がはいるのはまだ1週間以上先だったけれども、それでも7月までの貯金はまだそれなりに残っていた。


8月中は使うことすらできなかったからだ。

僕は朝の9時に暑さで目が覚め、顔を洗った。ひげが伸びていたので剃った。


僕はひげがあまり伸びる体質ではなかったので髭剃りは1週間に一度くらいでよかった。その

おかげでひげそり用クリームは東京に出てきて以来まだ一度も買いなおしていない。


僕は鏡に映った自分の顔を久しぶりにまじまじと眺めた。

そこにはいつもどおりパッとしないルックスの男がうつろな目をしてたたずんでいた。

髪は伸びすぎていて薄茶色の毛先と根元の黒色が混ざったよくわからない色をしていた。


もともとの髪の色が茶色がかっているのでそこまでの違和感はないが、その姿はどうしても滑稽に見えた。毛先はクセでカールしていた。顔は夏のこの時期にしては白く、去年に比べるとほほの肉が落ちていた。Tシャツにプリントしてある英語の意味は鏡文字であることを差し引いてもわからなかった。



ひげを剃ってしまうとベランダにでてタバコを2本吸った。

灰皿代わりの空き缶はすでに吸殻でいっぱいだった。


この前吸殻を捨てたのはいつだったろう?

それほど遠い昔ではないはずだった。


太陽は相変わらず絶好調で、もうこれでもかというくらい輝いていた。


今日も皮肉なくらい暑かった。

立っているだけで背中から汗が噴き出してきた。たまらず部屋に入り、クーラーのスイッチをいれた。それからいつもどおりパンを焼き、サラダを作った。


トマトはいつもの倍使った。

トーストをかじりながらニュースを見た。島根県で女子高生が一人殺されていた。聞いたこともない市の市長が贈賄容疑で逮捕されていた。


みんな僕みたいな生活をしていれば犯罪なんて起きないんだけどな。


そう思った。


でもどうやら世間は僕のような単調なリズムでは動いていないらしい。

僕はそろそろ20歳になろうとしていた。こんなんで20歳になっていいのだろうか。

それとも20歳にふさわしい人間にならなくちゃいけないのだろうか。


10代でいられる日があと何日か数えてみた。ちょうど20日間だった。

あと20日間でやり残した20歳になるための準備をするのはどう考えても不可能なことだった。


僕はベッドに横になり、蛍光灯と見合いながら、いままでの自分の人生をひとつひとつ節目ごとに思い返していった。

それらはあまりに単調なもののようにも思えたし、またある意味すごく激動的なもののようにも思えた。


もし僕が今死んでしまったら果たして僕は僕の今までの人生を後悔するのだろうか?


きっと後悔するに違いない。

けれど心のどこかでもうすでに人生を満足してしまっている自分がいるようでたまらない。

そんな自分がとても恐ろしかった。そしてこれからそんなに自分が変われるかと思うと不安で仕方がなかった。


耐え切れなくなった僕は部屋の外に飛び出した。

駅まで歩き、電車に乗った。大学の最寄り駅を通り過ぎ、終点の渋谷で降りた。


ケータイもかばんも持ってなかった。


僕が身につけていたのは財布だけだった。

センター街を横切り、細い路地を登り代々木公園まで歩いた。そのまま公園を突っ切り、原宿駅までいった。歩調は速く、一定だった。


原宿駅についた頃には汗は背中をつたい、トランクスはビショビショにぬれていた。


額に汗をにじませ、汗で変色したTシャツ姿の僕は原宿の町で嫌に目立った。

太陽は南中をやや過ぎたころで、影はまだ短かった。

のどは渇いていたけれど不思議と疲れはなかった。このままどこへでも歩いていけそうだった。


実際僕はそのまま新宿まで歩き続けた。

新宿についた頃にはさすがに足も疲れ、もう歩く気は起きなかった。

電車に乗り、吉祥寺で乗り換えた。

そのときはもう早く着替えてシャワーを浴びたいという思いしかなかった。


そして疲れの具合と反比例して、それまで体に染み付いていた無意味で空虚な感情もどこかへ消えてしまっていた。


汗と一緒に流れ出てしまったようにも思えた。

僕が最寄りの駅に着いたと同時に激しい夕立が降り出した。


もともと汗でびしょびしょだったので僕は雨を気にせずゆっくりとしたペースでアパートに戻った。


そのせいで部屋についた頃にはずぶ濡れで、身につけていたもの何から何まで乾かさなくてはならなかった。


自分で腹をくくっといてなんだけれど、財布の中の1万円札とキャッシュカードまでがぬれてしまっていたのには少しあせった。


幸い両方とも使えなくなることはなかったけれど、そうなることを気にも留めないで雨に打たれていた自分の心境は、後から考えると少し信じがたいものだった。


ぬれた服を洗濯機に放りこみ、シャワーを浴びて財布の中身を乾かし終えた頃には夕立も去り、もとの蒸し暑い気温が戻ってきた。


僕はベランダでタバコを吸った。久しぶりにタバコがうまいと感じた。


風はまったくなかった。タバコの煙はまっすぐ上に奇妙な模様をえがきながらのぼり、消えていった。



ユッケに電話したいと思った。



こちらから連絡するのは久しぶりだった。

3日前から毎日メールは着ていたものの、すべて彼女からだった。



「もしもし」



「今何してたの?」



「TOEICの勉強を少し…一応申し込んじゃったし…」



「それはそれは」



「どうかしたの?」



「電話するのは久しぶりだよね」



「そうだね。でも会ったばっかりだよ」



「明日会える?」



「…明日はお母さんとデパートに買い物に行くの」



「あさっては?」



「あさっては大丈夫…たぶん」



「会お」



そうして僕の夏休みは過ぎていった。



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