休符
7月の前期テストは1つの区切りだった。
テスト中の約1ヶ月間はほとんど勉強に時間をとられる。そしてその後には長い夏休みが待っている。だったら動くのはその前しかない。ペースケはそう考えた。
原宿で夏物の服の買い物を終え、僕らは表参道沿いのロッテリアに入った。
外の様子がよくわかる窓の横の席に座り、歩いているさまざまな人を眺め続けていた。
「最近ユッケちゃんとはどう?」
ペースケは聞いた。
彼の本当にききたいことがそこにはないことはわかっていた。
僕はその問いには答えないで
「本当にもう一度告白するの?」
と聞いた。
ペースケは外から視線をはずさない。
「テスト中はユッケちゃんどうすんの?」
僕はペースケをにらみつけていた。
「だいたいなんて言うの?そりゃ告るなら今しかないのはわかるけど。」
「思ったことを言うよ。」
ペースケは窓から一度視線を外し、フライドポテトを1本とって僕と一瞬だけ視線を合わせた後もういちど窓の外へ視線を戻した。
新宿駅でぼくらは別れた。
夕方の新宿は高校生と学生が嫌に目に付く。僕と同年代だからだろうか。ラッシュまでにはまだ時間があったので混み具合はそれほどではなかった。
下り電車に乗るためホームに下りるとき、のぼり電車が到着したらしく、階段は上ってくる人でいっぱいだった。
僕は左にちょうど1列分空いた階段を一歩一歩下っていった。
電車はそれから2分ほどでホームに滑り込んできた。座ることはできなかったが、つり革は半分以上空いていた。僕はドアのそばに寄かかりながら外の景色を眺めた。
見慣れた景色には特に新しい発見も何もない。それはただの流れていく横に終わりのない単なる壁でしかなかった。
うっとうしい梅雨の季節の間、僕は何度かユッケを僕の部屋に誘った。
そういう日は決まっていつも外の景色には灰色の雨が映っていて、付き合い始めのカップルのテンションとは程遠い様相を示していた。
でもその光景がぼく等の中で普通になっていくうちに、自然とぼくらの心の中にも灰色の雨が降り始めていた。
僕らはお互いの心の中にその灰色の雨を見ることが出来た。その雨の感触を鮮明に感じることが出来た。しかし口に出すことだけは決してなかった。見てはいけないものだということをわかっていたからだった。
雨の降る間隔も次第に長くなり、確実に夏が近づいていた。
夏に何が待つのだろうか。もしくは逆に、僕が夏に何かを待っているのだろうか。
実際夏が来て、試験が始まっても結局ペースケは動かなかった。
動けなかった。
僕はそのことに少し安堵した。
おそらく次失敗したらその次はない。
大学で始めての試験は想像以上につらく長いものだった。
ユッケはまじめな女の子だったから、試験中は会うことはもちろん、メールさえもつれなかった。
1度図書館で一緒に勉強をしたこともあったが、お互いに集中できず、そのままの調子でなにか煮え切らないまま、結局1ヶ月を過ごした。
僕はそんな檻の中にいる繁殖期の動物のような状態にある種憤り、またある種辟易すらした。もう一人のメールしていた女の子を思い出しもした。
サイテーだな、と思った。
本気で別れようかとも思った。
単純な自分の頭に腹が立ち、幼さを自覚した。勉強はますます効率の悪いものとなっていった。
試験は長かった。
授業をまともに受けていないぼくらは、クラスメートや知り合いの人脈をフルに使ってノートやレジメを集めた。
ユッケにもだいぶ協力してもらっていた。
一夜漬け一夜漬けの連続で、コーヒーとタバコが狂ったように減っていった。医者に寿命が半年減りましたといわれても納得するくらい生活は荒れた。
最後の方はもうひどいものだった。出てくる答案ごとにテキトーな文章を書きなぐっていった。
夏休みがやってきた。
大学はなくなり、とたんにめっきり人と出会う機会が減った。僕は実家に帰る気も起きなかったので東京でひと夏を過ごすことにした。僕はデニーズでしていたバイトのシフト表をほぼ白紙で出した。
夏休みが来てまずはじめにやらなくてはならないことはユッケと会うことだった。
それはとても情けないことだった。
会いたいのではなく、会わなくてはいけないから会うのだった。
一応毎日顔は合わせていたものの、1ヶ月近くデートらしいデートをしていないぼくらはなにかよそよそしい空気をお互いに感じ合っていた。
出会って3ヶ月、付き合い始めて2ヶ月が経っていたものの、試験が1ヶ月あいだに入ってしまったおかげで、僕らにはまだお互い知らないことが多過ぎた。
無知は不安と疑念をあおった。
梅雨の残りの蒸し暑さが減っていく一方、本格的な夏の陽気が見え隠れしている時期だった。
その日は申し合わせたように夏本番という日で、照りつける陽の光は僕の心まで焼きつくしてしまいそうだった。
渋谷の駅で待ち合わせた僕らは太陽を避けながら雑踏の中に踏み込んでいった。
僕もユッケもジーンズにTシャツ姿だったが、それでも汗は止まらなかった。原宿で夏物の服を探す予定も10分と持たずに断念した。
適当に見つけたコーヒーショップで涼むことにしたぼくらは会話も暑さでままならなかった。
言葉が熱さに濁されてしまう、そんな感じだった。
店の中はぼくらと同じように暑さから逃げてきたカップルであふれていた。がんがんに効いたエアコンがとても心地よかった。
僕がカフェラテを二つ注文している間ユッケには偶然空いた一番窓側の席をとっておいてもらった。僕が会計を終えカフェラテを2つ席に持っていくと、ユッケは持っていたハンドタオルで額の汗をぬぐっていた。
「カフェラテ二つお待たせいたしました。」
僕はそう微笑みながら言った。
ユッケもありがとうと言って微笑み返した。
それから30分くらい、ぼくらの会話にほとんど意味を成すものはなかった。終わったばかりのテストの出来とか、昨日のテレビの内容とかそんなものだった。
「テストできた?」
僕がそう聞くと
「たぶん。」
「昨日のドラマ面白かった?」
そう聞くと
「うん。」
そんな当たり障りもなければ無感情な返答。
僕はどこかの面接官のように質問を見つけては言葉にだしてユッケにぶつけていった。
ユッケはそんなすべての質問に端的に答えていった。
もともと話の膨らむ要素なんてなかった。
質問の趣旨はバラバラで、つなげても意味をなさなかった。
僕はもしかしたら単純に沈黙が怖かったのかもしれない。気まずい雰囲気を恐れていたのかもしれない。昔のラジオパーソナリティーみたいに抑揚のないリズムでひたすらしゃべり続けた。
内容のない会話がさらに30分くらい続いた。
汗も気づいたら止まっていた。気づいたら僕らはその涼しさの中で心地いい眠気を感じながら話をしていた。
自然な会話だった。
お互いリラックスしながら多少の沈黙なら許せるようになっていた。不思議な感覚だった。少
しの沈黙の後、ユッケは微笑んで言った。
「なんか久しぶりだね。」
僕も微笑みながら答えた。
「お久しぶり。」