『剣客』【掌編・時代劇】
『剣客』作:山田文公社
前島忠介はふと夢を見ていた。それはまだ都に来て間もない頃に、とある名士からの使いが来た時の話だった。それは『市中に人を斬りすてる悪漢あり、これを成敗する』というものだった。大義名分もあり、人道に正しい仕事だったので忠介は引き受けた。初めての人斬りとの対峙、身から刺すような殺気を放ち、老いて尚もその眼孔は鋭く恐るべき手練れであった。数人が差し違える形で老練の剣客に深手を負わせたが、悪鬼の如く太刀を振るい、数人を切り捨てた剣客と忠介は対峙したのだ。
「何故このような事をする?!」
忠介の問いに、老練の剣客は口元に笑みを浮かべて答えた。
「生き延びれば、自ずと答えも見つかるだろう」
何度か剣戟を繰り返し、僅差ながら忠介が老練の剣客を討った。
「斬らば斬られる……世の道理」
老練の剣客は忠介にもたれかかるようにして、言葉を残して死んだ。その言葉が警告であったと忠介はずいぶん後になって知る。
日没も迫ろうというなか、前島忠介は大前橋へと駆けていた。橋の川辺から荷があがり受け取りに来る者を斬らねばならない。忠介はいつでも刀を抜けるように鞘を握りこんだ手は汗ばんでいた。
両前藩の老中、国元家勝よりの使いである者が五日程前に現れて、八両と今日の日付にあたる日に大前橋の荷受け人と目撃者をすべて斬れと言った。忠介は断る事もできだのだが、食い扶持にすら事欠くほどに落ちぶれていたので、差し出された八両を懐へとしまいこんで、仕事を引き受けた。
船着き場にはどこかの使用人が大きな荷を抱えて居た。数にして七名、忠介は刀を抜き石段を飛び降りるようにして進み、問答無用に一人、また一人と切り捨てていく。悲鳴を上げるほの時もなく一瞬にして七名は絶命した。落ちた荷からは黒く光る石がこぼれていたが、忠介は気にも止めずにその場を足早に立ち去った。
後日これは事件となり町場をにぎわした。『舟場の極殺、積み荷も奪われた』と銘打った瓦版が巻かれていた。
当の事件の犯人にでっちあげられた忠介は昼間から酒をあおっていた。忠介は腕は立つし、忠介自身もそれは自信を持っていた。時代が時代なら剣豪として戦場で名をあげられただろう、しかし時は天下太平、剣士など道場を構えるか、どこかの剣術指南役でもしない限りは、腕の立つ剣士など人を斬る以外……つまり人斬りか用心棒しかないのだ。
内職に手を染めるほどの器用さもなく、仕官の当てもない者は“浪人”と呼ばれそこら中にあふれかえっていた。なかには『達人』と呼ばれるほどの者もいただろうが、斬るか斬られるか、呑むか呑まれるか、そんな人としてぎりぎりの暮らしに埋没した。それは生きる為には斬るしか無かった……故とも言える。
しかしながら清貧堅実とはおよそ縁遠い者達が手にする金子は、色(売春婦)、酒、刀(人を斬れば欠け曲がり反り鈍る、それらを直す刀の調整費用)に消える。
つまりは七両など気休め程度にしかならないのだ。金がなくなればまた斬るより他ない、人を斬るから腕は上達し名前が売れる。斬るか斬られるかという生活。なかには酒に溺れ体を壊し刀を握れなくなる者もいたが、そう言った者は酒で死ぬより、斬られて死ぬ事が多い。それは斬らねば死ぬ、飲まねば生きられぬ、生きたくば斬り、生きる為に飲み、やがて斬られて死ぬ、と言うことなのだ。つまり大半が死んだと言うことだ。
つまり前島忠介もその一人だ。いずれは野良犬のように死ぬ。だがそれは忠介も覚悟の上だ。『武士とは死ぬ事とみつけたり』とは刹那の時間に生と死を斬り分ける、つまり生きるとは刹那であるのだ。だから享楽的で刹那な生き方に見えるが、それこそが彼らにとって“生きる”ということに他ならない。無論大半は堅実な生き方を根ざしているだろうが、こと剣客共にはそれが強く伺える。
そう前島忠介は剣客である。名指しで金子を渡せば必ず斬って来る者、つまりは『殺し屋』なのだ。だから上の者はそう言った汚れ仕事は頼むのだが、決して剣術指南や仕官として登用することはない。
そして剣客は剣客同士で殺し合う。ひとこと言えば『代理戦争』なのだ。直接の仕官を使えば遺恨が残るが、汚れ役として剣客を使えば遺恨は残らないし、腹も痛まないのだ。互いの要人を殺し合い時に守る用にも命じる。人を斬った事のある腕の立つ者『剣客』は、上の者達の利の為に駒として使い捨てられた。
浪人はある時まで、名声あるいは剣の上達為に、生活の為に切り続ける。そしてあるときに現実に気づくのだ。『消耗品』であるという事に……ある者は絶望して割腹し、ある者は悪事に手を染め、ある者は斬られて死ぬまで斬り続ける。
前島忠介もその中の一人であった。斬られて死ぬまで斬り続けると決めたのだ。人の覚悟とは言葉にしなくても何故か伝わり広がるもので、忠介の元に多くの仕事が舞い込んでくる。忠介は依頼を断らずに斬り続けた。その戦いの中で同じ剣客共を何人も斬り捨ててきた。
「斬らば斬られる世の道理」
忠介は徳利の酒をお猪口に注いで、それをゆっくり呑みながら呟いた。そう忠介は何人も斬った。いずれ自分も斬られるという覚悟でもあった。
「あい、すまんが……前島忠介殿かな?」
酒を呑みに来たとは言い難い、覆面をした殺気をまとった男がいつの間にか小脇に立っていた。驚きよりもそこまでもうろくした己を忠介は恥じた。返答を返す間を持たせてしばらくの時を稼ぐ、小脇の男は律儀に返答を待っていた。
「相違ないが」
「命によりお命頂戴いたす」
そう言い男が刀を抜くよりも早く忠介は小太刀を抜き男の喉もとを精確に突き抜いた。衝撃で男が後ろによろめくのを見計らって忠介は太刀を抜き男を袈裟懸け(左上から右斜め下に)に斬り捨てた。
男が切り捨てられた衝撃で酒場の戸が豪快に外れた。酒場から忠介が出てくると周囲には取り囲むように同じ覆面の男が四人が抜刀して待っていた。忠介の左右から男が太刀を突き出して進み、左手のもう一人が斬りつけてきた。忠介は突きをかわし左手の男を交差法で切り伏せたが、右手の男の突きを胴に受けた。すぐさま右手の男の脇差しを抜き、喉もとをすくいあげるようにして突きあげた。左手の男と右手のもう一人が忠介に斬りつけてくる前に、忠介の胴を突いたまま絶命した男を肘で押しのけて、右手の男へと突き飛ばし左手の男の太刀をしのいだ。
忠介にはわかった、助からない深手を負ったという事を、しかし誰にも斬られてやる訳にはいかなかった。左手の男を切り捨て残る一人を斬り、酒場の酒を呑んで死ぬ、そのつもりだった。
残る一人は道場剣術ならではの防戦だった。攻めないそれ故に隙がない。青眼(太刀を真正面に置き)に構え斬り込んでは来ない。隙の浅い突きや打ち込むような斬撃ではあるが、一撃必倒の太刀ではない、深手負った忠介の顔色はみるみるうちに青くなり、徐々に重心が定まらなくなっていく。もはや忠介の命は風前の灯火だった。それを見越して男は必殺の突きで踏み込んだ。しかし忠介はその隙を見逃す事は無かった。突きの届く前に重心を片足に預けて軸足を駒にして周り、男体を水平に薙いだ。
男が倒れる音を忠介は聞いた。太刀を杖代わりにして酒場へと戻り、先ほど座っていた席に腰を下ろした。呑みさしの徳利からお猪口に移す、並々溢れるが、忠介は気にもとめなかった。お猪口を口元に運び呑んだ。
「ふふ、末期の酒というのも悪くないな……斬らば斬られる世の道理、ようやくわかった」
忠介は手にしたお猪口を落とし、絶命し崩れおちた。
生きるとは容易な事ではない。食い扶持に預かるにはそれなりの代価を払う。人は獣を喰うが、獣は人を食えなくなった。しかし人は喰われなくなったが、人に殺されるようになった。斬らば斬られる世の道理とは、その行いは業となりやがてはすべて己に帰る事なのだ。人は人から生まれ自然に還る。忠介もまたそうした摂理に従っただけであった。生きて死ぬ、それは自然の摂理、行いは巡り還ること、それもまた自然の摂理、ときにそれは運命や宿命とも呼ばれるだろう、しかしただそれは生きて選んだ結果なのだ。忠介はそれを最後に知ったのだ。
幾ばくかの金子の為に殺しあう、それも人が摂理に従って生きる為に選んだ結果なのだ。時代に語られぬ『剣客』はこうして散っていった。
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