第041話:金曜夜の戦略的決算と、親子という名の「垂直統合」
四月二十六日、金曜日の夜。渋谷を飲み込んだ喧騒がようやく静まりを見せ始める頃、佐藤家のリビングは、一般的な高校生の家とはかけ離れた、張り詰めた「決算」の空気に包まれていた。
「――以上が、今週の宮下公園ダンジョンにおける『レギュレーター』の運用実績です、ボス」
三木怜は、完璧にプレスされたブレザーを正し、タブレットの画面を通へと向けた。彼女の瞳には、連日の過密スケジュールによる疲労の色はあるものの、それ以上に、一つの巨大なプロジェクトを完遂しつつあるプロフェッショナルとしての光が宿っていた。
トールは無言で、左目の『深淵のモノクル』を【財務監査モード】で起動させる。網膜に投影されるのは、膨大な数の魔石のランクと、それらに付随する魔力波形のエビデンスだ。
「……阿部くんたちの歩留まりが、目標値を4%上回っているな。三木部長、君の兵站管理の結果か?」
「ええ。サポーターズの少女たちに、魔石の『現場洗浄』を徹底させました。不純物を除去してから回収することで、輸送コストを削減し、市場での評価ランクを一つ引き上げています」
怜は淡々と答えるが、その言葉の裏には、十五歳の少女が学業の傍らで成し遂げたとは信じがたいほどの執念が隠されていた。
トールは画面をフリックし、新たに生成された「販売見込み額リスト」を呼び出した。
【クラン『レギュレーター』週次収益報告書:4月22日~4月26日】
魔石(宮下公園産・高品質)
Cランク:840個(単価 850,000円)→ 7億1,400万円
Bランク:120個(単価 4,200,000円)→ 5億400万円
ドロップ品・素材
『翡翠の狼牙』(希少硬質素材):45個 → 1億3,500万円
『アビス・スパイダーの糸』(導魔繊維):12kg → 2億8,000万円
『未鑑定の古文書』(宮下公園地下遺構):2巻 → 評価保留(オークション案件)
広告・二次利用収益
『Deep_Shibuya_Archive』投げ銭・再生数収益分配 → 1億2,000万円
『アビス・カーボン』着用モデル料(アーク・フュージョンより逆算) → 3億円
【週次総売上(見込み)】
合計:20億5,300万円
「……二十億五千三百万か」
トールは静かに呟いた。
一般の探索者クランが一年かけて稼ぎ出す金額を、彼は「高校生の部活動」の延長線上で、わずか五日間で叩き出した。
「目標の五十億円(本社ビル買収資金)まで、残り二十九億四千七百万。来週の『ゴールデンウィーク・キャンペーン』の需要増を見込めば、五月十日までのクロージングは確実です」
怜の声が微かに熱を帯びる。彼女にとって、この数字は単なる金ではない。佐藤通という「王」が描く、新しい世界の設計図を形にするための『部品』なのだ。
「……合格だ、三木部長。阿部くんたちに、週末の特別インセンティブ(追加の焼肉券と魔力回復薬)を付与しておけ。彼らの『士気』は、来週の重要な経営資源になる」
「了解しました。……それと、ボス。ギルドの水城志保さんから、個人的な通信が入っています。『魔石の供給量を調整してほしい。市場価格が暴落するのを、ギルドが恐れている』とのことですが……」
「無視しろ。価格を決定するのは、ギルドではなく『供給者(俺たち)』だ。志保さんには、後で俺から個人的なフォロー(愚痴聞き)を入れておく」
トールはそう言って立ち上がると、リビングの奥、父・一真の書斎へと続く廊下を見据えた。
「さて、どうしようか」
「……ボス?」
「プライベートの決算は終わった。ここからは、『親会社』との戦略会議だ。三木部長、今日はお帰りなさい。有栖の夕食を楽しんで。……それから、髪が少し乱れているぞ。鏡を見てから帰りなさい」
「あ……っ。は、はい! ありがとうございます!」
怜が顔を赤らめて辞去するのを見届けると、トールは自身の気配を【隠密・重役】へと切り替えた。
書斎のドアを三回、等間隔で叩く。
「……入れ。通だな」
重厚なオークの向こう側から、父・一真の、疲れを知らない猛禽のような声が響いた。
書斎の中は、琥珀色のライトと、微かな葉巻の香りが漂っていた。
アーク・フュージョンのCEO、佐藤一真は、タブレットでロンドンのCF先物取引のチャートを眺めていたが、息子が足を踏み入れたと同時に、椅子を回転させた。
「一週間、ご苦労だったな、通。……いや、クラン『レギュレーター』のCEOと言うべきか」
「……報告に上がりました。今週のデバッグ成果(魔石回収)と、それに伴う市場の『ノイズ』についてです」
通は、先ほど怜に見せたリストを、一真のデスクにホログラムで投影した。一真の眉が、ピクリと動く。
「……ほう。二十億か。……宮下公園という『不良債権』を、わずか一週間でこれほどの『ドル箱』に作り変えるとはな。……ギルドの連中が泡を吹いているぞ。おかげで、我が社の株価も連日ストップ高だ」
一真は、手元のグラスに高級なウイスキーを注ぎ、通の前へと滑らせた。
「十五歳の誕生祝いにしては早すぎるが、乾杯といこう。……お前が渋谷の地下で『掃除』をするたびに、地上のマネー・ゲームのルールが書き換えられていく。……痛快だよ」
「……親父。俺がここに来たのは、祝杯を上げるためじゃない。……ギルドのガバナンスが限界に近い。資材購買課の現場が、俺たちの供給量に耐えきれず悲鳴を上げている。……これは、組織の崩壊の予兆だ」
通の視線は、親に対するものではなく、対等なビジネスパートナーとしての鋭さを帯びていた。一真の笑みが、冷徹な経営者のそれへと深まる。
「……気づいたか。……そう、ギルドは既に『市場の調整役』としての機能を失いつつある。魔力の供給過多、あるいは枯渇。その振れ幅を、彼らの旧態依然としたシステムでは制御できていない」
一真は立ち上がり、窓の外、燐光を放つ渋谷の夜景を指差した。
「通。お前が『レギュレーター』として拠点を構え、独自の流通網を構築しようとしているのは、ギルドに対する事実上の『宣戦布告』だ。……それ、分かってやっているな?」
「……ああ。……ギルドという中間マージンを排除し、俺たちが『垂直統合型』の供給者となる。……それが、この歪んだダンジョン経済に秩序をもたらす、最短のデバッグ・コードだ」
通の言葉は、完璧な理論武装に支えられていた。
「……だが、そのためには『盾』が必要だ。……一真、あんたの会社を、俺のクランの『メイン・パートナー』に指定する。……広報、法務、および政治的なロビー活動。……これらを、親会社として完璧に遂行しろ。……それが、俺からあんたへの『追加案件』だ」
一真は、一瞬の沈黙の後、爆発したように笑った。
自分の息子に、ここまで冷徹に「使われる」ことを要求される日が来ようとは。
「……ハハハ! ……面白い。……実の息子に買収を持ちかけられる気分だ。……いいだろう。アーク・フュージョンの全リソースを、お前の『レギュレーター』のバックアップに回す。……その代わり、通。……来月の『合同演習』、およびその先の『全国大会』。……そこで、圧倒的な『証拠』を見せろ」
一真は、通の肩に手を置いた。
「お前が『神』であれ『亡霊』であれ、俺の息子であることに変わりはない。……だが、ビジネスの上では、俺はお前の最大の『信奉者』だ。……行け。世界を、お前の望む形に書き換えてこい」
「……ああ。……定時(予定)通りに終わらせるよ」
通はそう答えると、書斎を後にした。
廊下に出ると、二階から華乃が顔を出し、スマホを振っていた。
「お兄ちゃん! さっきの『見込み額』、華乃の取り分は何パーセント!? 広報活動頑張ったんだから、特盛りでよろしくね!」
通は、妹の無邪気な声に、三十二歳の管理職時代には決して見せなかった、微かな、だが確かな「家族への苦笑」を漏らした。
四月二十六日、金曜日。 渋谷の闇を切り裂く漆黒の騎士たちは、週末の静寂を糧に、さらなる高みへと牙を研ぎ始める。 来週、世界は「佐藤通」という名の圧倒的な規律を、再びその身に刻まれることになるのだ。




