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竜王ですが?  作者: 平木明日香
第一章 旅立ち
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第7話 渓谷都市ガルム



 山道を越えた先で、視界が一気に開けた瞬間、俺は思わず口の端を上げた。


 ガルムだ。


 切り立つ断崖が左右から迫り、その裂け目に沿うように街が広がっている。まるで巨大な岩山が二つに割れ、その隙間に人の営みが流れ込んだかのような光景だ。両側の崖は垂直に近く、上を見上げれば首が痛くなるほど高い。岩肌は赤褐色と灰色が入り混じり、長い年月をかけて削られた層がはっきりと見える。ところどころから細い滝が白糸のように垂れ落ち、陽光を受けてきらめいている。


 谷底を流れる川は透明度が高く、岩に当たるたびに白い飛沫を上げている。その水音が街全体の底に常に流れていて、まるで大地そのものが呼吸しているかのようだ。川沿いには石造りの家々が段々状に築かれ、木製の足場や階段が複雑に絡み合っている。崖の中腹には洞窟を利用した住居もあり、窓からは布がはためいている。


 いくつもの吊り橋が渓谷を横断しているのも、ガルムならではの光景だ。頑丈な縄と木板で組まれた橋が、崖と崖を繋いでいる。人や荷車、時には騎獣までもが渡るため、見た目よりもずっと強固に作られている。橋の上から見下ろせば、足がすくむほどの高さだが、地元の連中は平然と行き来する。


「相変わらず、豪快な街だな」


 俺はクルルの背を軽く叩きながら、渓谷の入口へと進む。風は山の上から吹き下ろし、乾いた岩の匂いと、川の湿った空気を同時に運んでくる。平地とはまるで違う。ここでは空が細く、代わりに岩が空を切り取っている。


 ガルムに来るのは久しぶりだ。三年前の放浪を始めた直後に何度か立ち寄って以来だから、ざっと二年ぶりか。市場の連中は元気にしているだろうか。気難しい香辛料屋の親父に、無口な燻製職人の婆さん、それから星涙菜を扱う若い商人。顔ぶれが変わっていないといいが。


 渓谷都市の市場は、川沿いの広場に開かれる。岩壁を背にして木製の屋台が並び、乾燥肉や山菜、岩塩、蜂蜜、そして川魚がずらりと並ぶのだ。山岳地帯という環境上、物資は限られているが、その分、質は高い。特に星涙菜は、この季節だけの特別な品だ。


 今はもう日が傾き始めている。市場もそろそろ閉める時間帯だろう。星涙菜は朝露をまとった状態が最も価値があるため、朝一番で店頭に並ぶ。今から行っても、売り切れている可能性が高い。だが、明日の朝の仕入れに間に合わせるためにも、予約だけは入れておきたい。


「今日は顔出しと挨拶だけだな」


 そう独り言をこぼしながら、街へ足を踏み入れる。


 崖に沿って作られた石段を上ると、川の流れがより近く感じられる。水面は夕陽を反射して橙色に染まり、その中を銀色の影が跳ねる。あれは渓谷特有の岩清魚だ。脂が乗っていて、塩焼きにすると実にうまい。あの魚にも興味はあるが、今日は時間がない。市場の連中に挨拶し、星涙菜の予約を入れるのが優先だ。


 自分で取りに行けばいいと思うだろう? その方が新鮮で、手間も省ける。確かに、俺は山に入って自分で摘むこともできる。だが俺だって分を弁えているつもりだ。


 星涙菜は、この地方の保安林の中に生息している山菜だ。渓谷の奥、岩肌の陰になった湿地に群生する。成長には特定の条件が必要で、乱獲すればすぐに枯れる。だからこの地方では採取量が厳しく管理され、許可を得た者だけが決められた数を摘むことができる。


 勝手に取れば、国の法律にも引っかかるし、市場の連中にも迷惑がかかる。外から来た放浪者が好き勝手に摘んでいけば、地元の生活が成り立たなくなるだろう。放浪の旅をする上では、ある程度の常識を持っていた方がいい。面倒ごとを増やさないための必要な知恵だ。


 それに、俺は市場の連中と顔なじみだ。正規のルートで手に入れたほうが、余計な軋轢を生まない。


 広場に着くと、屋台を片付け始めている商人たちの姿が見えた。木箱を積み、布を畳み、残った商品を籠に移している。夕暮れの光が崖を赤く染め、その中で人々の影が長く伸びる。


「おい、あれは……ブラックじゃないか?」


 声が上がる。


「久しぶりだな、黒竜喰い!」


 何人かが手を振る。覚えていてくれたらしい。


「まだ生きてたか」


 俺は肩をすくめながら近づく。


「星涙菜、明日の分を押さえておきたい。数はいつも通りでいい」


 若い商人が笑う。


「わかってるさ。あんたが来ると、この時期はだいたい当ててる。だが今年は出来がいいぞ。値は少し上がるがな」


「質が良ければ文句は言わん」


 金を前金として渡し、明朝の受け取りを約束する。


 背後では、崖の上に設けられた見張り台に灯りがともる。夜になれば山の冷気が一気に降りてくるだろう。渓谷の夜は冷える。


 久しぶりのガルムは、相変わらず岩と水と人の匂いが混ざった街だった。

 そして俺は明日の星涙菜を思い浮かべながら、静かに笑う。


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