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第5話 白マントの願い



 今日向かう場所はもう決めていた。


 王都ルミナリアから南西へおよそ五十キロ、山脈の切れ目に沿って広がる渓谷都市ガルム。あの街は春先から初夏にかけて、“星涙菜せいるいな”という山菜が実ることで有名だ。夜明け前に摘むと葉の縁に透明な露が宿り、ほんのりとした甘みとほろ苦さが同時に味わえる。天ぷらにしてもいいし、軽く湯通しして塩と柑橘で和えるのもいい。さらに、あの渓谷一帯には岩蜥蜴型の魔獣が多く出る。討伐依頼もそこそこある。つまり、仕事と食の両立ができる理想的な寄り道だ。


 王都の南門をくぐりながら、俺は地図を頭の中でなぞる。街道をしばらく進み、途中で旧道へ折れれば半日で渓谷の入り口に着く。野営を一回挟めば、明日の昼には市場を覗けるだろう。星涙菜の旬は短い。迷っている暇はない。


「さて、行くか」


 背中の荷を軽く持ち直し、門を出たそのときだった。


「はぁ……っ、ま、待って……ください……!」


 背後から、息を切らした声が飛んできた。布が擦れる軽い音とともに、荒い足音がパタパタと地面を揺らしている。振り返ると、白いマントを被った人物が、石畳の上で膝に手をついて肩で息をしていた。その後ろには同じく白を基調とした装いの若い女性が一人、やや焦った顔で立っていた。


 白マントの人物は顔を上げる。フードの影から覗くのは、見覚えのある金の髪。


 ……嫌な予感しかしない。


「俺に何か用か?」


 あしらうつもりで、できるだけ素っ気なく言う。今は時間が惜しいし、星涙菜は待ってくれない。


 白マントの人物――いや、王女ユリアナは呼吸を整えようとしながらも、まっすぐに俺を見た。その瞳は昨日森で見たときよりも強い光を宿している。


「ブラック・ドラグニル様……」


 俺の名前を、はっきりと口にした。


 周囲には門番がいるし通行人もいる。だが彼女は構わず一歩前へ出ると、付き人とともに深々と頭を下げた。


「あなたは世界各地を旅していると聞きました。魔獣を討伐しながら、六大陸を巡っている、と」


「……まあ、そんなところだ」


 誰から聞いたのかは考えないようにした。ギルドか騎士団かは知らないが、どんな場所でも噂は早いものだ。


 王女は顔を上げる。白マントの下から覗くドレスは簡素な旅装に変えられているが、生地の質は隠せない。隣の付き人――侍女だろう――も同じく旅支度をしているが、腰には小さな短剣が差してある。どうやら本気らしい。


「王宮で一番の剣士と、十分な金貨をご用意しております」


 彼女は言葉を区切らず、真っ直ぐに続けた。


「どうか、私を旅に同行していただけないでしょうか?」


 ……は?


 思わず声が喉で止まる。


「何を言ってる」


 口から出たのは率直な感想だった。


「俺は護衛じゃないし、案内人でもない。それに王族がふらふら旅に出ていい立場じゃないだろ」


 門番たちがちらりとこちらを見るが、さすがに王女とは気づいていないようだ。マントのフードが顔を半分隠しているのが幸いしている。


 ユリアナは一瞬だけ視線を伏せ、それから再び俺を見る。


「わかっています。ですが、私は……このまま王宮に閉じこもっているだけでは、何も変わらないのです」


 その言葉には、昨日森で見た疲れの正体が滲んでいた。政務、継承、封印の責任。光の大陸は秩序を重んじるが、その秩序の中心にいる者ほど自由から遠ざかると聞く。


「世界を、自分の目で見たいのです。光の外を」


 付き人が小さく息を呑む。王女の言葉は明らかに王宮の意向とは逆の考えを持っていた。


 俺は額を押さえた。


「悪いが、断る」


 できるだけきっぱりと告げる。


「旅は楽じゃない。野宿もするし、魔獣にも襲われる。飯だって毎回うまいとは限らない。それに――」


 言いかけて、少しだけ言葉を選ぶ。


「俺は、誰かを守るために旅してるわけじゃない」


 俺は自由でいたい。定住もしない。依頼も選ぶ。面倒な政治やしがらみに巻き込まれるのは御免だ。


「金貨も剣士もいらない。自分の身は自分で守れるだろう」


 実際、彼女の周囲には優秀な騎士がいるはずだ。俺がわざわざ関わる必要はない。


 だがユリアナは、頭を下げたままだった。


「……それでも」


 小さな声が続く。


「あなたでなければ、意味がないのです」


 その一言に、ほんのわずかに胸がざわつく。


「どういう意味だ」


「あなたは、どこにも属していない。法にも、王にも、縛られていない。だからこそ、あなたの見ている世界を、私も見たいのです」


 真っ直ぐすぎる言葉だ。打算よりも憧れのような感情が強い。


 俺は視線を逸らし、南西の空を見る。ガルムの渓谷はあの向こうだ。星涙菜が待っている。岩蜥蜴もいるだろう。


 王女を連れていけば、確実に面倒は増える。狙われる可能性も高い。王宮も黙ってはいない。


「……俺は、ただ腹が減ったから旅してるだけだぞ」


 自嘲気味に言う。


「それでも構いません」


 即答だった。


 困った。


 本気だ。本気で俺についてくる気でいる。


 俺は深く息を吐き、彼女を見下ろす。


「悪いが、今は無理だ」


 きっぱりと言い切る。


「俺はガルムに行く。山菜と魔獣を狩りに。王族が遊び半分でついてくる場所じゃない」


 そう言って踵を返す。


 背後で付き人が何か言いかける気配がしたが、ユリアナはそれを制したようだった。


 俺は歩き出す。だが背中に刺さる視線を、完全に無視できているわけではなかった。


 星涙菜の季節は短い。

 そしてどうやら厄介な縁も、思ったより短い距離で追いついてきそうだった。

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