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第36話 西方制空権



───────────────


竜暦1334年 4月3日


午前5時34分


西方海域上空

火の大陸西方航空管制区


───────────────



夜明け前の空は、まだ深い藍色を保っていた。

水平線の彼方でようやく光が滲みはじめているものの、夜は完全には退いていない。海は鉛のように暗く、風は鋭い冷気を帯びていた。高度三千メートルを超える上空では、雲の層が薄く棚引き、ところどころが裂けるように途切れている。その隙間を縫うようにして、巨大な影がゆっくりと海上を滑っていた。


それは鳥ではない。


飛空艇の艦隊だった。


闇の中でも輪郭がはっきり分かるほど巨大な船体は、長く引き伸ばされた槍のような形をしている。装甲は黒鉄色で統一され、表面には対魔力塗装が施されていた。艦体の下部には、円盤状の浮遊魔導炉が等間隔に配置されている。炉の外周を走る符紋が淡く輝き、内部の魔力が周期的に脈動するたび、青白い光が雲の底へ反射して揺れた。


静かな夜空の中で、その光はまるで呼吸のようだった。


船体後部には大型の推進翼が展開している。風を切る空力帆と、魔導推進機構が一体化した構造で、空気の流れを整えながら艦体を前へ押し出す。完全な無音ではない。低く抑えられた振動音が、遠雷のように夜空へ広がっていた。


その巨大な艦艇が、編隊を組んで進んでいる。


先頭を行く旗艦を中心に、左右へ扇状に広がる隊形。互いの距離は精密に保たれ、まるで空そのものに刻まれた陣形のように整っていた。


この編隊は――


アグニア連邦航空軍

第一航空打撃群。


飛空艇、二十四隻。


その内訳は明確だ。


十二隻が重爆撃艇。艦底に魔導爆弾架を備え、対艦攻撃を主任務とする主力艦だ。船体は分厚い装甲で覆われ、砲座も多い。近距離戦闘にも耐える設計になっている。


六隻が迎撃戦闘艇。小型で機動性に優れ、爆撃隊の周囲を護衛する。船体は細く、翼の面積も大きい。速度と旋回性能を優先した構造で、魔導砲の射角も広い。


残る六隻は支援艇だった。


偵察用の遠距離魔導探知装置を備えるもの。敵の通信魔導を妨害する電子魔導戦艇。気象観測や航法補助を担う誘導艇。それぞれが航空戦力を裏から支える役割を持つ。


彼らの任務は、極めて明確だった。


西方制空圏の確立。


海戦の前に空を制する。


それが今回の作戦における絶対原則だった。


海上ではすでに艦隊が動いている。だが海軍の艦砲がどれほど強力でも、上空からの攻撃を許せば隊形は崩れる。飛空艇による爆撃は艦船にとって致命的だからだ。だからこそ、まず空を押さえる必要がある。


艦橋前方の観測席で、航空群司令官ラドリック=ヴァルデンが双眼鏡を覗いていた。


彼の視線は、はるか下方へ向けられている。


夜の海を、細い光の列がゆっくりと進んでいた。航海灯だ。暗い水面に点々と浮かぶ灯りが、長い蛇のような列を作っている。


アグニア艦隊。


三個艦隊。


総艦数、二百七十。


巡洋戦艦、装甲艦、補給船、護衛駆逐艦。大小さまざまな艦船が縦列を組み、夜の海を押し進んでいる。その上空三千メートルを、第一航空打撃群が覆うように飛んでいた。


副官が、横で報告を読み上げる。


「高度、三千二百メートル維持」


「気流安定。乱気流なし」


「魔導探知圏、異常反応なし」


ラドリックは小さく頷いた。


表面上は、すべて順調だ。


風向きも問題ない。魔力探知にも反応はない。夜明け前の海上は、静まり返っている。


だが――


彼は双眼鏡を下ろさなかった。


今回の作戦は、奇襲ではない可能性がある。


それが、ラドリックの胸を重くしていた。



───────────────


同時刻。


光の大陸西岸

ルミナリア王国防衛司令部


───────────────



王都ルミナリアから西へおよそ二百キロ。

外洋へと開かれた西岸の湾を抱く巨大な港湾都市――アルヴェリオ要塞港。


天然の入り江を利用して築かれたこの港は、三方を断崖の丘陵に囲まれ、残る一方も人工の防波堤と砲台群によって固められている。古くは交易港として発展した都市だったが、数十年前の沿岸防衛改革以降、ここは西方海域を統括する軍事拠点へと姿を変えた。現在ではルミナリア西方防衛軍の司令部が置かれ、海軍基地、航空艇発着場、魔導観測施設が一体となった巨大な軍港都市として機能している。


港の地上部分はまだ夜明け前の静けさに包まれていた。海風に混じる塩の匂いと、停泊する艦艇の金属音がわずかに響く程度だ。しかしその地下深くでは、すでに戦時の空気が流れ始めていた。


司令部地下三階。厚い防爆扉の奥に設けられた作戦室では、複数の魔導観測装置が絶えず低い唸りを上げている。石造りの壁には補助符紋が刻まれ、室内中央には巨大な円盤型の装置が据え付けられていた。直径は五メートル近くあり、表面には細かな光の格子が走っている。


魔導探査盤。


いわゆる魔導レーダーに近い装置だ。


だが仕組みは単純な探知魔法とは違う。この装置は大地を流れる龍脈の振動を利用し、広範囲の魔力活動を解析する。海上を航行する戦艦の魔導炉、飛空艇の浮遊炉、あるいは大型魔導兵器が放つ出力――それらはすべて龍脈へ微細な干渉を生む。その歪みを拾い上げ、海域全体の魔力分布として可視化するのが、この装置の役割だった。


円盤の表面には海域の簡易地図が投影され、そこにいくつもの光点が浮かんでいる。普段なら商船や漁船の魔導炉反応が散発的に映る程度だが、今は違った。


観測士の一人が、急に声を上げた。


「西方海域、魔力反応増大!」


その声は、室内のざわめきを一瞬で止めた。


作戦室の空気が、明らかに変わる。


中央の装置に近づいてきたのは、西方防衛軍司令官エルドリック将軍だった。灰色の軍服に身を包み、年齢の割に背筋の伸びた男だ。彼は円盤の光を見下ろしながら、低く問いかけた。


「距離は」


観測士が慌てて測距盤を確認する。


「三百五十海里」


少し間を置いて、別の観測士が補足した。


「移動速度を計算……推定艦隊規模です」


作戦室に沈黙が落ちる。


光の点は、海図上でゆっくりと列を作りながら東へ向かっている。それは単なる商船団ではありえない密度だった。


エルドリック将軍は、わずかに目を細めた。


「やはり来たか」


その声は、驚きというより確認に近かった。


この可能性は、すでに予測されていたからだ。


ここ数年、アグニア連邦の動きは明らかに異常だった。魔鉱石の輸入量は急増し、鉄鋼の価格は不自然に高騰している。造船所の稼働率は過去最大。交易統計、鉱山採掘量、軍需物資の流通――どの数字を見ても、ひとつの結論に行き着く。


戦争準備。


ルミナリア王国も当然それを察知していた。だが問題は一つだった。


いつ来るのか。


その“いつ”が、今になっただけの話だ。


観測士がさらに声を上げる。


「空中魔導反応を確認!」


円盤装置の上に、新たな光点が現れ始める。


「飛空艇隊……二十以上!」


その報告に、室内の参謀たちが顔を見合わせた。


やはり空も押さえに来ている。


壁面の魔導投影装置が起動し、巨大な海図が空中へ浮かび上がる。アルヴェリオ要塞港を中心に、西方海域の広範囲が表示された。


エルドリック将軍は、その海図へ歩み寄った。


そして指を三箇所へ置く。


北方航路。


中央航路。


南方航路。


「三方向侵攻」


将軍は低く言った。


「教科書通りだ」


つまりこれは――


制海権を巡る戦争。


海戦の基本原則は変わらない。まず港湾を封鎖し、交易路を断つ。補給を止め、孤立させる。そして敵の主力艦隊が動いた瞬間、戦力を一点へ集中させて叩く。


アグニアはその定石を、寸分違わず実行している。


将軍は振り向いた。


「西方航空隊、即時発進」


参謀が復唱する。


「航空隊、発進準備!」


将軍は続けた。


「迎撃高度四千。敵飛空艇隊を海岸線へ近づけるな」


「海軍第一艦隊、出港準備」


命令が矢継ぎ早に飛ぶ。


作戦室は一瞬で慌ただしくなった。


副官が、将軍の横で小声で尋ねる。


「……全面戦争になりますか」


エルドリック将軍は答えなかった。


宣戦布告はまだない。


外交文書も届いていない。


だが、この状況では意味を持たない。


彼は海図に浮かぶ光点の列を見つめながら、静かに思った。


戦争とは、宣言ではなく――


行動で始まるものだからだ。




───────────────


西方海域上空


午前6時06分


───────────────



夜明けの光がゆっくりと東の空を押し上げ、雲の縁が薄く白み始めていた。高度三千メートルの空域では、冷たい上層風が安定して流れている。視界は広いが、海面はまだ暗く、低い雲の影がところどころに漂っていた。


その静かな空域を、アグニア連邦航空軍第一航空打撃群の飛空艇編隊が整然と進んでいる。旗艦を中心に左右へ展開した二十四隻の艦隊は、互いの距離を正確に保ちながら進行速度を揃え、空中の陣形を崩さない。浮遊魔導炉の青白い光が規則的に脈動し、薄い雲を淡く照らしていた。


艦橋の観測席に立つラドリック=ヴァルデン司令官の耳へ、通信管を通じて通信士の声が届く。


「前方魔導反応を確認」


声は抑えられていたが、その緊張は隠しきれない。


「距離、百二十」


「高度差、ほぼ同一」


「飛空艇群、接近中」


報告が終わると同時に、艦橋内の空気がわずかに張り詰めた。操舵士が舵輪を握る手に力を込め、砲術士が魔導照準盤へ視線を落とす。まだ戦闘距離ではない。しかし、この高度で飛空艇群が接近しているという事実は、それだけで状況を十分に説明していた。


ラドリックは双眼鏡を手に取る。


真鍮製の筒をゆっくりと持ち上げ、前方の空へ焦点を合わせた。


東の空はすでに夜明けの光を帯びている。雲の隙間から差し込む朝の光が、遠くの空域を淡く照らしていた。その中に、小さな黒点がいくつも浮かんでいる。


最初は鳥の群れにも見えた。


だが次第に輪郭がはっきりしてきた。


黒点はゆっくりと形を持ち始め、細長い船体と翼の構造が見えてくる。数は十を超える。いや、二十に近い。隊形を整えた飛空艇の群れだ。


やがて、船体の色が判別できる距離になった。


白い装甲。


流線型の艦首。


翼の先端には、太陽を象った金色の紋章が刻まれている。


ルミナリア航空隊。


ラドリックの視線がわずかに細くなる。


予想より早い。


敵の迎撃部隊は、まだ海岸線近くにいると考えていた。だがこの距離で遭遇するということは、相手はすでに外洋上空へ展開していたことになる。


つまり――


待ち伏せだ。


ラドリックは小さく呟いた。


「待っていたな」


これは偶然の遭遇ではない。


ルミナリアは、今回の侵攻をある程度予期していたのだろう。西方海域の警戒線を強化し、航空戦力を前進配置していたに違いない。


副官が横で状況盤を確認しながら言う。


「交戦距離まで、およそ五分」


両編隊は互いに接近している。現在の巡航速度を維持すれば、数分以内に魔導砲の有効射程へ入るだろう。


ラドリックは視線を双眼鏡から外した。


その表情には焦りはない。むしろ計算を終えたような静かな落ち着きがあった。


「第一爆撃隊、後退」


艦橋内の通信士がすぐに復唱する。


「第一爆撃隊、後退指示!」


爆撃艇群がゆっくりと編隊の後方へ下がり始める。重爆撃艇は装甲が厚い代わりに機動性が低い。空戦の最前線に出すには適さない。


ラドリックは続けた。


「迎撃編隊、展開」


「戦闘艇、前進」


命令は簡潔だった。


彼らの目的は、敵を撃破することそのものではない。


制空権。


それがすべてだ。


敵航空隊を押し返し、西方海域の上空を掌握する。空を確保すれば、爆撃隊は自由に行動できる。そしてその間に――


海ではすでに、アグニア艦隊が動き始めていた。


北方海峡では第一艦隊が展開している。ここはルミナリア北部航路の要衝であり、封鎖すれば北方交易は完全に止まる。


中央海域では第二艦隊が進撃中だ。こちらは交易船団を狙う部隊で、補給線を断つ役割を担っている。


そして。


第三艦隊。


主力艦隊だ。


旗艦イグニス=レガリアを中心に、重巡洋艦と装甲戦艦が密集した戦闘群を形成している。その巨体は、夜明けの海をゆっくりと押し進んでいた。


旗艦の中央甲板では、今まさに巨大な装置が起動している。


甲板の装甲板が左右へ開き、その下から長い金属筒がせり上がる。黒い装甲で覆われたその円筒は、まるで巨大な砲身のようだった。内部では赤い光がゆっくりと脈動している。魔力が圧縮され、熱を帯びている証拠だ。


火核弾。


高密度火属性魔力を封入した戦略級弾頭。


その威力は、要塞一つを消し飛ばすとさえ言われている。


そしてその照準は、すでに決まっていた。


アルヴェリオ港湾要塞。


ルミナリア西方防衛の中枢。


夜明けの光が海面へ広がり始める。水平線の向こうから差し込む光が、艦隊の影を長く海へ落としていた。



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