表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

28/40

第26話 ブラックの調理



 青白い光を宿したスライムは、こちらを警戒するように体を揺らしていた。


 粘液の表面がゆっくりと波打ち、内部の光が脈動する。その動きは不規則に見えて、実際にはかなり単調だ。俺はその揺れ方を観察しながら、足の位置を少しずつ調整していた。


 コイツが異常な変異個体だったとしても、基本の構造はスライムだ。


 そしてスライムの知能は高くない。


 捕食や危険の察知はするものの、複雑な判断はほとんどできない。動きは単純で、攻撃のパターンも限られている。子どもの頃に読んだ絵本に出てくるような、丸い魔物とイメージは同じだ。


 要するに、読みやすい。


 俺は大剣を背に回し、あえて構えない姿勢を取った。


 スライムはそれを攻撃の隙と判断したのか、体の一部をこちらへ伸ばしてきた。粘液の触手のような部分がゆっくりと伸び、岩の表面を滑りながら距離を詰めてくる。


 速度は遅い。


 しかし油断はできない。


 スライムの特筆すべき点は、その防御力にある。


 他の魔物に比べて動きが緩慢である分、隙は多い。見た目だけなら簡単に斬れそうな相手に見える。だが、実際に剣を振るうと分かる。


 あの体は異常に“硬い”。


 硬いというより、攻撃を受け流す構造になっている。


 粘液の層が何重にも重なり、衝撃を吸収する。刃物を入れても切断面が滑り、力が分散する。強引に斬れば内部の核に届くこともあるが、普通はその前に粘液が刃を包み込む。


 生半可な攻撃ではダメージを与えられない。


 だから多くのハンターは、魔力攻撃を使う。


 火や氷、雷といった魔術をぶつけると、粘液の構造が崩れる。魔力で直接核を破壊する方が効率的だ。


 ギルドの教本にもそう書いてある。


 ――スライムには魔術を使え。


 それが基本的な戦術になることはわかっているが、俺が選んだのは別の方法だ。


 物理攻撃。


 それも斬撃ではない。


 打撃だ。


 俺はスライムの攻撃が届くか届かないかの境界を測りながら、少しずつ距離を詰めていった。足の裏で地面の状態を確かめ、岩の角度と水たまりの位置を頭の中に入れる。


 スライムの触手が、ぬめりを引きながらこちらへ伸びてくる。


 空気を裂く音はない。ただ粘液が擦れる湿った気配だけが、洞窟の静寂をわずかに揺らす。


 俺は半歩だけ体をずらした。


 それだけで十分だった。触手は俺の肩先をかすめることもなく、重たい粘液の塊のまま空を切る。床の石へ叩きつけられた粘液が、ぐにゃりと広がって鈍い音を立てた。


 その動きを、俺はじっと見ていた。


 触手の戻り方。粘液の収縮。体内を流れる魔力の光。


 全部が遅い。


 巨大な体を動かすには、どうしても時間がかかる。しかもこの個体は変異種だ。粘液の密度が高く、魔力も強い。その分、体内の流れはさらに鈍くなる。


 だからこそ――懐に入れる。


 俺は足を前へ出した。


 踏み込む。


 その瞬間、スライムの体がぶわりと膨らんだ。俺を包み込もうとしているのだろう。粘液の表面が大きく広がり、波紋のように触手が増殖していく。


 普通のハンターなら、ここで後退する。


 だが俺は逆に距離を詰めた。


 巨大な体の中心へ。


 スライムは距離がある相手を捕らえるのは得意だが、懐に潜り込まれると途端に動きが鈍る。体が大きすぎるせいで、粘液の流れが追いつかないのだ。


 俺は重心を落とした。


 膝をわずかに沈め、腰を捻る。踏み込んだ足の裏で地面を噛み、体の軸を固定する。


 拳ではない。


 右手に握った黒鉄の大剣。その柄の末端を、短く握り直す。


 刃を振るう必要はない。


 今必要なのは、重さと衝撃だ。


 体を回す。


 ほんのわずかな動きだ。外から見れば、ただの小さなステップにしか見えないだろう。


 動くか動かないかの僅かな“揺れ”。その一歩の中に、体の回転、重心移動、脚の踏み込み、肩の開き、すべてを詰め込む。


 力を溜めない。


 溜めれば動きは読まれる。


 流れの中でそのまま打ち込む。


 最短距離の打突。


 柄の先端が、スライムの体へと突き込まれた。


 鈍い音が、空洞の奥へ低く響く。


 ぐにゃり、と。


 水袋を思いきり叩いたときのような感触が腕に返ってきた。


 衝撃は粘液の層を押し分け、内部へと潜り込む。透明な体の奥で揺れていた青い光が大きく震え、まるで湖面に石を落としたように波紋が広がった。


 スライムの巨体が、ぐらりと歪む。


 粘液の表面が大きく波打ち、体の形が崩れた。触手が数本、制御を失ったように垂れ下がる。


 崩れきらないが、感触としてはまずまずだな。


 すぐに粘液が流れを取り戻し、形を元に戻そうとする。内部の光もまた、ゆっくりと中心へ集まり始めていた。


 俺は一歩下がる。


 距離を取りながら、その動きを観察する。


 予想通りだ。


 スライムは打撃に強い。衝撃を受けても粘液が流れて分散し、体を再構成する。普通の剣士なら「効かない」と判断するだろう。


 しかし、効いていないわけじゃない。


 粘液の流れが、確実に変わっている。


 俺は小さく息を吐いた。


 これでいい。


 最初から核を狙う必要はない。


 むしろそれでは台無しになる。


 これは戦闘であると同時に――調理だ。


 スライムの体はただの魔物の肉じゃない。粘液そのものが魔力を含んだ特殊な組織で、扱い方を間違えれば味も質も一気に落ちる。


 いきなり核を壊せば、魔力が暴走して粘液が崩れる。


 そうなれば食材としては二流だ。


 だからまず、体を整える。


 刺激を与える。


 粘液の流れを変え、内部の魔力を動かす。


 肉を叩いて繊維を解くのと同じ理屈だ。


 俺は再び踏み込んだ。


 スライムが警戒するように体を広げる。粘液が波打ち、触手が四方へ伸びる。包囲するつもりらしい。


 動きとしてはかなり遅い。


 俺は足を滑らせるように横へ回り込む。湿った床の上で重心を低く保ち、触手の合間を縫って体を滑り込ませる。


 背後。


 スライムの巨体がこちらを向き直るより早く、俺はもう次の一撃の体勢に入っていた。


 腰を切る。


 肩を開く。


 大剣の柄を逆手に持ち替え、今度は横から叩きつける。


 衝撃。


 ぐしゃり、と粘液が潰れる感触が腕を震わせる。


 青い光が体内で弾け、波のような揺れがスライム全体へ広がった。巨大な体が左右に大きく揺れ、触手がばらばらに動き始める。


 空洞の中で、粘液が揺れる音だけが響く。


 ぬちゃり、ぬちゃり、と。


 まるで巨大な水槽の中で何かが暴れているような音だ。


 内部の光――核の位置も、さっきよりはっきり見えるようになった。


 俺は体勢を整えながら、それを見つめた。


 まだだ。


 もう少し刺激を与える。


 粘液が完全にほぐれるまで。


 核を断つのは、その後でいい。


 料理は焦らない方がうまくいく。


 特に、こんな珍しい食材ならなおさらだ。


 俺はゆっくりと剣を握り直し、再びスライムの中心を見据えた。


 そこにある。


 この個体の、本当の味を決める部分が。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ