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竜王ですが?  作者: 平木明日香
第一章 旅立ち
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第12話 未開の地



 焚き火の火が落ち着き、川の音だけが渓谷に響くころ、俺は炎を眺めながら、あの王女のことを考えていた。


 おそらく、あの王女も複雑な政治事情の中に揉まれているのだろう。“次期聖王”という肩書きは、あの年齢で背負うにはあまりにも重すぎる。もちろん実際に王位に就くのは何十年も先の話なのだろうが、それでも「いずれ自分がこの国を背負う」という前提で育てられるというのは、常人には想像もつかない圧力だ。言葉一つ、所作一つが未来の王として見られ、失敗すら許されない環境で生きるのは息が詰まるに違いない。


 しかしだからといって逃げ場があるわけでもない。一貴族の令嬢なら、国外へ嫁ぐなり隠居するなり、選択肢は色々とあるだろう。しかし彼女は違う。立場が立場だ。六環均衡の柱の一つである光の大陸の次期聖王候補。世界中どこへ行こうと、その肩書きは消えない。王都を離れ、山岳地帯へ出たところで王族である事実は変わらない。


 焚き火の向こう側に白い影が揺れる。王女は少し離れた岩に腰を下ろし、川面を見つめているようだった。侍女はその背後に立ち、周囲を警戒している。


 やがて、その侍女が静かに歩み出てきた。暗闇の中から姿を現し、焚き火の光が彼女の横顔を照らす。歳は二十代後半といったところか。長身で無駄のない体つき。歩き方一つで鍛え上げられた剣士だとわかる。


 ふむ、と俺は内心で頷く。あの王女が「王国一の剣士」と言っていたのは誇張ではないらしい。腰の剣は飾りではなく、実戦を潜り抜けてきた者の風格がある。


 彼女はマントを脱ぎ、俺の前で静かに膝をついた。


「ご無理を承知で申し上げますが」


 声は落ち着いているが、どこか切実さが滲んでいる。


「ほんの少しの間、旅をお共させていただけないでしょうか」


 俺は焚き火の向こうから彼女を見下ろし、ゆっくりと首を横に振った。


「さっきも言ったが、面倒ごとはごめんだ」


 声を荒げるつもりはないが、はっきりと拒絶の意思を示す。


「どんな事情があるにせよ、無理なものは無理だ。俺は護衛でも教師でもないし、王族の問題に首を突っ込む気もない。金に興味はないし、困っていることもない」


 実際、その通りだ。今の俺は腹も満ちているし、行き先も決まっている。わざわざ政治の火種を背負い込む理由がない。


 侍女はしばらく沈黙したまま、焚き火の炎を見つめていた。揺れる火が彼女の瞳に映り込み、わずかに揺れる。


「あなたの邪魔は致しません」


 やがて、彼女は静かに言った。


「ただ、ほんの少しの間、王女様にこの広い世界を見ていただきたいのです」


 その言葉には主君への忠誠だけでなく、どこか個人的な願いが混じっているように聞こえた。


「王女様は幼い頃より、王宮の中で育たれました。聖林と議場、訓練場と礼拝堂。外の世界は、文献と報告書の中でしか知らないのです」


 彼女は顔を上げる。その目は真っ直ぐだった。


「いずれ王位に就かれるお方です。だからこそ机上の知識だけでなく、この世界の空気を、匂いを、音を、その目で見ていただきたいのです」


 俺は鼻で笑いそうになるのを抑えた。


「それなら、騎士団を連れて堂々と視察すればいい」


「それでは意味がありません」


 即座に返ってくる。


「視察は“見せられる世界”です。ですが今、王女様が見ているのは、あなたの歩く世界です。名もなき村の市場、山菜を守る法律、変異種の魔獣、野営の夜。そうしたものこそが、六環均衡の裏側を支えている現実なのです」


 焚き火の薪が崩れ、小さな火の粉が舞い上がる。


 俺は黙って彼女を見つめる。侍女の言葉は理屈としては理解できる。だが、それを俺が背負う義理はない。


「それに」


 彼女は一瞬だけ言葉を選び、続けた。


「あなたの近くにいれば、王女様は生き延びられると判断しました」


 その一言に、わずかに眉が動く。


「どういう意味だ」


「近年、各大陸で変異種が増え、政治的緊張も高まっています。王宮内も決して安全とは言えません。王女様を狙う勢力がないとは断言できないのです」


 六環均衡のひび。その影が、ここにも及んでいるということか。


「だからといって、俺に押し付けるな」


 低く言う。


「俺は自分の身しか守らない」


「承知しております」


 彼女は再び頭を下げた。


「ですから、守れとは申しません。ただ、同行を許していただきたいのです。危険があれば、我々は我々で対処いたします」


 王国一の剣士。その自負がにじむ言い方だった。


 俺は深く息を吐く。川の流れが絶え間なく音を立てている。世界は動いている。六環均衡は揺らぎ、変異種は増え、王女は城を抜け出した。


「……ほんの少しの間、か」


 口の中で繰り返す。


 俺の旅は誰かを導くためのものではない。だがここで追い払っても、彼女たちは勝手についてくるだろう。ならば、目の届く範囲に置いたほうが面倒は少ないのかもしれない。


 炎の向こうで、王女がこちらを見ている気配がする。


 俺はまだ、答えを出していなかった。



 ――「広い世界を見てみたい」、か。



 侍女の言葉を反芻しながら、俺は焚き火の炎を見つめていた。川のせせらぎと薪の爆ぜる音が、渓谷の夜に溶け込んでいる。あの王女の横顔は、炎の向こうで静かに揺れている。


 そういえば、俺が旅を始めたきっかけも突き詰めればそんな感情だったのかもしれない。三年前、初めて自分で討伐した魔獣の肉を焼き、その味に衝撃を受けたあの夜。あのとき俺は思った。この広い世界には、まだ知らない旨いものがどれだけあるのだろう、――と。あの海を渡れば、あの山を越えれば、未知の味が待っているのではないかと、何度考えたかわからない。


 旅の動機としてはあまりにもありふれているし、言葉にすれば曖昧だ。ただ「世界を見たい」という気持ちは、理屈ではなく衝動に近い。地図の上の空白が気になり、報告書の片隅に書かれた未確認個体という文字に胸がざわつく。あの山の向こうには何があるのか、あの海の底にはどんな生き物がいるのか。そう思い続けて、気がつけば六大陸を渡り歩いていた。


 だから、王女の言葉がまったく理解できないわけではない。


 しかし理解と納得は全くの別物だ。


「……綺麗事だな」


 俺は低く呟く。


 広い世界を見たいというのは、確かに聞こえはいい。だが、ようはそれは単なる口実ではないのか。息苦しい王宮から逃げ出したい、そのための理由づけの一つに過ぎないのではないか。


 彼女の立場なら、今後嫌でも世界の広さと重さを目の当たりにすることになるだろう。六環均衡の柱として魔導府の中枢に座り、各大陸の代表と交渉し、零界核の運用を決断する。机の上の書類一枚で、何万、何十万の命運を左右する立場だ。望む望まないに関わらず、広大な世界は自ずと彼女の前に現れる。


 ならば今、無理に飛び出す必要があるのか。


「旅に出るなら勝手にすればいい」


 俺は焚き火越しに侍女を見る。


「俺の力を借りなくても、方法はいくらでもあるだろう。護衛を増やすなり、身分を隠して商隊に紛れるなり」


 話を打ち切るつもりで、立ち上がろうとしたそのときだった。


「あなたのことは、色々と調べさせていただきました」


 侍女の声が、わずかに含みを帯びる。


 俺はぴくりと耳を動かした。クルルが低く喉を鳴らす。


「世界中で未知なる“味”を求めている放浪ハンターだと」


 焚き火の炎が、彼女の瞳に反射している。あえて“味”という言葉を強調したのがわかる。


 ……なるほど。


 俺の反応を見逃さなかったのだろう。侍女は静かに続ける。


「あなたにも、まだ訪れていない“未開の地”があるのではないですか?」


 その言葉に、胸の奥がわずかにざわつく。


 未開の地。


 六大陸は一応すべて踏破した。だが完全に踏み込んだわけではない。禁足地、封印区画、魔導府直轄の保護区域。地図に載らない空白は、まだいくつもある。


 俺は黙っている。侍女は一歩踏み込んだ。


「私たち光の国の王族であれば、その地へと連れていくことも可能です」


 川の音が一瞬遠のいたように感じた。


「……どういう意味だ」


 声が低くなる。


「魔導府直轄区域の一部は、各大陸の中枢王家のみが立ち入ることを許されています。光の大陸にも、一般のハンターが決して足を踏み入れられない領域がございます」


 禁足の聖林、零界核に連なる封印区画、古代遺構が眠る地下回廊。噂だけは聞いたことがある。だが正式な許可なしに近づけば、騎士団どころか魔導府直属の部隊が出てくる。


「そこには、記録にない魔獣や、古代より残る未知の生態系が存在すると言われています」


 侍女の声は穏やかだが、狙いは明確だ。


「あなたが求める“未知なる味”も、きっと」


 そこで言葉を切る。


 ずるい言い方だ、と内心で舌打ちする。しかし否定できない自分がいる。


 六大陸を巡ったと言っても、俺が見たのは“許可された世界”だ。魔導府の管理下にある区域、各国の法に守られた自然。その外側にあるものは、まだ触れていない。


 未開の地。


 そこにどんな魔獣がいるのか、どんな肉質をしているのか、どんな香りがするのか。想像するだけで、胸の奥がわずかに熱を帯びる。


 俺は侍女を睨む。


「それが本当なら、危険も桁違いだろうな」


「承知の上です」


 即答だった。


 王女が立ち上がり、こちらへ数歩近づく。フードの奥の瞳が、炎に照らされている。


「私は、世界を知りたいのです。ただ守られるだけではなく、この国が支えているものを、この目で」


 理想論かもしれない。だが、その瞳に嘘は見えない。



 未開の地か。



 俺の旅は、腹を満たすために始まった。しかし気づけば、世界そのものに触れるための旅になっていたのかもしれない。


 焚き火がぱちりと音を立てる。


 答えはまだ出ていないが、侍女の言葉は確実に俺の中の何かを揺らしていた。


 未開の地とは何か。


 その言葉が、夜の渓谷に重く落ちる。

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