原初の六環と、竜の時代の叙事詩
はるか昔。
まだ空に名がなく、大地に境がなかった頃、この星はただひとつの呼吸だけをしていた。
風はどこから生まれたのでもなく、海はどこへ流れるのでもなかった。山は隆起せず、谷もまた落ち込まない。高みと低みの区別すらなく、重さは軽さと溶け合い、熱は冷たさを拒まず、光は闇と背中合わせに静かに眠っていた。流れは形を持たず、形は流れを縛らなかった。始まりも終わりもなく、すべては揺らぎのない円環のなかにあり、ただひとつの鼓動としてそこに在った。
その鼓動こそがこの星の本質であり、世界の正体であった。
海も空も山も、まだ分かれてはいなかった。六つに数えられるはずの力は互いに溶け合い、区別を持たぬまま、ひとつの流れとして巡っていた。火は燃えながらも焼き尽くさず、水は満ちながらも溺れさせず、風は動きながらも乱さず、土は支えながらも縛らなかった。光は照らしながらも裁かず、闇は抱きながらも侵さなかった。
すべては一つの意志であり、ひとつの記憶であり、そしてひとつの存在であった。
その中心に在ったのが――竜である。
竜は生き物ではなかった。翼をはためかせて空を翔ける獣ではなく、牙をもって獲物を裂く捕食者でもなかった。竜とは、この星の在り方そのものであり、法であり、光であり、重さであり、熱であり、闇であった。この星に「在る」ということは、すなわち竜の内に在るということと同義であり、竜の外に世界は存在しなかった。
六つの力は、やがて六つの姿をとった。火を司る竜、水を宿す竜、風を抱く竜、土を支える竜、光を映す竜、闇を呑む竜。人は後にそれらを六竜王と呼ぶ。しかしその六頭は、別々の王ではなかった。六つでありながら、ひとつの統合体。六頭の竜が環を成し、尾を噛み合い、星を抱くように眠る姿こそが、世界の真なる姿であった。
その鱗はやがて大陸となり、その血は海となり、その吐息は風となり、その骨は山脈となり、その瞳は光となり、その影は闇となった。世界は竜の身体であり、竜は世界の記憶であった。大陸は六つに見えようとも、それらは断絶してはいなかった。火の大地は水の鼓動と繋がり、風の空は土の根に触れ、光と闇は同じ地平を分かち合っていた。
境界は存在しなかった。善も悪も、生も死も、区別される以前の概念にすぎなかった。死とは終わりではなく、生とは始まりではない。すべては循環し、すべては記憶として還り、再び竜の内に溶けていった。魂というものは、まだなかった。個は存在せず、ただ全体があった。痛みは共有され、歓びもまた共有された。ひとつが震えれば、すべてが震え、ひとつが満ちれば、すべてが満ちた。それは安寧であり、完全であり、永遠であった。
だが、完全なるものには、やがて微かな揺らぎが生まれる。
星は、ひとつの問いを抱いたのだ。
もし、分かたれたならば、と。
それは最初、ささやきにすぎなかった。光の端に浮かぶかすかな影。水面に走る小さな波紋。六竜王のうち、誰かが夢を見た。あるいは、六つすべてが同時に、同じ夢を見たのかもしれない。それは分離の夢であった。ひとつではなく、それぞれが別々に在る夢。火が単独で燃え上がり、水が独りで流れ、光が単体で輝き、闇が孤独に沈む夢。
その夢は、やがて記憶となった。記憶は重なり、重なりは歪みを生んだ。歪みは環の内側で波となり、波は鼓動を乱し、乱れは衝撃へと変わった。統合された円環のわずかな綻びが、星全体を震わせた。
そして、爆ぜた。
それは後に大分岐と呼ばれる。竜の統合は裂け、六つの力は初めて互いを“他”として認識した。火は燃えすぎ、水は溢れ、風は荒れ、土は砕け、光は眩み、闇は深まった。六つは六つであることを自覚し、同時に、ひとつであった時代を失った。
分かたれた力の破片は、星の海へと降り注いだ。砕け散った竜の記憶は微細な粒となり、漂い、沈み、やがて新たな器を求めた。こうして世界には、はじめて“個”が芽吹いた。全体から切り離された小さな記憶。それが後に魂と呼ばれるものの萌芽である。
かつて世界は竜であった。だが分かたれた今、世界は無数の記憶を宿す舞台となった。統合の時代は終わり、分離の時代が始まる。六大陸は真に隔たり、境界が生まれ、善悪が語られ、生と死が区別されるようになる。
それでもなお、星の深奥には、かつての円環の残響が眠っている。六竜王は完全には消えていない。尾を噛み合うあの姿は、記憶の底で今も静かに環を成している。
いつか再び、すべてがひとつに還るのか。それとも分かたれたまま、新たな道を歩むのか。その答えを知る者はいない。ただ確かなのは、この世界がかつてひとつであり、そして分かたれたという事実だけである。
物語は、その分岐の先に生きる者たちの物語である。




