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敬意としての沈黙-深夜番組「シンフォニア・ミッドナイト」の三十秒-  作者: NOVENG MUSiQ


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第5話:『友情の更新――痛みを分け合う三十秒』

 コーヒーの匂いが薄い。香りの粒子すら、この密室の緊張に押し返されている。わたくしの指先はペンの軸を冷たく撫でる。インクはまだ出ていない。


 梟臣は窓の外を眺めていた。夜のビルの窓明かりは、点滅する記号列に見える。

 梟臣「僕らの電波は、あの光と混ざって、どこかへ消えていく」

 コーヴィン「消えないさ。反響する。空間を反射して、見えない形で戻ってくる。時々、予期せぬ形で」


 猟斗はスイッチを一つずつ確かめる。クリックという小さな音が、他の雑音を消す。

 猟斗「……音の不在は、音の存在と同じくらい、慎重に扱うべきです」

 祈麟「……ええ、そうね」


 梟臣「一度、区切ろう。怒りじゃなく、痛みで」


 わたくしはペンを置き、原稿の余白に打った小さな点を見る。猟斗の肩は、いつもの半分だけ落ちている。

 祈麟「……猟斗くん」

 彼はゆっくりと顔を上げる。涙はない。疲労が埃のように積もっている。

 猟斗「……なんでも、ありません」

 嘘ではない。嘘を嫌う彼なりの、ぎりぎりの誠実だ。だが、隠すという行為にも、べつの誠実がある。


 猟斗は言葉を選ばずに、機材語をこぼした。

 猟斗「コンプレッサーのスレッショルドを下げました。ピークを抑えるために……でも、一瞬、ゲインを落としすぎて」

 続けて、視線をミキサーの細い溝に落とす。

 猟斗「フェーダーの動きは0.1dB刻みで記録しています。ログに全部、残ってる。だから、僕が——」

 梟臣「もういい」

 梟臣の声は鎖ではなく、布で包んだ重石みたいに落ちた。

 梟臣「犯人探しはしない。所在を突き止めるんじゃない。痛みを分けるんだ」


 コーヴィン「つまり、あの沈黙は事故でなく、痛みの表出だった、と」

 猟斗「……痛み、ですか」

 祈麟「ええ」


 しばらくして、彼は真正面から言った。

 猟斗「……スポンサーに改善案を、匿名で送りました。音を良くするために、外から圧をかければ動けると思った。番組を守るつもりのミスでした」

 言葉は音響室の壁に吸われ、温度だけが残る。

 梟臣「そうか」

 コーヴィン「だから『サウンド・キューブ』が出たわけだ」

 猟斗は深くうなずく。動きの中に、重さと解放が同居していた。


 祈麟「……それは罪じゃない」

 わたくしはペンを取り、余白に点をもう一つ置く。友情の更新の印だ。

 祈麟「それは、わたくしたちの友情の、新しい形だ。あなたの善意が、わたくしたちをここまで連れてきた。そして、あなたの告白が、わたくしたちをここに留める」


 梟臣「ああ、その通りだ」


 コーヴィン「なら、窓口は閉じよう。外からの仮面は終わり。これからは、この密室で、顔を合わせて、痛みを分かち合う。それが、われわれの新しいルールだ」

 猟斗は顔を上げる。瞳の曇りは消え、静かな決意の光だけが残った。

 猟斗「……はい」


 約束ではない。確認でもない。共有された事実だけが、机の上に置かれる。

 コーヴィンは窓に手を当て、ガラスの冷たさを測る。街の灯は、水面に落ちたインクのように輪郭がにじむ。

 コーヴィン「この都市は、無数の物語でできている。だが、そのほとんどは、語られずに消えていく。俺たちが送る電波も、その一つだ。だが今夜、俺たちはその消えゆく物語の断片に、光を当てようとした。善意という名のレンズで。だが、光が強すぎた。物語は焼けてしまった」

 梟臣「でも、描き直せる」

 祈麟「ええ。白紙に戻すのは簡単じゃない。でも、それしか道がない」


 机の上に紙コップが四つ。不揃いの円が並ぶ。

 祈麟「……わたくしたちの友情は、この円に似てる。揃っていない。でも、並んでいる。それでいい」


 猟斗はスイッチを一つ、一つ、確かめる。クリック、クリック。今夜もっとも確かな音だ。

 梟臣は深く息を吸い、マイクに向かう。瞳にためらいはない。

 梟臣「――今宵、僕らは沈黙を捧げる。敬意として。友情として」


 言葉はそこまで。赤いランプが灯る。血色の円が壁に浅く張り付く。

 猟斗の指がフェーダーをゆっくり下ろす。空調の低周波だけが残り、やがてそれさえ薄まる。完全ではない静寂。四人の呼吸が、密室に細い時間を刻む。


 沈黙が、わたくしたちを包む。

 猟斗の操作に震えはない。指先には、意志の重さが宿る。コーヴィンは夜景に視線を置き、横顔から諧謔が消える。梟臣の背筋はまっすぐで、この部屋の支柱になる。


 わたくしはペンを手に取り、何も書かない。白紙に向き合う。恐怖の表出ではない。これから始まる物語への、静かな期待だ。


 この三十秒は、番組の時間では短い。けれど、わたくしたちには十分だ。

 語らないことを、いまはいっしょに選ぶ。

——それが、わたくしたちの答えである。

 お読みいただきありがとうございます。


 本作は、原作『宇宙会議の空白』と同じ登場人物で、深夜ラジオという地上の密室に置き換えて再構成したスピンオフ的テキストです。原作そのものは Tales にて公開中です。

https://tales.note.com/noveng_musiq/wpojc6zc3guf5


 感想・レビュー・ブックマーク・誤字報告は、次回以降の推進力になります。

それでは、次の更新でまたお会いしましょう。

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