第4話:『遅くなる訓練――内部呼称』
赤いランプが灯る。血色は薄く、舞台照明よりも業務用の色合い。わたくしたちは、その赤の下でテスト版三十秒を始める。
梟臣「今夜、僕らは——敬意としての沈黙を、三十秒だけ送る」
声は鎖を鳴らさない。床のゴム足、机のエッジ、紙の毛羽。猟斗の指がゆっくりフェーダーを落とす。空調の低周波だけが残り、やがてそれさえ薄まる。完全ではない静寂。四人の呼吸が、密室に細い時間を刻む。
三十秒。
梟臣「——戻る。ここから続ける」
フェーダーが上がる。赤は灯ったまま、空気の密度だけが少し軽くなる。
スマートフォンが震える。通知の光が四つの影を浅く伸ばす。タイムラインには『美しい』『意味不明』『不謹慎』『眠れた』が混在して流れる。混沌は、生きている証拠だ。
祈麟「……それでも、聞いていた」
猟斗は手の甲を見つめる。震えていない自分の指に、驚きが遅れて届く。
会議室へ戻る。プリンターの余熱にインクの匂いが混ざる。
編成部長「君たちは、何をやっている! スポンサーの半分が撤退、残りも様子見だ。数字はさらに落ち込んでいる。説明は?」
報告書二枚のグラフが、薄い刃のように重なる。古い方の断崖を、指が無意識になぞる。
祈麟「……説明は、いりません。わたくしたちは、やるだけです」
編成部長は口を閉ざす。沈黙が、また書式になる。
コーヴィン「これは打ち切りの予告じゃない。新しい形式の開幕だ」
梟臣「……違う。僕らの友情の形だ」
猟斗「……はい」
部長は短く息を吐く。
編成部長「次で戻らなければ終わりだ」
とだけ残して、出ていった。
去り際のドアの音が、静けさの核になる。机上の紙束は熱を失い、匂いだけが無機質に広がる。
コーヴィンが一枚の紙を指先で叩く。匿名苦情の要約。そこに一語——サウンド・キューブ。
コーヴィン「一般のリスナーは知らないはずの内部呼称だ。中の誰かの言葉遣いが混じっている」
視線が自然と音響室の隅に向く。小型防音箱。モニターと最低限のミキサー。猟斗の点検の巣。
梟臣「だから何だ。犯人探しをするのか」
コーヴィン「違う。これは悪意というより、歪んだ善意だ。守るために、外から圧を装うやり方」
祈麟はその言葉を口の中で転がす。甘くて苦い。腐りかけの果実の味。
祈麟「……余白の設計をやり直しましょう。台本は、単なる言葉の配列ではない。沈黙の領域を区切るための、設計図です」
白紙に小さな点を打つ。沈黙の起点。リスナーはそこに自分の物語を書く。わたくしたちは、場所を用意するだけ。
梟臣「もう一度やる。三十秒を定例化する」
猟斗「……僕がやります」
コーヴィン「面白い。これは最後の賭けだ」
打ち合わせが散り、各自の端末が微かに鳴る。そのとき、私のPCの端で封筒のアイコンが点滅した。開くと、見慣れたはずのない断片が画面に滲む。
——『沈黙は未判断の共有』『敬意としての沈黙』。
——末尾に機材ログの貼り付け。
祈麟「……あれ」
梟臣「どうした」
ウィンドウを閉じる。指先に、金属が酸化したみたいな匂いが残る。
祈麟「……広報の定例です」
自分の声が、異物のように耳に返る。嘘だ。一番嫌う種類の。
コーヴィンは問いを重ねない。窓の外に視線を流し、横顔に薄い光を置いた。断定はしない。今夜の規則だ。
スタジオに戻る。赤いランプが浅く灯る。
梟臣「今宵、僕らは沈黙を——もう一度、捧げる」
祈麟「未判断を、いっしょに持つために」
コーヴィン「意味は後からでいい。態度は今伝える」
猟斗の指がフェーダーを押し下げる。空調の吐息、紙の擦れ、ヘッドバンドの圧。三十秒が、ふたたび細い橋になる。
終われば、また準備だ。余白の配分、責任の配分。答えは決めないまま、段取りだけが前に進む。
——遅くなる訓練は、ここから本番だ。




