第6話 復讐という言葉
「俺は、アルノ家に復讐をしたい」
握りしめていた手首に爪を突き立てる。カイルの放つ物々しい雰囲気に負けじと、リュネは静かに言葉を選んだ。
「……どうして?」
「は?」
「なぜ、あなたは復讐をしたいの?」
カイルの顔が歪む。整った顔が、全力で『怒り』を表している。その気迫に、リュネはくちびるを噛んだ。
気圧されるな。びりびりと尖った空気を肌で感じながら、そう頭の中で言い聞かせる。
カイルの、狼のようなまなこが、ぎろりとにらみつけていた。
「言う必要があるか?」
「あるわ。理由も知らないまま、許すことはできない」
「『赦しの魔女』のくせに?」
「……わたし、何でもかんでも許すわけじゃないのよ」
ひとつ選択肢を間違えれば、壊れそうな空間。重々しい空気が、室内を満たしている。
と、カイルは長く息を吐くと、緩慢な動きで背中を指さした。
「……じゃあ、この傷だ」
額の汗を指で払い、彼は気だるそうに続ける。
「俺を斬りつけてきたのは、アルノ家の刺客だ。夜道で、後ろから急に襲ってきた」
「そうなの」
「そうだ。北の街道あたりを根城にしてる、傭兵崩れの連中さ。始末屋って呼ばれてて、以前からアルノ家に都合の悪い奴らを始末して、金を貰っていたんだ。で、そいつらにやられた」
それが作り話でないことは、残念なことにセレスティアの記憶が裏付けていた。時々屋敷で見えた、あの野蛮そうな男たち。あれが、彼の話す連中のことだったのだろう。
「どうだ? 復讐するにはうってつけの理由だろ」
「……そうね」
「だから、俺の復讐を許してくれるか。『赦しの魔女』さまは」
それ以上話すことなんてない。
態度から、そう言っているのが聞こえた。それきり、カイルは口を閉じ、ぐったりした身体を辛うじて支えている。
リュネはそれをまっすぐ見つめて、一言一言を確かめるようにつぶやいた。
「カイル。あなたの言葉に嘘はないと信じるわ。でも、復讐って、何をするつもりなの?」
「そんなの、決まってるだろ……あの家に関わるやつは、全員殺す」
「その後は? そんな大勢を殺せば、あなたは必ず罪に問われるわ。間違いなく死刑よ。そこまでする価値があるというの?」
「うるせえな!」
怒鳴り声と、机を叩く音。カイルの表情が、一瞬怯えた子どものように歪む。が、彼はすぐ自嘲するように口角を上げて、髪を掻きむしった。
「なんだよ……やっぱり、はなから許す気なんて無いんじゃないか。くそっ」
もういい。そう言うや否や、カイルはぐらりと立ち上がる。リュネは慌てて彼の腕を引いた。
「待って。カイル」
「もうお前に用はない。じゃあな、魔女さま」
「待ちなさい」
腕を強く引く。カイルの顔が振り向く。その顔が、あんまりに迷子になった幼い子のようで。リュネは戸惑いの中、静かに、けれどはっきりと言い放った。
「そんな状態で、復讐なんてできると思ってるの? その判断が出来ていない時点で、今のあなたには無理よ」
「うるさい……離せ」
「離しません。あなたは、わたしが救った命。たとえ本人であろうと、無駄遣いなんて絶対にさせないわ」
指に力を込める。窓やドアの隙間から吹き込む風が、スカートの裾をちらちらと揺らす。リュネは黙りこくったまま、彼の腕を引き続けた。
その後、カイルはしばらく言葉を探していたようだったが……身体の方が限界だったのだろう。崩れるようにしゃがみ込んでしまった。リュネはその腋に腕を突っ込み、なんとか彼の部屋に運ぶ。
ベッドに寝かせると、もう既に彼の視線は虚ろでぼんやりしていて。汗で濡れてしまった前髪を掻き分けてやる。
「薬を持ってくるから。まだ眠らないで」
「……苦いのは嫌だ」
「よく効く薬は苦いのよ。復讐したくば、まず身体を治しなさい」
彼はもう、薬の味に文句を言う余力もなかったらしい。回復薬を飲ませた直後、ことりと眠りについた。部屋に瘴気避けの魔法をかけ、毛布をもう一枚重ねる。
「……もう」
先ほどまでの、殺伐とした雰囲気が嘘のようだ。こんこんと眠る彼は、はじめからそういう生き物のように静まり返っている。
「大丈夫よ。そんなに急がなくても」
リュネは再び彼の汗を拭いてやり、そっとつぶやいていた。
「……あの家は、そんなすぐに消えやしないわ」
☆☆☆
(……カイルは、アルノ家と何らかの因縁があるのね)
あの黒髪と琥珀の目で、何となく察しがつく。彼の容姿はアルノ家特有のそれで——かつて、セレスティアもまた、同じ黒髪と金の目を持っていた。
あの家は結局、今もなお、身内を喰らって生きている。カイルの憎悪はその証だ。
「……復讐、か」
リュネは、その言葉を口で転がす。その重くてどろりとした、得も言えぬ甘美な響き。抗えない欲望のように、頭の中を占めていく。
復讐。セレスティアを無慈悲に切り捨てた、アルノ家への報復。リュネが今まで、見向きもしなかった選択肢。
カイルは、それを果たそうとする武器なのではないか。
(もし、彼を許したら……わたしは、セレスティアのことを許せるようになるのかしら?)
アルノの血を根絶やしにする望みを許し、カイルに協力して全てを亡きものにしていけば。
自分にはその力がある。セレスティアの無念を晴らし、カイルの悲願をも叶えられる、大いなる力が。
そんな想像が膨らみ——リュネは首を横に振った。
違う。
違う。違う。違う!
「……わたしは、わたしのしたいように生きるの」
刻みつけるように、つぶやく。セレスティアの最期の願い。言いなりになってその果てに殺された、哀れで愚かな『わたし』の希望。
リュネが、絶対に失ってはならない誓い。
復讐を許すことは、まだできない。カイルが、なぜそこまで執念を燃やしているのか分からないから。根絶やしにしたいと思うまでの重さを理解できていないから。
彼が復讐を果たした後の未来が、何も見えないから。
彼の言いなりに、復讐することを許すことは出来ない。
けれど。
(それを分かったときが……あなたの事を赦すときなのかもしれないわね、カイル)
リュネはカップの中を飲み干す。すっかり冷めきった薬草茶が、苦く喉をつついた。