第6話 旅立ちと、底辺の灯火
冬空の朝。曇天の下、解体ギルド【ハンマーの灯】の作業場には、いつものように乾いた金槌の音が響いていた。
だがその日は、少しだけ違った……。
「……ほんとに行くのか、ユーリ、今まで悪かったな。役立たずなんて言ってよ」
先輩グランが、鉄片を磨きながらぽつりと言った。
「帝都なんて場所、お前みたいな雑用係が歩く道じゃねぇ。俺たちのように底でしか生きられねぇ者もいる」
「分かってます。でも、俺…… 自分に一体何が出来るのか、確かめたいんです」
ユーリは自分の左目を指で示した。そこに浮かぶは解析眼―― 遺物や構造の欠損や歪みを可視化する能力。はじめは厄介なだけだったスキルが、今や彼の世界を変え始めていた。
「しかしまさかお前が、スキル持ちだったなんてよぉ、一体なんのスキルなんだそれは」
「良く分らないんです。だから確かめに行ってきます」
「どうせまた、どっかの権力者に利用されて捨てられるだけだ」
「それでも、自分の意志で選びたい。これからの事も」
作業場の隅では、仲間たちが遠巻きに見つめていた。
最下層の解体ギルド。名も無き道具直しや廃材整理の職人たち。泥にまみれ、笑われ、見下され、それでも地に足をつけて生きていた人々。辛くあたられた事もあったが、もう恨んではいなかった。
「……じゃあ、これを持って行け、俺達から今までの詫びの印だ」
グランは黙って、手のひらほどの工具箱と保護メガネ、そして新品の腰道具を差し出した。
「帝都のもんは何でも新しいものばかり使いたがる。だが本当に優れた技術者は、古いものを直せる奴だ」
ユーリは受け取りながら、深く頭を下げた。
「今まで、お世話になりました。そしてまたいつか…… 」
――こうして、彼は故郷の解体ギルドを背に、帝都へと旅立つことになった。
※※※
同行するのは、赤いコートを纏う女戦士フィリス=ロウ=ヴァレンタイン。帝都にある魔導研究機関とつながりを持ち、【煌刃連盟】所属の傭兵でもある。
「この街道を真っ直ぐ南へ三日。途中、黒ギルドの気配があれば即対応する」
「黒ギルドって……? 」
「例えば、『鉄爪の残響』遺物専門の盗掘ギルドよ。古代魔導に関わる者は、無条件で狙われる」
ユーリは荷物を担ぎながら、乾いた街道を踏みしめた。頭上には重たい灰色の雲。遠くでカラスが一羽、虚ろに鳴いていた。
「なんか、旅って華やかじゃないんですね…… 」
「現実の旅は、足が痛くなって、風が冷たくて、盗賊に命を狙われるものよ」
フィリスは笑いもせず言ったが、その瞳は真っ直ぐ前だけを見ていた。
※※※
二日目の夜。街道の脇にある旅人宿【風の宿り】に到着した。
石造りの小さな建物で、暖炉のある共有スペースにはすでに数人の旅人が酒を飲んでいた。ユーリとフィリスは片隅の席に腰を下ろし、夕食の豆シチューを啜った。
「明日は帝都か…… 」
「最後の街道が一番危険。今夜も気は抜けない」
その言葉を裏付けるように、宿の外には不穏な気配が漂っていた。
「……三人、こっちを見てるわ」
「黒ギルド? 」
「多分ね」
その瞬間、窓の外で小石が弾けた音がした。
「銃声⁉――― 」
フィリスが即座に剣に手を伸ばす。
「ユーリ、部屋に戻って鍵を―― 」
ガシャァン―――
窓ガラスが砕け、黒い影が突入してきた。
「ターゲット確認、特殊スキル保有者の確保優先」
男は顔を覆い、両手に刃のついた鉤爪を装着していた。
「くっ、逃げて――― 」
「無理だ、近すぎる」
ユーリは反射的に身を屈める。その瞬間、視界が青白く染まった。
(……見える⁉ )
男の動き、筋肉の収縮、足の重心――
―――すべてが構造として浮かび上がる。
(右足で踏み込む―― 次は左から来るのか? )
ユーリは身体をひねり、男の爪を間一髪で回避した。
「なっ――― 」
「甘いわね―― 」
フィリスの剣が、後方から男の肩を裂いた。
「くっ…… 護衛者、脅威認定。撤退する」
男は窓から逃げ出した。外で馬の蹄の音が鳴り、あっという間に遠ざかっていく。
「……助かった」
ユーリは汗をぬぐいながら、床にへたり込んだ。
「まさか攻撃の軌道が…… 視えてた⁉ 」
「はい…… たぶん、スキルの応用だと…… 人間の構造も視えるっていうか…… 」
「予測演算型のスキル進化ね。ちょっ、ちょっと待って、今、人間の構造って言った? はぁ…… 参ったわね。それは本格的に帝都の研究者に見せる価値があるわ」
ユーリは納得したように頷いた。
「でも同時に、分かっているだろうけど、もう後戻りできないという意味でもある」
「はい――― 」
※※※
翌朝―――。
二人は宿を出て、再び帝都を目指す。フィリスはギルド用の魔導通信で、襲撃の件を報告しつつ呟いた。
「鉄爪の残響が動いた。今後は常に狙われるわね…… 」
ユーリは立ち止まり、ふと振り返った。
北の方角――
自分がいた【ハンマーの灯】のある町を、遠くに感じる。
(俺は本当にここから、何かを変えられるのか? )
だがその背中を、あの工具箱の温もりがそっと支えてくれた。
(違う。あの場所があったからこそ、今の俺がある)
フィリスが歩を進める。
「行くわよ、ユーリ。帝都が――― あなたを待っている」
「……はい」
ユーリは一歩、また一歩と、未来へ踏み出した。
その瞳には、確かに新たな世界が映っていた。