第4話 温室の亡霊と、技術の継承者
アミナより渡された街への入場許可証を首に掛け、日の出とともにユーリは農耕ギルドの第二管理区画に足を運んでいた。
ここには今も現役の『魔導温室』が存在している。温度調節の魔導炉と光量を制御する反射結晶が連動し、四季を問わず農作物を育てられる高度な設備だ。
もっとも、今では使いこなせる技術者も少なく、動いているから触るなというのが現場の方針らしい。
だが、今回の依頼ではその『魔導温室』の一つが停止した。アミナの推薦がなければ、ユーリのような最底辺職に仕事が回ってくることはなかっただろう。
彼は温室前で立ち止まり、深く息を吐いた。
「これが…… 千年前の魔導温室か」
全体を覆う半透明の結晶ガラスは、経年の汚れこそあるものの、割れ一つない。扉の横には『第一世代カルディア式熱伝導炉』の銘板が埋め込まれていた。
ユーリは工具箱を肩から下ろし、解析眼を発動する。
「解析眼、起動」
視界が変わり内部に飛び込んでゆく。熱伝導炉の内部構造、経路、魔力流量、結晶ヒートコアの状態…… すべてが図面のように展開される。
──異常検出。ヒートコア第七層に魔素偏在。
──温度調整機構、左側分流器の接続断線。
「……なるほど。魔力供給は正常でも、調整器が働いてないから暴走を防ぐために自動停止してたのか」
ユーリは記憶の中の技術書を呼び出す。千年前の図面、倉庫で発掘した断片的な資料、そして解析眼からの情報。三つを突き合わせながら、修理計画を立てていく。
―――カン、カン、カン。
早朝の静寂の中に、金属を叩く音が響いた。温室の外で畑仕事をしていた若い農夫たちが、その音に気付き、こっそりと集まってくる。
「あれ…… あの作業着、解体班のヤツじゃねぇか? 」
「この間、畑の暴走装置を止めた奴だろ? 農耕ギルドの技術主任に楯突いたって噂の」
「へぇ、血気盛んなこったな。でもよぉ解体屋に修理なんか、どうやったって無理だろ? 何であんな奴呼んでんだよ」
「けど見ろよ…… あの目。あれ、ただの解体屋じゃねぇぞ」
ユーリの目は蒼く淡く光を帯びていた。解析眼は使い慣れてくるにつれ、より深く、より詳細に構造を読み解けるようになっていた。
「……異物発見。炉底部、第二層に外部パーツの混入」
ユーリは眉をひそめる。そこには明らかに後付けされた、現代技術の粗悪な魔導安定器が挟み込まれていた。
「誤魔化しの部品…… 誰かが、無理やり動かそうとしたな」
部品を取り外し、正規の千年前の部品の代替品を組み込む。炉心の再起動には慎重な魔力調整が必要だ。
「供給量、ゆっくり…… コア温度、三十五度…… よし」
そして──
―――温室が、光を帯びた。
結晶ガラスの内側に、淡い蒸気と光が満ちていく。凍えていた内部の空気が柔らかく変化し、再び命を育む環境が整った。
「すげぇ…… 」
農夫の一人が、ぽつりと呟く。
「千年前の技術を…… 底辺職の奴が、再起動させちまった…… 」
ユーリは作業を終え、工具箱を閉じた。
そのときだった―――。
後方から冷たい声が響いた。
「何をしているかと思えば」
振り返ると、ギルド技術主任・ハルザが立っていた。アミナもその背後で硬直している。
「その装置は、修理禁止の特別管理対象だ。勝手な分解修理は、農耕ギルドの規則に違反する」
「……停止してた。作物も全滅寸前だった。それに、修理記録も依頼票もある。違反ではないはずだ」
「依頼票? そんなもの、私の承認印はないはずだがな? 」
ハルザが目を細める―――
アミナが震えながら前に出た。
「わ、私が…… 推薦状を、ギルド補佐官に…… 」
「補佐官は正式な承認者ではない。お前たちは、ギルド規約を無視した」
静かに、しかし確実に責任を押し付けてくるその物言いに、ユーリは拳を握った。
「……なあ、ハルザさん。あんた、本当にこの魔導温室の構造を理解してるのか? 」
「なんだと? 」
「ヒートコア第七層が、どういう役割か知ってるか? 左側分流器が外れてた。それでも動いているから触るなって言うのか?」
「貴様に…… 何が分かる。解体屋は解体屋らしく廃材を区別してればいいんだ、修理班でも無い貴様が、勝手に許可も無くでしゃばるな」
ハルザの声が怒声に変わった。
「貴様を拘束し――― 憲兵に突き出してやる」
「やめて下さいハルザさん悪いのは私です」
アミナが止めに入った次の瞬間―――
「やめろ、ハルザ――― 」
声が響き、中年の男性が現れた。銀の縁取りの外套を着たその男に、周囲の農夫たちがざわめく。
「ギルド代表……!? 」
「事態はすでに監査対象だ。君の承認印が押された違法修理が多数発覚している。現場の若者に責任を擦りつけて済む話ではないぞ? 」
ギルド代表は、ハルザを鋭い目で睨む。
ハルザは何かを言おうとしたが、口をつぐんでその場を立ち去った。
状況確認後、代表はユーリに向き直った。
「君の修理記録、すべて確認させてもらった。視えているな? これは、凡人には無理な作業だ」
「……見えるだけです。まだ、自分の技術じゃ、追いつかないところばかりで」
「それでいい。君は、農耕ギルドの設備の一部を復活させた。これはもう無視できない事実であり才能だ。そうと分かれば、そんな君に依頼があるのだが、やってくれるか? 」
ギルド代表が差し出した巻物には、こう書かれていた。
【正式依頼:旧式温室炉の再現計画・調査協力】
【備考:千年前技術の再解析】
ユーリはその場で受け取った。
「俺にできるのは、視ることと、直すこと。それでも、誰かの暮らしに繋がるなら…… やってみます」
※※※
その夜。ユーリは倉庫に戻り、修理した温室の構造図を解析眼で記録しながら、自分の手帳にスケッチしていた。
「もっと…… 深く視ることができたら、きっと、まだ残ってる千年前の技術も、再起動できる」
解析眼の奥底に、時折ノイズのように浮かび上がる未読領域があった。
それはまるで、まだ目覚めていない機能のようだった。
ぼやけていた文字が鮮明になってゆく。
──人体解析可能領域、発見。
──生命維持系統:視認可能。
「……これは? なんだ? 」
不意に浮かび上がった解析領域に、ユーリの目が細められた。
心臓、神経系、筋肉繊維の劣化、治癒可能性。まるで人間そのものが、構造物であるかのように読み解ける。
「まさか…… この解析眼、生き物にも使えるのか? 」
物語は静かに、新たな扉を開き始めていた。