沉黙のカウントダウン
情熱を象徴する赤いチラシが、秋の落葉のように次々と積み重なり、静かな通りを覆っている。そよ風に乗って、チラシが軽やかに舞い上がる。かつて灰涯町の最も賑やかな商業地区だったこの場所も、今は人影もなく、ただ荒廃した街並みだけが残されている。
古びたバロック様式の建物の壁は色褪せ、店先のショーウィンドウは冷ややかな光を放ち、かつての栄華を物語るかのようだ。足元には、大麻の吸い殻が散らばり、法と秩序がすっかり形骸化してしまった現実を、ひそかに嘲っている。
一方、近くの高層ビルの外壁に設置された巨大な電子看板は、眠らぬ夜の中、ひたすら「生命カウントダウン法案」の宣伝映像を流している。
柔らかな口調で、しかしどこか冷たさも感じさせる女性の声が告げるのは、「生命の期限を選び、真の自由を手に入れよう」――
政府の方針を謳うには、これほど直接的な表現は避けるべきだろうに、という不思議な感覚を呼び起こす。
死が自然な終わりではなく、商品化され取引される時、社会の信用体系は崩れ去る。
人々は、残された僅かな時を取り戻そうと、無我夢中に消費に走る。高級品は瞬く間に完売し、賭博で借金が膨れ、闇金が横行する。かつて秩序が保たれていたはずの社会は、あっという間に崩壊の兆しを見せ始める。
そんな中、市の中心に位置する市民広場では、大規模な集会が開催されていた。壇上に立つ司会者は、熱い声でスローガンを叫ぶ。「命に値段なんて付けられはしない!」「こんな不条理を、今こそ終わらせよう!」
自称「反カウントダウン法案連盟」の一団は、法案が一般市民を搾取している現状を、怒りとともに非難する。
広場周囲の掲示板には、法案のせいで命を奪われた住民たちの名前が次々と貼られ、夕闇に浮かぶ淡い灯りの中で、静かに訴えを上げている。
観衆は、かすれた声で叫び、腕を振り上げ、熱く激しい感情をぶつけ合う。
一方、遠くにある指令センターの監視室では、制服姿の中年職員が机に足を乗せ、煙草をくわえながら、スクリーンに映る混沌とした群衆を眺める。
彼は、やや苦々しい笑みを浮かべながらつぶやく。「奴らは、ただの愚か者に過ぎん。多少の犠牲は仕方がないものだ。」
その背後では、部下たちが機械のようにキーボードを打ち、次々と警察側へ指示を送っている。彼らにとって、この騒動は単なる一幕にすぎなかったのだ。
広場の外れ、薄暗い影の中には、「反カウントダウン法案連盟」の白いワゴン車が数台、ひっそりと停車している。
渡辺聡はその一台に身を寄せ、窓越しに広がる混乱の様相をじっと見つめる。
彼の心には、ロックの『政府論』の一節がこだましていた。「もし政府が民の利益を搾取するならば、民にはそれに立ち向かう権利がある。」
生命カウントダウン法案が「自由」を新たな鎖へと変えてしまった今、果たして人々の理性はどこに消えたのか?
集会開始からわずか15分後、警察関係者が、あらかじめ待機していたかのように現場を包囲し始めた。
防爆シールドや警棒、制服姿の警官たちが、光を反射して冷たく輝く。
彼らは、過激派と疑われる一部のメンバーを逮捕しようとしていた。
これは単なる市民の抗議活動ではなく、より激しい対立の火種を内包しているかのようだ。
渡辺聡と仲間たちは、ワゴン車から降り、人混みに紛れて歩み出す。
そのとき、誰かが起爆スイッチに触れ、血のような抗議行動が始まった。
耳をつんざく爆発音、充満する煙、そして叫び声や怒号が、まるで地獄の情景のように広がっていく。
混沌の中、渡辺聡は爆弾を背負いながら、倒れた警官や悲鳴を上げる子供たちをかわして走る。
彼の視線が止まったのは、遠くに佇む一人の女性――
神崎暁美。彼女は、崩れかけた秩序の中で何とか身を保とうとしていたが、風に揺れる長い髪の隙間から、わずかに焦りが感じられた。
渡辺聡は一気に彼女に近づくと、混乱の騒音をかき消すかのように低く声をかけた。
「君も、爆弾を連れているのか?」
神崎暁美は震える声で、戸惑いと恐れを隠せずに応じる。
「頼む、信じてくれ。」
彼は、力強いが抑えた口調で続ける。
「一体、何を企んでいるんだ?」
彼女は無意識に一歩後ずさり、息を切らしながら問いただす。
「あと10秒だ。」
彼は手首に装着された、冷たい光を放つタイマーをちらりと見せながら言う。「君も、自由とは何かを考えたことがあるはずだ。これが、俺にとって最高の自由だ。」
「……どうして、こんな選択を?」
彼女の問いは、風に溶けるようにかすかに響く。
「だって……この世で、本当の自由を手にする者なんて、ほとんどいないからさ。」
その瞬間、耳をつんざく爆発音が響き、火の光が恐怖に震える群衆を呑み込む。錆びた叫び声と血に染まる景色の中、誰もが冷静さを失っていく。
「カチ、カチ、バン——」