03.少年
「ゴクリ……」
少年は息を飲んだ。
この街で暮らしている彼は今日、家業を手伝い購入した新品のショートソードと、兄から譲り受けた小さな盾を携え、冒険者として独り立ちする事を決意し冒険者ギルドを訪れていた。
「緊張するなぁ……でもここから僕の冒険者人生が始まるんだ、いくぞ!」
自身を奮い立たせるように声を上げ、念願の冒険者ギルドのドアを開いた。
酒場のようなざわめきと装備の擦れる金属音が建物全体に響いており、非日常の空気に胸が高鳴る。
入り口付近の冒険者達は一瞬こちらに振り向き、見守るような、それでいて期待するような目を向けてくる。
ギルドには小さい頃に親に黙って訪ねてきた事があり、窓口の場所は覚えている。
あれ、先に誰か並んでる?
どうやら僕と同じく今日登録しに来た人がいるらしい。
白い肌に白い髪、幻想的な印象の少女は受付の人の問いに淡々と答えていた。
「ステータスって何でしたっけ」
えっ!?
少女から飛び出した言葉に驚いた。
ステータスといえば病気なんかの情報も記載される為、子供の頃に習う初歩的な魔法だ。
それを知らないって、一体どんな風に育ってきたんだろう……?
そんな事を考えている内に少女は受付を済ませその場を去っていった。
「よ、よろしくお願いします!」
いよいよ僕の番だ。
緊張で鼓動が早まり、全身に力が入るのを感じる。
「いらっしゃいませ! 私受付のミランと申します! 初めてのご利用でよろしかったですか?」
「えっ」
ミランさんの一言で僕はまた驚いてしまい、今度は思わず声が出た。
何でこの人僕が新人って分かったんだろう?
「あれ、違いましたか?」
「いえ、どうして分かったのかなって」
「あぁ! ここに来る冒険者さんは皆さん冒険者カードをお持ちですし、依頼主様用の窓口は別ですので」
「なるほど……」
「それに、かなり緊張してらっしゃる様子ですし」
心の中まで見抜かれた気がして恥ずかしさを覚えつつも、彼女の観察力に驚いていた。
この人も冒険者ギルドで働くプロなんだ、すごいなぁ……
「それでは本日はご登録という事でよろしいでしょうか?」
「あ、お願いします!」
「ではステータスを確認させて頂きますね!」
「はい! ステータス!」
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【ノア・アバンド】
種族 : 人間
性別 : 男
年齢 : 16
【スキル】
剣士 - 剣術を会得する際、通常より少し早く理解できる。
【犯罪ステータス】
善良
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これが僕の今のステータスだ。
剣王や剣聖なんて大層なスキルは持っていないが、剣士のスキルは冒険者になる夢を後押ししてくれた。
「ノアさんのステータス確認できました! それでは冒険者カードの発行と登録手続きがございますので、お掛けになってお待ちください」
「ありがとうございます!」
「先ほどの方にも伝えたんですが、冒険者さんの中には気性の荒い方も居らっしゃるのでお気をつけくださいね」
「はい!」
確かに冒険者はその職業柄、少し荒々しい人達も多い。
しかし冒険者の行き交うこの街で育った僕は、必ずしも悪い人達ばかりという訳ではない事を知っている。
それに僕が冒険者を志したのは、そんな英雄達の冒険譚に憧れたからだ。
『ドンッ!』
開いている席を探していると、力強く机を叩く音が響いた。
酔っぱらった冒険者同士の喧嘩かな?
恐る恐る音の鳴った方向に目をやると、取り巻きを連れたいかにもな風貌の冒険者が誰かに話しかけていた。
「嬢ちゃん新人なんだろ? 俺のパーティに入れよ」
「……」
なんだ、喧嘩じゃなかったのかぁ。
何か揉め事なのかと思ったが、勧誘しているだけだと気が付き胸をなでおろした。
よく見ると話しかけられているのはさっきの少女だった。
「聞いてんのか?バボイさんはこう見えて銀級冒険者なんだぜ、悪い話じゃないだろ」
彼の取り巻きがそう告げると、バボイという冒険者は自慢気に鼻を鳴らした。
銀級!?
冒険者ギルドは登録したての初級を抜けると、鉄級、銅級、銀級、金級……と続いて行く。
銀級は中でも一人前の証みたいなもので、冒険者はまずここを目指す事になる。
だからそんな人のパーティに誘って貰えるなんてかなりラッキーだ。
「結構です」
「「!?」」
少女の思いがけない返答に、取り巻きの冒険者は驚く、というよりは焦りの表情を見せていた。
そしてバボイは一瞬、何を言われたのか理解できないといった顔をした。
周囲からは、 「おいバボイの奴フラれやがったぜ」 なんて嘲笑する声が聞こえてくる。
バボイはすぐに状況を理解したのか、その表情が徐々に変わっていく。
「俺の聞き間違いか? 今、この俺の誘いを断ったように聞こえたんだが…」
バボイの眉がぴくりと動き、苛立ちを抑え込むように低い息をついた。
断られた事以上に、大勢に見られている所で断られた、という状況が彼のプライドを刺激した。
静かに、それでいて尊大な態度で少女に詰め寄り、少女の肩に手を置く。
「なぁ、嬢ちゃん……もう一度聞くが」
少女の肩を掴む手に力がこもり、その声はささやくように低く響いた。
「俺のパーティに入る気はねぇか?」
その一言に、微かな怒りが滲んでいるのがわかる。逃げ場のない圧力が少女を包み込んでいくようだった。
好奇の目で見ていた周囲の冒険者達は視線を戻し、見て見ぬふりを決め込んでいる。
だが、その場には不穏な沈黙が広がり、周囲は緊張感に満ちていた。
「やめろ!」
その静寂を破ったのは、たった今受付を終えたばかりの新人冒険者の声だった。
何やってんだ僕、何やってんだ僕、何やってんだ僕。
最初に物音がした時、厄介事には何とか巻き込まれないようにと考えていたはず。
しかし今、それとは正反対の行動をしてしまった自分に驚いていた。
受付をする前の緊張とは違い、恐怖で全身が震え上手く力が入らない。
だって仕方ないじゃないか! 困っていたのは僕と同じ新人冒険者で、僕と同じくらいの女の子で。
一瞬視線を少女にやると、きょとんとした表情でこちらを見る彼女と目が合う。
何で君がそんな顔をしてるんだよ! 絡まれてたのは君だろ!?
バボイという冒険者からは、ここまでの人生を力で解決してきたんだ、と言わんばかりの迫力と、むき出しの暴力性が漂っている。
ましてや僕は冒険者カードも受け取ってないような新人冒険者で、相手は銀級冒険者だ。
万が一にも勝ち目なんて――
瞬間、全身に衝撃が走った。
身体がバラバラになるかのような痛みと共に視界が揺れる……いや吹き飛ばされてる?
『バキャア!』
僕が吹き飛ばされた先にあった机が音を立てて崩れた。
どうやら僕はあいつに殴られたらしい。
「がはっ……」
原因は衝撃か痛みかその両方か、上手く声が出せず呼吸もままならない。
「ちっ、邪魔が入っちまったな、嬢ちゃん返事を……」
タンッ
「………あ?」
振り返るバボイの背中に、先程自身が叩きのめしたはずの少年が投げた木片が叩きつけられた。
叩きつけられた、とは言っても対して力は込められておらず、ダメージを与えるには至らない。
だが彼を刺激するには十分だった。
「根性は認めてやるが……ガキ、お前新人だろ」
「はっ……はっ……」
少年は呼吸を整えながら、震える両脚でなんとか立ち上がろうとする。
「嫌がってるじゃない……ですか……」
「お前も分かってんだろ、敵わないって事位よ」
少年の発言には意にも介さず、バボイはゆっくりと歩み寄り少年を見下ろした。
彼の顔に浮かぶ不敵な笑みは獲物を弄ぶ肉食獣のようだ。
「関係……ない……!」
「そうか」
バボイの拳が少年の腹へと突き込まれた。
まるで鋼の塊が勢いよくめり込んでいくような感覚。
「ぐっ……が、あぁ……!」
その場に崩れ落ち、息を詰まらせて地面に膝をつく。
胃が締め上げられるような痛みが腹の奥から全身に広がり、視界がかすむ。
遠くから騒ぎを察知したミランさんの静止するよう叫ぶ声が聞こえてくる。
「さっきの根性はどこ行ったんだ? あぁ!?」
バボイは容赦なく少年を掴み、無理やり立たせると、今度は頬に拳を叩き込んだ。
鈍い音が鳴り、少年の体は床に転がる。
「現実を知れたか? これが冒険者の力だ」
「……ッ」
これが冒険者? こんなのが?
気が付けば僕はまた立ち上がっていた。
「お前何でそこまで必死なんだ? あの子に一目惚れでもしたか?」
確かにあの子には何となく目を惹かれた。
ただ僕の行動は恋心からとかそういうのじゃない。
「安心しろ、代わりにそれなりに可愛がってやるからよ」
バボイは下卑た笑みを浮かべ、少年から離れていく。
こんなのじゃないんだ、僕の憧れた冒険者は。
「待てよ、僕はまだ……!」
新品のショートソードに手をかけ、僕はまだ戦う、そう少年が告げようとした時だった。
「アイス・コフィン」
それはまるで凍てつく風が舞い降りるかのような、透き通る声だった。
言葉が発された瞬間、空気が急激に冷たくなり、周囲を冷気が包み込んだ。
気が付くとバボイは少年に止めを刺そうと振り返り拳を振り上げ……その様子のまま凍り付いていた。
これは……魔法……?
「「えぇぇぇぇぇぇぇ!?」」
呆気にとられる僕を横目にバボイの取り巻き達と、様子を伺っていた周囲の冒険者が驚きの声を上げた。
「冗談だよな……? 銀級のバボイさんが一瞬で……」
「お、俺たちも凍らされるんじゃ……」
取り巻き達は顔を引きつらせ、今にも泣き出しそうな顔でギルドの出口に向かって駆け出した。
そして自分が思わず飛び出した際の、彼女のきょとんとした表情を思い出す。
「はは……だから怖がって無かったのか……」
緊張感から解放され、ノアの身体は限界を迎え崩れるようにその場に座り込んだ
最初から僕の助けなんて要らなかったのかぁ……
軽蔑した相手にまるで歯が立たなかった事、自分が助けようとした少女が自分の何倍も強かった事。
悔しくなかったとは言わないけれど、それ以上に安心してる自分が居た。
「ねえ」
天井を見上げる僕に声をかけてきたのは、先ほどの少女だった。
少女の放った魔法は素人目から見ても強力で、洗練されていて……綺麗だった。
僕も冒険者になるために努力はしてきたつもりだけど、そこに至るまでにどれだけの研鑽と才能が――
「ねえ?」
「はっ、はい!」
少女は不思議そうな表情で再度声をかけてきた。
彼女の声に慌てて反応すると、わずかに、少女の口元がほころんだように見えた。
「強いんだね。ありがとう」
「えっ!? い、いや、助けようとしたのに結局助けてもらっちゃって……は、恥ずかしいなぁ、はは……」
何度か言葉を詰まらせながら照れ笑いを浮かべた。
思いがけない称賛と感謝の言葉に、体温が一気に上がるのを感じ、同時に情けなさと自分の行動に対する反省を覚える。
結局、あの荒くれ者を撃退したのは彼女自身で、助けが必要だったのは自分の方だった訳だし……
「君、名前は?」
「ぼ、僕はノ……ア……」
彼女の問いに返事をしようとした瞬間視界が揺れる。
あれ……何だか……眠……
駆け付けたミランさんが慌てている様子が視界の隅に映る。
少年は意識を手放した。