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雪醸す

作者: 米倉健太郎

雪がちらつく朝、今日も玄関に暖簾をかける。外にかかる杉玉もうっすら白くなってきた。お酒を飲めない私が子の酒蔵を継いだのは4年前の冬だった。


あの日、父が突然倒れたと知らせを受けて、私は急いで家に戻った。年に数回しか帰らない地元の町、その静かな空気が今も体に残っている。酒蔵の前に立った時、私は一瞬だけ足を止めた。父の顔が浮かんで、無言であの酒蔵を見つめているような気がした。それからすぐに、母の元へ駆けつけ、病院で告げられた言葉は、私の心を重くした。


「お父さん、もう…お酒作れない。」


父の代わりに、私は酒蔵を継ぐことを決めた。その時、私はまだ20代後半で、酒を飲むこともほとんどなかった。酒蔵を継ぐという決断には、正直なところ不安がいっぱいだった。でも、父の仕事を継ぐことが、私にとって唯一の道だと思った。


それから数ヶ月後、私は家族と共に酒蔵の経営を始めた。しかし、思っていたよりもずっと大変だった。酒造りに必要な知識や技術、そして土地に根ざした文化を理解するには時間がかかった。職人たちが私を見て、どうしても若さゆえの不安を感じていることを隠しきれなかったのだろう。私はそれに立ち向かうために、毎日、作業に没頭し、時には遅くまで残って勉強した。


数ヶ月経った頃、ようやく少しずつ蔵の雰囲気にも変化が現れてきた。職人たちも私を少しずつ認めてくれるようになり、酒造りに対する自信も湧いてきた。それでも、なかなか上手くいかないことがあった。試行錯誤の繰り返しで、味が定まらず、何度も失敗を重ねた。しかし、そのたびに思い出すのは、父が私に言った言葉だった。


「どんな時でも、味を大事にしろ。人々がその酒を口にしたとき、どんなに辛い時でも、幸せを感じてもらえるような酒を作れ。」


父は私が酒を飲まないことを気にしていなかった。むしろ、飲まなくてもその酒がどんな味で、どんな風に人々に喜ばれるのかを考えることのほうが重要だと言っていた。その言葉が、私にとって大きな支えとなった。


そして4年が経った今、少しずつではあるが、酒蔵は軌道に乗り始めていた。毎年、少しずつお酒の評価も上がり、地元の人々や少しずつ広がりを見せる観光客からも愛されるようになった。しかし、私にはまだ解決しなければならない問題が残っていた。


この酒蔵を継ぐことに、どれだけ心を尽くしても、私には乗り越えなければならない壁がある。それは、この町で生まれ育った私と、外から来た者が繋がることのできない「距離」のようなものだった。


酒蔵を継ぐ前、私は一度も地元を離れたことがなかった。親戚や近隣の人々にとって、私は「地元の子」という存在に過ぎなかった。しかし、外の世界に目を向けたとき、そこでの経験や視野の広さが私の強みとなることを感じていた。それでも、地元の人々は私を簡単に受け入れたわけではなかった。どれだけ良い酒を作っても、私が町に溶け込むには時間が必要だった。


酒蔵の経営は、私にとってただの仕事ではなく、町との関係を築くための一歩でもあった。毎日蔵に通い、酒を造りながら、私は少しずつ町の人々との距離を縮めようと努力している。しかし、ある日、思いがけない出来事が起こる。


その日は、いつも通りの仕事を終えた夕暮れ時だった。酒蔵から帰る途中、ふと足元がすべり、何気なく足を踏み外した。すると、目の前に誰かが立ち、私を支えてくれた。驚いた私はその人物を見上げると、それは、隣町から来たという若い男だった。彼の目には、どこか頼りなさと同時に、真摯さが宿っていた。

「大丈夫ですか?」その男は優しく声をかけてくれた。

「あぁ、ありがとう、大丈夫です。」私は少し恥ずかしそうに答えた。


それから数日、彼と会うことが続いた。近くの農家から酒蔵に納めてもらっているお米を作っているのが彼で、次の取引に向け商談のために来られたとき、毎回私のところにも寄ってくれたのだった。彼との会話は、最初は少しぎこちなかったが、次第に打ち解け、彼の視点から見る町やここで作られるお米の良さ、酒造りの話を聞くことが楽しくなった。


ある日、酒蔵の新しい酒を彼に試飲してもらうことになった。その時、彼が言った言葉が今でも忘れられない。

「あなたが作る酒は、ほんとうに素直だ。飲みやすくて、でもしっかり味がある。それが、酒蔵の心を伝えているからだと思う。」

その言葉に、私はふと気づかされることがあった。地元の人々が、酒蔵に対して持っているのは、ただの「商品」としての視点だけではない。そこには、伝統や思いが込められていることに気づき始めた。


これからも、私はこの酒蔵を守り、そして進化させていかなければならない。それが父の、そして町の人々の願いでもあるから。

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