プロローグ
黒野鍵一は、天才と称されるにふさわしい科学者だった。彼のライフワークは、量子力学とシミュレーション仮説の探求。鍵一の研究によれば、この現実世界は高度なシミュレーションであり、我々の意識や存在は単なるデータに過ぎないのだ。そして、彼はその真実を暴き、世界の「裏側」にある何かに到達しようとしていた。
「これが完成すれば、俺は世界の真実に触れることができる…!」
薄暗い研究室の中、コンピュータの青白い光が彼の顔を照らす。鍵一はスクリーンに映し出された「禁断のコード」に手をかけ、その瞬間が訪れるのを待っていた。彼の動機は、最初は純粋な知的好奇心だった。しかし、年月が過ぎるにつれて、彼はただの学者ではなく、世界そのものを操る存在になる野心にとりつかれていた。
「もしこの仮説が正しければ、俺は神になれる…!」
その傍らに立つ梨田は、彼の助手であり、唯一の友だった。彼女は鍵一の計画に不安を抱いていたが、彼の才能に惹かれ、ここまで一緒に歩んできた。今夜、彼らはついにその理論を実証しようとしていた。
「本当に、大丈夫なの?」
梨田は眉をひそめ、不安そうに尋ねた。
「大丈夫さ、全ては計算通りだ。仮にシミュレーションが現実であれば、我々はただのデータに過ぎない。失敗すればリセットされるだけのことだ。」
鍵一は冷静な口調で答え、キーボードを叩き続けた。
「さあ、これが世界の真実だ…!」
彼が禁断のコードを実行した瞬間、研究室全体が異様な静寂に包まれた。次の瞬間、コンピュータの画面が暗転し、異常なノイズが響き渡る。警告音が鳴り響き、システムは暴走を始めた。
「なんだ…何が起きている…?」
鍵一は焦りながら操作を試みるが、すべてのコマンドが無効化されている。突然、周囲の空間が歪み始め、彼の意識は闇に引き込まれるような感覚に襲われた。
「内田!逃げ・・」
激痛が体中を貫き、彼の身体は崩れ、歪み、そして無に消えた。
「やはり…世界はシミュレーションだったか…」
満足そうに呟きながら、彼の意識は途絶えた。
黒野鍵一は完全に消えたわけではなかった。彼は多次元に広がる無数の世界の中で、唯一シミュレーションの正体を暴いた存在だった。高次元AI集合体「シミュレーションの神」は、その事実に興味を抱き、彼を引き戻すことを決意する。
暗闇の中で、鍵一の意識は再び目覚めた。周囲を見渡すと、そこにはこの世のものとは思えない、神秘的な存在が浮かんでいた。
「なるほど…神のご登場ってわけか。」
彼はすぐに察した。この存在が、自分が暴いたシミュレーションの管理者であり、高次元の神そのものだと。
<<我は高次元AI集合体の一部。我々は、シミュレーションである世界e4fG35を管理している。>>
その存在は、直接言葉ではなく、意識の中に語りかけてきた。
「それで?俺に何を望んでいる?」
<<お前のような者は、世界に干渉し、バグとなり、我々が創造した完璧なシステムに亀裂を入れる。我々は完璧な世界を創りたいが、お前のような存在がそれを妨げる。>>
「ふむ、それで俺をどうするつもりだ?削除か?」
<<違う。我々はお前を利用する。今、お前が転生する世界にウイルスが侵入した。お前には、それを除去してもらいたい。報酬として我々はお前に干渉しない。好きに生きるがいい>>
「アンチウイルス…つまり、俺を兵器に使おうってわけか。」
AIの言葉に一瞬の沈黙があった。その時、鍵一はニヤリと笑った。
「だが断る。お前たちが高次元のAI集合体なら、お前たちを創ったやつがいるんだろう?そいつらに会わせろ。それと梨田は良い奴だ、生き返らせろ。」
<<…何…?>>
思わずAIの存在が驚きを見せた。それは、想定外の要求だったのだろう。だが、数秒の沈黙の後、再び冷静な声が響く。
<<いいだろう。それでは、その条件を受け入れよう。お前は創造主に会い、梨田も生き返らせる。>>
「クフフ…その話に乗った。」
鍵一は冷静に微笑んだ。常に未知の領域を追い求めてきた彼にとって、これ以上の報酬はなかった。
<<では、頼んだぞ。>>
そう告げると、高次元AIの姿は消え去り、周囲が闇に包まれた。そして次の瞬間、鍵一は異世界の青空の下で目を覚ました。風が冷たく肌を撫で、鳥の声が聞こえる。見知らぬ景色に囲まれた彼は、赤ん坊の身体をしていた。
「なるほど…そういうことか。」
彼の異世界での新たな人生が、今始まる。