10話(恋の自覚と敵前逃亡)
「あー疲れた」
「こら。せめて着替えなさいな」
ぼすりとベッドに体を投げ出すミケを咎める。
「えー、リリスちゃん人間みたいなこと言う」
「天使だって悪魔だって汗はかくんだし」
ほらばんざーいと手を差し出せば大人しく従う。ジャケットを脱いだミケをそのまま風呂場へ押しやった。
結局、二週間の間ミケの部屋で寝泊まりすることになった。天界と魔界同士は遠く、合流するだけで人間界で半日は時が過ぎてしまう。悪魔が人間界で部屋を持っているようにリリスにも用意してもらえないか悪魔側に掛け合ってみたが、今余裕はないらしい。
ミケの部屋が余分にあるらしく、部屋は用意できない代わりに寝具は用意してもらうとのことで落ち着いた。
改めてミケの部屋を見渡す。床に落ちた衣類を拾ってやり、ふと目線の先にテーブルについた引き出しが映った。なんとなしにそこへ手を伸ばそうとして、
「リリスちゃん、お風呂」
急に暗くなってたと思ったら側に立ったミケによって照明の光が遮られたらしい。ぼたぼたと髪から落ちる雫に白いスーツが濡れる。
「お、早いね。っていうかちゃんと拭きなねー」
ミケの首に掛けてあるタオルでごしごしと髪の水分を取っていく。ミケは抵抗することなく、むしろ私が頭に手が届きやすいように屈んでくれている。向かい合った状態での顔の近さにドキリとし、首のあたりを見つめた。
(あ、喉仏ある)
自分たちは寿命こそ違うものの基本的に人間と同じような構造をしている。ちらりとミケの体に目をやるとしっかりと筋肉がついている。纏う雰囲気が緩くて何かと気軽にコミュニケーションを取ってしまうが、性別が違うのだと、まざまざと見せつけられている気がした。
「リリスちゃん?」
「……んー? なーに?」
「ぼーっとしてたみたいだから」
「慣れないことして疲れてるのかもー」
タオルドライの済んだ頭部をマッサージするように揉み込む。するりと頬を撫でられた。心臓が駆け足になる。
「私も風呂借りる! ドライヤー使ったほうがいいよ!」
逃げるように風呂場へ駆け込み、しゃがむ。
(んん? んんんん?)
ミケを前にした自分の挙動を振り返る。高鳴る心臓に熱くなる頬。
(もしかして、もしかする? いや落ち着け、普段悪魔と関わらないから新鮮なのかも)
とりあえず今回のミッション成功が優先だ。シャワーを浴びて思考を切り替えるべく、リリスは立ち上がった。
「ミケー、シャワーありがと」
髪をタオルで拭いながらリビングへ向かう。ミケがソファで横になって目を瞑っている。どうやら寝落ちてしまったらしい。
目を閉じているミケは見れば見るほど模範的な天使のようだった。長い睫毛、行儀良く仰向けで胸の前に手を組むその寝姿に、どこか既視感を覚える。
「んんー?」
特徴的な寝姿、ふわふわの金髪、リリスちゃんと呼ぶ声。
◇
(遠くに金色が見える。たんぽぽっていう花をこの前教えてもらったけど、まるでたんぽぽみたいだと思った)
思い返すのは判別前の小さな頃。そうあの子を起こすために、私は歩いていた。
(あの子はいつも花畑の真ん中を陣取って昼寝をしているからてっきり今日もそうだと思ったのだが、どうやら起きているらしい。ふわふわ髪が揺れている)
あの子はふわふわの金髪で、寝相が特徴的だった。絶対仰向けで、手を胸の前で組んで、「神々しすぎる!」とエリクがよく笑っていて。
「あー!!」
「わ、」
そうだ、そうだった。リリスはすっかり思い出す。懐かしいあの子の名前を。
「ミケ!!!」
「んん? うん……ミケだけど」
「そうだけど!!!! 小っちゃい頃どこでもかんでも寝てたミケ!!!!」
「え」
目を白黒とさせたミケがぱっと上体を起こした。リリスの顔をじっと見つめている。
「思い出したの?」
「思い出した!! 忘れててごめーん」
ソファの縁に両手をついてミケを見上げるように見上げれば、リリスの頭はくしゃりと撫でられる。
「いいよ。忘れちゃうことが多いんだし」
「んん……」
それでも、幼い頃はずっと一緒にいたのだからリリスの胸中は罪悪感が占める。そんなリリスに気づいたのか、ミケは優しい声で紡ぐ。
「じゃあこのパートナー制度成功させて、またずっと一緒にいよ」
「……ん。そうだね!!」
新たなモチベーションを胸に抱き、立ち上がってぐっと伸びをする。持ち上がったスエットの裾を引っ張られた。
「お腹冷えるよ。……っていうかその服」
「サイズでかいからお腹見えないけど……。ごめん! 服勝手に借りちゃった!!」
スウェットってあんま着ないけど着心地いいんだね、と言いながら近づくリリスにミケの視線が突き刺さる。
「ミケ?」
「……いや、なんでも。それより、明日のターゲットの情報来たよ」
そう言って渡されたタブレットを見ると、2件のターゲットの情報が追加されていた。
「男子高校生と成人女性かあ。なら明日はこの2人だね」
「うん」
ざっと目を通し、タブレットをミケに返す。ミケは目を擦りながらそれを受け取った。
「今日は色々あったしもう寝よっか!」
睡眠は必須では無いけれど悪魔にだって天使にだって休息は必要だ。飛ぶのにもエネルギーを消費する。リリスの発言に、ミケはベッドにもたれていた背を起こす。
「あー、今日はベッド、一つしかないんだけど」
「? そっか!」
悪魔の用意してくれる寝具が届くのは明日だ。ミケとは幼い頃よく一緒に昼寝していたし、私はミケのこと好きなんじゃないかという問題は頭の外に押しやっている。
ミケはじとりとこちらを見た後、大きく息を吐いた。
「……分かった」
ミケがごろりとベッドの半分を空けるように寝転がる。電気をリモコンで消した後、空いたスペースに私も横になった。
「お邪魔しまーす」
布団が肩までかかるように身じろぎしたところで、腕がミケの体に当たる。
「わ、ごめん」
「だいじょーぶ」
「……」
「……」
やばい何か気まずいかも。重たい空気を霧散するように明るい声を出して話しかけようと、顔を横に向けて、目が合う。
「うぇ」
思わぬ至近距離にじわじわと首から顔、額へと熱が上がっていく。暗くて良かった、と思ったけどどうだろう。カーテンの隙間から差し込む月明かりでミケの髪の一部が光っている。明かりを背にこちらを見るミケの顔は見えないけれど、私の顔はちょっとは見えてるかもしれない。ちょっと俯く。
「リリスちゃん」
「……何」
「顔赤いね」
やっぱりバレてる! っていうか気づいても言わなくていいよそんなこと。無言のまま視線で抗議していると、頬に触れる冷たい感触にぴくりと肩が揺れる。
「……ふ、熱い」
「ぐぬぅ……」
「変な声」
ミケは楽しそうに笑っている。
「あのさ、リリスちゃん……」
なんだこの雰囲気。私の口から出るのはあ、だとかう、だとか母音ばかりでまともな言葉が出てこない。ミケが真剣な目をしている。なんとなく、なんとなくだけど何を言わんとしているか分かってしまって。
「お」
「え?」
「おやすみ!!」
布団を頭まで被り視界を遮る。逃げてない、戦略的撤退というやつだ。ミケに対する好意がよく分からないまま雰囲気に流されたくは無い。
「……」
不満げに布団を剥がそうと緩く引っ張られているのが分かる。私が抵抗をやめないと気づいたのか、隣で布団を被り直す気配がして、安堵する。
「じゃあ明日話聞いてね」
「……」
無言で目を瞑る。訂正しよう、これは逃げだ。




