渡米
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その後すぐに俺のアメリカ行きが決まった。やはりロバートの具合は悪いようで、それこそ一分一秒を争うようなことらしい。俺はパスポートも無かったのでマイケルはその手配もやってくれた。なんと八日で入手できた。さすがはマイケルだ。
アメリカ訪問の日程については、俺としてはロバートに会うだけなので、それこそ一日でいいと言ったのだが、ロバートのほうでせっかくなので観光も兼ねての旅行にしてくれた。それで二泊三日の豪華旅行となった。俺の方もそんなに遊び惚けるわけにはいかないので、この日程になったが、彼は半月のアメリカ大陸旅行も企画していたらしい。ロスだけにしてもらってこの日程になった。
俺の命の危険は去ったらしい。俺が財産放棄をした旨を文書で残したために、それを受けイザベルは攻撃を中止した模様だった。表向きは惚けていたそうだが、財産放棄で安心したらしい。エージェントによるとそれ以来、俺に対する監視は終わったとのことだった。そう言われてもまったくその気配は感じなかったのだが・・・。
ロバートが入院しているのは、カリフォルニアの病院だそうだ。そこまでの飛行機はやはりファーストクラスでこれまで経験したこともない乗り心地だった。こんな飛行機なら地球一周してもいいと思った。料理もうまいし、酒も飲み放題らしい。俺はアルコールはほどほどにして、基本はジュースだったけど。
ロスアンゼルス空港にはマイケルが迎えに来てくれた。その前の空港税関では覚えたての英語で話したがまったく通じなかった。最終的には身振り手振りだったが、日本人観光客も多いようでなんとかなった。ただ、サイトシーイングと言っただけなのだが・・・、税関職員が俺に意地悪したのだろうか、本当は日本語でもよかったかもしれない。
車はリムジンでロバートの会社のものだった。リムジンは真っ白でなぜここまで長くするのかと思うほど、長い車体だった。専用の運転手が付いていて、座席にはマイケルと差し向かいで座る。ここまでの経験は俺にとってすべてが初めてで、いつかは小説に生かせるのだろうかなどと考えた。いったいそれはいつになるのやら・・・。
「真治さん飛行機はどうでしたか?」
「はい、ファーストクラスなんて初めてでしたので驚きました。高級ホテル並みです」
「それはよかった」
「日本の航空会社を手配してくれていたので、言葉も大丈夫でした」
「日本発着の航空機だと他の航空会社でも大丈夫だと思いましたが、日本の航空会社のほうが真治さんが親しみがわくと思いました」
それはどうなんだろう、なにせ飛行機自体が初めてなので、飛行機会社でどう変わるのかがわからない。よってどこでも同じだったかもしれない。
「それでロバートさんのお加減はどうですか?」
「あまりよくはありませんね。ただすぐにどうこうなると行った事ではないようです。貴方と会えることをほんとに楽しみにしています」
「そうですか、でも俺は母のことはよく知りません。3歳の時に亡くなっているので」
「そうですね。それはロバートから聞くといいでしょう。あなたの母親のことをよく知っていますから、ちょうど貴方と同じ歳の頃に知り合ってるのですからね」
マイケルにそう言われて気が付いた。母がロバートと恋に落ちたのは俺の歳なのだ。何か母と俺の距離が一気に縮まった気がした。
「病院は近いのですか?」
「近いですよ。5マイルぐらいですから」
「マイル?」
「ああ、8㎞ぐらいですね」なるほどアメリカはマイルで話すのか。
「なんという病院なんですか?」
「シダーズシナイ・メディカル・センターです」
なるほどよくわからないがきっと高級な病院なのだろう。金に糸目は付けないというところだろうか。
そしてその病院に着いた。
まじですか、これが病院ですか・・・。俺は絶句する。ちょっと見は高級ホテルみたいに見える。ひょっとしてラスベガスに来たのではないかなどと勘違いしそうだ。
そしてマイケルに引きづられるようにして病院内をうろうろする。とにかく広いのだ。取り残されたら絶対迷子になる。
エレベータに乗って病室のある階に向かう。
「ああ、ロバートさんは日本語は大丈夫なんですよね?」
「ええ、昔はもっと話せたようですが今も話せますよ」
「マイケルさんはべらべらですよね」
「そうですね。大村編集者になれるように練習しましたからね」
「そうでした。希望文庫でしたね」
「ええ、ああそう言えばそういうアイデアもあったんです。もう出版社を作ってしまおうかと話していました。その優勝賞金が破格だとかの設定でね。まあ日本ではそこまで高額な新人賞はないようですね」
いやいやアメリカはあるのかと聞きたくなる。むしろ日本の新人賞のほうが高いような気もする。
ホテルいや病院の最上階でエレベータは止まった。やはりここはセレブのための病院のようだ。綺麗な通路を通ってロバートの病室に来る。
マイケルが扉をノックする。英語で何か聞こえた。
マイケルが扉の前で俺をエスコートする。俺は部屋に入る。何か異様に緊張する。
絨毯敷きの広い病室の奥に、大きなベッドに半身を起こしたロバートがいた。
確かに病気のせいでひどく衰弱していたが、彼の顔は紛れもなく俺と同じ顔だ。
「真治・・・」それだけ言うとロバートは涙を滝のように流す。
俺はどうしていいかわからないが、何故か泣けてきた。だけど何と言っていいかわからない。
マイケルは何も言わずに扉の前でそのまま待機している。俺たちの邂逅を邪魔したくないのだろう。俺はベッドに近づく。
「お加減はどうですか?」
ロバートはにこりと笑って、「君に会って全快したよ」とジョークを言った。
「ここまで大変だっただろう?」
「いえ、ファーストクラスでしたから、ほんとに快適でした」
ロバートはやはり黙ってしまう。じっと俺の顔を見つめている。
「君のお父様に感謝するよ。ほんとにここまで立派に育ててくれてありがとうと言いたい」
「はい、俺もそう思っています。父がいなければ俺はこれまで生きてこれませんでした」
ロバートはうなずく。
「母の話を聞きに来ました」
ロバートはにこりと笑い、「そうだね」とゆっくりと話し出す。やはり病気のせいか息が苦しくなるようで休み休み話してくれた。
「希と出会ったのは私が26歳の時だった。日本の大学に留学して大学院で研究するためだったんだ。同じ経済学のゼミでね。希が20歳、大学3年生の時だったよ」
とにかく俺は母の大学生時代の話は初めて聞く。有名私立大学だったこともついこの前聞いたばかりだった。
「最初、見たとき希はどこの中学生が来たのかと思ったよ。それぐらい幼く見えたんだ」
なるほど、この辺は親父の話とつながる。じゃあロバートはロリコン趣味だったのか。
「それでも話をしていく内にこの女性の芯の強さと言うか、力強さに驚いたんだ。考え方も実にしっかりしていて、年上の私が注意されることもしばしばあったよ。まあ、単に日本の慣習を知らないことが多かったからね。顔は日本人だけど行動は米国人だから余計に顰蹙を買うんだよ」
ロバーツがベッドの脇のミネラルウォーターを飲む。呼吸が苦しそうだ。それでも懸命に話をする。
「最初、希は私のことを少し警戒していたのかな。やはり日本人とは違うからね。それでもお互いのことを知るうちにどんどん好意が増していってね。それはお互いにそうだったようだ」
俺には経験のない話だ。同じ顔をしているのに少しうらやましい気がする。
それからもロバートは母との話を続けていく。自らの人生を振り返るかのように言葉を紡いでいった。俺も母の若かりし頃の恋愛話に照れ臭いような不思議な感覚だった。
「それでマイケルから聞いたと思うが、私の父親グレンが唐突に亡くなってしまった。まったく予期していない事態で私も混乱したんだ。ただ、とにかくうちの会社をなんとかしないとならない。大勢の従業員も居たし、関連企業もあったのでね。それで泣く泣く本国に帰ることになったんだ。もちろん最初はいずれは希を迎えに行くつもりだった・・・」
ロバーツは体力的と言うよりも当時のことがあまりに辛過ぎたのか、嗚咽を漏らす。ああ、こんなに何年もたっているのに、この時のことを考えると感情が爆発するものなのか、羨ましいような気もしてしまう。
「こっちに帰ってきて驚いたよ。すでに会社側の思惑で私の結婚相手が決まっていたんだからね。日本で言う政略結婚とでもいうんだろうか、私に選択の余地は無かったんだよ」
ロバーツは過去の忌々しい思いを振り切るかのように話す。
「希には電話で謝ったんだ。もう自分の体を裂かれるより辛かったよ。今まで生きてきてあれほど辛いことは無かった」
俺には掛ける言葉もなかった。それほど愛した女性はいないし、そういった恋愛が出来るような気もしない。
「それからは希を忘れるためにも仕事に打ち込んだよ。その結果、会社も軌道に乗り、さらに成長もしていったんだ。そうして10年ぐらいしてから、仕事にも余裕が出来てきてね。二度と会わないと思っていたが、希のその後が気になったんだ」
そういうものなのだろうか、男は初恋の人を忘れられないというのは、純文学にはよく出てくる話だ。
「そうしてそこにいるマイケルに調べてもらった。すると希がすでに亡くなっていることを知ったよ。それはそれでショックだったが、結婚して子供もできたと聞いてそれなりに彼女は幸せだったと理解した。子供、つまり君のことだがそれについても結婚相手との子供だとわかった。君のお父さんのね。そしてその時にお父さんにもこれ以上の交渉は拒絶されたしね。実際、いまさらどうこうできる話でもないと思っていたんだ」
「そして状況が変わったのは、自分の病気を知ってからだ。やはりどこかで君の存在が気になっていたんだ。お父さんから私の子供ではないと聞かされていたが、そうはいっても最愛の希の子供だ。どんな青年に育ったのかを知りたいと思ったんだよ・・・」
「マイケルから話が来て、君の写真を見て私がどれほど驚いたことか、やはり私の子供だったんだ。でもいまさらどうしようもない。私は妻子を捨てた男だからね。後悔しかなかったが、そういうものだとあきらめもしたんだ。ただ、君には何かを残したいと思ったよ。マイケルからの調査報告書だと君は小説を書いているとのことだった。ただ、残念ながら小説家デビューは出来ていなかった。こればっかりは本人の才能だからね。私がフォローする術もないと思った。それと随分、生活にも困っているようで親からの援助も無しに勉強していると聞いたよ。それについては私から援助できるだろ、それで財産贈与を検討したんだ。ただ、君は断ったようだね」
「はい、俺がもらうようなものでは無いと思いました」
「うん、それを聞いてむしろうれしく思ったよ。自分の力で勝負するんだね」
「はい、だめもとでやってみます」
「私には頑張れとしか言えないよ。でもね、真治は成功すると信じているよ。だって君の黄金ハンターは素晴らしい小説だよ。夢と希望にあふれている。あの小説を掛ける人物なら、絶対いつかは成功するさ。間違いないよ」
ロバートは多分にお世辞で話をしているのかと思ったが、真顔で話すのでそれはそれでうれしかった。
「ありがとうございます。まだまだですけど頑張ります」
「うん、それと君の他の小説も読んでみたいよ。ぜひ送ってくれないか?」
「わかりました。今、黄金ハンターの完全版も書いています。今回の実話を踏まえて書き直したんです。大学の友人からも指摘を受けて書き直しました」
「そうか、じゃあそれも読ませてくれ」
「わかりました」
ロバートとはそれから1時間は色々な話をした。知り合った頃の母の話を中心にどういった女性だったのか、どんな恋愛をしたのかを昨日のことのように話してくれた。
俺は母の記憶がないのでそれを聞くと、彼女も俺と同じように色々な悩みや考え方などを知ることが出来た。ロバートは病気もあってそれほど雄弁には語ることはできないようだったが、日本の親父と比較するとスピーチの経験も豊富なのか、話が上手く、母親のことが手に取るようにわかった。あたかもそこに母がいたように感じることが出来た。
初日のロバートとの面会はこれで終了となった。
そしてそれからは午前中は病院へお見舞いをして、午後は観光中心の生活となった。
観光地に来り出すのもリムジンでボディガード(ロバートの会社のそれだそうだ。伊瀬知ではない)が付くので、周囲からはどこのお坊ちゃまなのと言う目で見られてしまった。
俺にしてみればマーク・トウェインの(王子と乞食)を地で行ってる感じで何か不釣り合いなこそばゆい感じだった。
ホテルもリッツカールトンという最高級ホテルのなおかつスイートルームで、部屋にいるのも落ち着かず、寝る気も失せるようなベッドだった。何故か自分のアパートのベッドが恋しくなった。根っからの貧乏生活が身についているのだ。
こうして二泊三日のアメリカ旅行はあっという間に終了した。基本的には毎日ロバートと面会し、束の間の親子会話をする日課が中心だった。
話していく内になるほど、似たところもあると思った。顔はもちろんだが手足や身体的な特徴で同じ個所が数点見つかった。さすがはDNAだ。頭脳以外はしっかりとコピーできているわけだ。しかし遺伝上の両親から頭脳関係だけが遺伝できなかったことが不思議でならない。これはいつか小説化したいと思う。
そしてこれから帰途につく前に、最後にロバートとお別れをすることになる。
俺は考えないようにしていたが、ロバートとはこれが本当の最後の面会となるはずだった。
マイケルの案内でいつものように病室に入る。ロバートもこれが最後となるのはわかっているはずだったが、いつもと同じように笑顔で俺を迎えた。
「真治、もう日本に帰るのか・・・」
「はい、まだ授業もあるし、これから卒業式もあります」
「君さえよければ、いくらでもここにいていいんだよ」
この夢のような生活を続けていくと、おそらく俺は人間として駄目になる気がする。何度も遺産相続破棄を思いとどまれという、俺の中の悪魔がささやくのだ。
「いえ、ありがとうございます。でもこれで十分です」
「私は真治が素晴らしい若者になってくれて、本当にうれしく思うよ。こういっては失礼だが、私が思い描いた通りの人間になってくれた」
「そうですか?いえ、俺なんかまだまだです。ああ、でもロバートさんには感謝しかありません」
ロバートが不思議そうな顔をする。
「俺は今回の黄金ハンターを経験させてもらって、何か人生の可能性みたいなものを期待することが出来たんです。今までは働きたくない、引きこもりたいって単純に人生を放棄していました」
ロバートがじっと俺を見つめる。
「ロバートさんとマイケルさんが俺の小説を実現させてくれました。それはまるで夢の様でした。自分が作り出した世界が目の前に展開されたんですから・・・。そこには生きている伊瀬知悠がいて組織のハンターがいて、ほんとに素晴らしい体験でした。それで俺はそういった実感をなんとかして、小説を読んでくれる読者に伝えたいって思いました」
ロバートはうなずく。彼の目から光るものが流れ出す。
「伊瀬知には、ああ、エージェントの伊瀬知ですけど、彼女からは最初はみんな素人だって言われました。俺はそれ以前の状態なのかもしれませんけど、少しでもプロに近づいていきたい。人は努力することで何かを掴める。いや、人が生きていくってことは、それだけで素晴らしいことなのかもしれません」
「そうだよ。真治、生きるということは素晴らしいことなんだよ。私もなんとか生きていることで、こうして君に会うことが出来た。そして君の成長を見ることが出来た」
「はい、俺もそう思います」
「だけどね。私には後悔しかないんだ。真治といっしょに暮していきたかったよ。そうして君の成長を見守りたかった・・・」
「ロバートさん、それだと俺は間違いなく引きこもりになりましたよ。裕福過ぎて働く気も起きなかったかも」
ロバートは笑いながら、そんなことは無いさというように首を振った。いえいえ、ロバートさん俺はそういった人間なんです。
「だとすれば、私は増々、君のお父さん、亘輝に感謝しないといけないね」
「ええ、そうです。俺が今生きているのは親父のおかげです。俺にとっては最高の親父です」
「うん、そうだな。私は嫉妬しか感じないけどね」
そういってロバートは笑顔を見せてから、「それとあとひとつお願いがあるんだ」
「なんですか?」
「一回、ハグさせてもらえるかい?」
俺に断る理由はない。だって彼は俺の数少ない愛読者なんだから・・・。
俺はロバートにしがみつく。ロバートも精一杯の力で俺を抱きしめた。今にも折れそうな彼の体だったが、何かとてつもないものを感じた。俺の体内にロバートからの愛があふれてくる。ロバートは俺に力を与えてくれようとしている。
そして帰国の途に就いた。
帰りも当然ファーストクラスで、今回の金持ち旅行が癖にならないようにしないとならないと心から思った。最後にロバートに会った時にはもう一回財産贈与の話をしてくれないかななどと思ってしまっていた。いかんいかんこれでは再び命の危険が・・・。
そうして飛行機に乗っているときに、なんと今村からメールが入った。日本に戻ったら電話をくれとのことだ。
ひょっとして心変わりでもして、俺と交際したいとでも言うのだろうか、それとも一気に兆万長者になった俺の噂でも聞きつけたのだろうか。いやそれは断ったんですよ。
それから機内では興奮して一睡もできなかった。
羽田空港に着くと早速、今村に電話する。
「長谷川です」
『長谷川君、ロスに行ってたんだ。すごいね』
「うん、あれからまた色々あってね」
『へーそうなんだ。じゃあロスのみあげ話も聞かせてね。あ、そうそう実はね君に話があるんだ』
お、来たか、やっぱりお付き合いしたいって・・・。
『私が内定貰った出版社の編集の人にね。黄金ハンターの話をしたのよ。そしたら原稿も見てくれて長谷川君さえよければ話をしたいって?』
「え、それはひょっとして出版の可能性があるってこと?」
『そこまではわからないけど、色々アドバイスも貰えるみたいだよ』
「それはうれしいな。ぜひ会いたいよ」
『うん、じゃあ話をしとくね。まずは黄金ハンター完全版を完成させてね』
「うん。わかった。今村さん色々ありがとうね」
『どういたしまして、じゃあね』
何か俺の運気自体が変わってきた気がした。早速、アパートに戻って小説を完成させないとならない。
ばあちゃんの声が聞こえる。『真治、がんばれよ』
了